我が谷戸はやっと銀杏や紅葉が散り出し、晩秋から初冬の侘びた景観に移りつつある。
鎌倉の四季の中でも最も深い情趣を誘うこの時期に聴く音楽は、隠者なりに厳選したい。
私のヴァイオリンのイメージの原点は大正時代の楽士が街角で弾語りしていたエレジーにある。
上田敏の訳詩で有名なヴェルレーヌの「落葉」の詩に出てくる、溜息のようなヴィオロンだ。
(海潮音 初版 上田敏 カフェオレボウル フランス19世紀)
それを長年探しても数あるヴァイオリン曲には派手な物ばかりで、この歳になってやっとイメージ通りの物を見つけたのがヴィオラ曲だった。
特にヴュータンの「エレジー」は、正に鎌倉文士達が聴いていた大正時代の雰囲気その物だ。
先日彼の秋向きのヴァイオリン曲を紹介したが、ヴィオラソナタは更にロマン派らしい隠者好みの曲想で冬の我が谷戸の風景にぴったりだ。
演奏者は熟達の名手タペア・ティンマーマンが良いだろう。
そしてヴュータンと親しかったブルッフのヴィオラ曲も極上だった。
ブルッフの曲はどれも穏やかなメロディーで、懐かしき田園風景を喚起させてくれる。
数多ある美人ヴァイオリ二スト達の華麗な超絶技巧の曲とは正反対の、地味ながら深い抒情を込めた響きが良い。
またヴァイオリンではたまに甲高過ぎて気に障る部分が、5度低いヴィオラの音域になると閑寂な暮しに丁度良い曲調となる。
ブルッフの「ロマンス」は19世紀の農村のゆったりした時の流れのような旋律だ。
加えて彼の「スコットランド幻想曲」などのヴァイオリン曲も、英国ロマン派文学の田園詩を想わせる名曲だ。
ーーー世を捨てて辿る枯野は遍くも 季(とき)の終りの黄金の薄日ーーー
ヴュータンのヴァイオリン協奏曲もまた晩年の曲になるほど田園調の情趣が深まって隠者好みだ。
評論家はみな協奏曲4、5番を推奨するが私は断じて6、7番が良いと思う。
その滋味溢れる旋律のお陰で寂光の我が荒庭まで深い美を感じさせてくれる。
ロマン派でもピアノでは名曲が数あるのに比べ弦楽器の曲はこのブルッフとヴュータンの2人にほぼ絞られ、少し後に英国のエルガーが出るくらいだ。
コンサートホールで聴くならチャイコフスキーのような重厚長大な曲も歓迎だが、我が幽陰暮しの中で聴くのは地味目の落ち着いた小曲が良い。
暖房に曇る冬籠りの窓から初冬の山々を眺めれば、昔の芥川龍之介や久米正雄らが当時最先端だった蓄音機で西洋音楽に聴き入った大正の鎌倉が見えて来るようだ。
ーーー文士らの残夢の路地の石蕗咲けりーーー
大正浪漫風のヴィオロンの曲は現代の我々の暮しにも豊かで瞑想的なひと時を加えてくれる。
特にここ鎌倉に暮らしていてそれを聴かないのは愚かであろう。
©️甲士三郎