鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

381 冬籠りのセロ曲

2024-12-26 12:50:00 | 日記

今年の酷暑時は悲惨な生活だったが、その間にも今後の残生に読む古書と音楽はぼちぼちと溜め込んで来た。

隠者の正月である立春までの長い冬籠りの日々に、それらをじっくり味わいたい。


冬深く書見や思索に耽る夜には重厚なチェロ曲が良い。

20世紀には大衆受けする音楽しか流通に乗り難かったが、今やネットのお陰で知られざる古楽の小曲さえ選び放題だ。



(エリザベートの祈 石版画 竹久夢二 古唐津花入 幕末~明治頃)

本格派期待の若手チェリスト、エドガー・モローが先月出したショパンのチェロ協奏曲は絶品だった。

この曲はショパンの最高傑作とも言われて来たが、演奏と録音の両方共良い物がなかなか無かったのだ。

彼の前アルバムのブルッフの名曲「コル・ニドレイ」も名演奏だったが、今回は更に深く一音一音を磨き上げ、またその録音の音質は驚異的なまでに高品位だ。

優れた音楽は美しき情景を喚起させ我が詩想も深めてくれる。

ーーー夜色の旅外套やセロ抱きてーーー


軽音楽では先日紹介したハウザーがチェロ曲にアレンジしたマーラーの交響曲5番の「アダージェット」が良い。



この曲やイタリアンバロックの名曲「アルビノーニのアダージョ」を、万燭を灯したローマのコロッセオで演奏した動画は気が利いていた。

今週の鎌倉は観光客も減り、落ち着いた雰囲気の散歩にはこれらのチェロ曲が良く似合う。

落葉路を歩きながらこれを聴くと、自分が映画の悲劇の主人公にでもなった気にもなれるのだ。

ーーー水底の暗みを流れ幽かなる くれなゐ哀し枯葉舞ふ谷戸ーーー


ヴァイオリンではジョンウィリアムズと組んだパールマンの映画音楽のアルバムが上出来だ。

ロマン派風のノスタルジックな音楽は枯れ行く我が谷戸の深沈とした景色に良く似合う。



ヨーロッパ大陸で前衛音楽に押され古臭いと貶されたロマン派は英国で生き延び、コルンゴルトが米国へ渡った後ジョン・ウィリアムズ達の映画音楽に受け継がれた。

ウィリアムズがヴァイオリニストのイツァーク・パールマンと組んだアルバムの「シンドラーのリスト」の演奏を聴くと、まるで19世紀ロマン派の魂が甦るような気がする。

ヴァイオリンアレンジの「シュルブールの雨傘」も、ロマン派的手法により原曲から見事に進化させていて隠者好みだ。


今週の我が谷戸は冬紅葉の見頃となり、また一斉に栗鼠が来て食べ散らかした庭の蜜柑の屑も、愛しむべき我が楽園の冬の景色の一つに思える。

そんな身辺の小さな自然を味わいつつ、良き音楽と共にゆっくり冬籠りに入ろう。


©️甲士三郎


380 文士達のヴィオロン

2024-12-19 12:57:00 | 日記

我が谷戸はやっと銀杏や紅葉が散り出し、晩秋から初冬の侘びた景観に移りつつある。

鎌倉の四季の中でも最も深い情趣を誘うこの時期に聴く音楽は、隠者なりに厳選したい。


私のヴァイオリンのイメージの原点は大正時代の楽士が街角で弾語りしていたエレジーにある。

上田敏の訳詩で有名なヴェルレーヌの「落葉」の詩に出てくる、溜息のようなヴィオロンだ。



(海潮音 初版 上田敏 カフェオレボウル フランス19世紀)

それを長年探しても数あるヴァイオリン曲には派手な物ばかりで、この歳になってやっとイメージ通りの物を見つけたのがヴィオラ曲だった。

特にヴュータンの「エレジー」は、正に鎌倉文士達が聴いていた大正時代の雰囲気その物だ。

先日彼の秋向きのヴァイオリン曲を紹介したが、ヴィオラソナタは更にロマン派らしい隠者好みの曲想で冬の我が谷戸の風景にぴったりだ。

演奏者は熟達の名手タペア・ティンマーマンが良いだろう。


そしてヴュータンと親しかったブルッフのヴィオラ曲も極上だった。



ブルッフの曲はどれも穏やかなメロディーで、懐かしき田園風景を喚起させてくれる。

数多ある美人ヴァイオリ二スト達の華麗な超絶技巧の曲とは正反対の、地味ながら深い抒情を込めた響きが良い。

またヴァイオリンではたまに甲高過ぎて気に障る部分が、5度低いヴィオラの音域になると閑寂な暮しに丁度良い曲調となる。

ブルッフの「ロマンス」は19世紀の農村のゆったりした時の流れのような旋律だ。

加えて彼の「スコットランド幻想曲」などのヴァイオリン曲も、英国ロマン派文学の田園詩を想わせる名曲だ。

ーーー世を捨てて辿る枯野は遍くも 季(とき)の終りの黄金の薄日ーーー


ヴュータンのヴァイオリン協奏曲もまた晩年の曲になるほど田園調の情趣が深まって隠者好みだ。

評論家はみな協奏曲4、5番を推奨するが私は断じて6、7番が良いと思う。



その滋味溢れる旋律のお陰で寂光の我が荒庭まで深い美を感じさせてくれる。

ロマン派でもピアノでは名曲が数あるのに比べ弦楽器の曲はこのブルッフとヴュータンの2人にほぼ絞られ、少し後に英国のエルガーが出るくらいだ。

コンサートホールで聴くならチャイコフスキーのような重厚長大な曲も歓迎だが、我が幽陰暮しの中で聴くのは地味目の落ち着いた小曲が良い。

暖房に曇る冬籠りの窓から初冬の山々を眺めれば、昔の芥川龍之介や久米正雄らが当時最先端だった蓄音機で西洋音楽に聴き入った大正の鎌倉が見えて来るようだ。

ーーー文士らの残夢の路地の石蕗咲けりーーー


大正浪漫風のヴィオロンの曲は現代の我々の暮しにも豊かで瞑想的なひと時を加えてくれる。

特にここ鎌倉に暮らしていてそれを聴かないのは愚かであろう。


©️甲士三郎


379 落葉路の協奏曲

2024-12-12 12:57:00 | 日記

鎌倉の樹々もようやく色付き谷戸の小径にも落葉が散り敷いている。

散歩がてらに聴くロマン派の流麗なコンチェルトが身に沁み透る季節だ。


落葉の散歩路はいかにも抒情的で紅葉の色も陽差しの色も優しげに見える。



ロマン派の色彩感溢れる曲調に晩秋の情趣が更に深まる。

こんな落葉の小径を散歩しながら聴くのには、ヴァイオリンならヴュータンの協奏曲6番7番の穏やかな楽章がぴったりだ。

ピアノ協奏曲ならスクリャービンあたりが合うだろう。

ショパンはソロ曲の方が秋向きでコンチェルトは春の花時が似合うと思う。

夏場には暑苦しくて聴けなかったこれらの華麗な協奏曲を今の時期に存分に味わいたい。


暖かな午後には少し長い曲にじっくり浸る時間が欲しい。

ピアノ好きなら例えば名曲中の名曲ラフマニノフのピアノ協奏曲2番などを、小春の窓陽に聴くのは至高の楽しみだろう。



ラフマニノフの2番は長らく1959年録音のリヒテルの演奏が頭抜けていた。

ようやく今世紀に入り高品位の録音でエレーヌ・グリモーらの華麗な演奏が出てからは、ファンの間でどの奏者が良いかと話題になっている。

リヒテル版はピアノの音は当時としては極上だが、管弦の音質は流石に古すぎる。

同じ曲でも誰の演奏が良いかと言う聴き比べは、常にクラシックファンの極上の楽しみなのだ。

ーーー玻璃窓に外()の世はぼやけ珈琲の 湯気に陽の舞ふ冬の隠家ーーー


鶴ヶ丘八幡宮の大銀杏が倒れてからは、荏柄天神社の樹齢900年の銀杏が鎌倉一となった。



その御神木も気候変動には勝てず、今週もまだ少し緑の葉が残っている。

この樹は小山の中腹に立っているので、はらはらと散る葉が中空に長々と陽差しに舞う姿は実に美しい。

その壮麗な景の中でノスタルジックな輝きに満ちたショスタコーヴィッチのピアノ協奏曲2番第2楽章あたりを聴きながら過ごすのが、この時期の私には欠かせないイベントとなっている。

ーーー銀杏散る昔の色の陽の中へーーー


ロマン派に比べてドイツ古典派やワーグナーの大袈裟な曲はあまり隠者の好みではないが、ベートーヴェンのピアノコンチェルト「皇帝」の第2楽章だけは俗事から離れて温雅な心境になれる名曲だ。

年々少なくなる春秋の好日は是非そんな良き音楽と共に過ごしたい。


©️甲士三郎



378 花無き日々

2024-12-05 12:51:00 | 日記

自然の風景や四季の花鳥は人生を豊かに彩り、古句歌もまた自然の詠題季語の永遠性のお陰で今も我々の暮しに寄り添ってくれる。

ところが近年の気候変動で日本は四季からすでに二季の国になったそうで、下手をすると私の世代で美しい四季の記憶は途絶えるのかもしれない。


この時期はあまり良い花が無いので、代わりに冬菊の名句を掛けた。



(直筆句軸 水原秋桜子 古織部沓茶碗 江戸時代)

飾るだけで机辺の格調が上がるような書画は、風雅の暮しの中でこの上ない宝物となる。

「冬菊のまとふは己が光のみ」秋桜子

以前に同じ句の短冊を紹介したが、今年は運良く軸装を落札できた。

みな一字目の「布()」が読めず、例によって安値で買えたのだ。

私は若い頃にこの格調高い菊の句に感銘し、秋桜子の目には凡人の数倍美しい世界が見えているのだと思った。

隠者もそのような目と心境で日々暮らせればと願っている。



晩秋初冬の花の乏しい時期は、谷戸の落葉がとても美しく思える。



(天地玄黄 初版 与謝野寛 瀬戸珈琲碗 昭和初期)

我家の門前に散り出した銀杏の落葉溜りに座って、晩秋の陽射しの中で珈琲タイムだ。

与謝野鉄幹の「天地玄黄」はポケットに入る大きさだが、明治人らしい気宇壮大な詩歌集だ。

こんな場所で古書と珈琲の香に満ち足りた時を過ごし、加えてちょっと良い句歌でも詠めれば幽陰の暮しも上々だろう。

ーーー玄黄の廃都に綺羅と銀杏散るーーー


夜は床の間の画軸を眺めながら、ゆっくりと思索に浸りたい。



(張果仙図 池大雅 江戸時代 李朝小壺 李朝燭台)

池大雅の形体感はピカソのデフォルメにも似た優れたバランスで、墨の片暈しの運筆の絶妙な強弱が見事だ。

文人画には神仙を描いた面白い絵も多く、池大雅自身も正に離俗の画仙のような暮し振りで、この隠者も常々そんな暮しに憧れている。

BGMは大雅と同じ時代のアルビノーニのコンチェルトがぴったりで、画中の世界に入りファンタジックな神仙境に遊ぶ気分になれる。


今週の鎌倉はだいぶ冷え込んで紅葉の色も深まって来た。

この時期の長い夜はしみじみと古人達と同じ夢に浸っていられる。

ーーー老僧の残夢の庭の石蕗咲けりーーー


©️甲士三郎