鎌倉では新暦と旧暦の両方で七夕祭をやる神社が多く、続いて鶴ヶ丘八幡宮ではぼんぼり祭と実朝祭がありその後は各寺院で盂蘭盆会に盆踊と多様な夏の行事がある。
我家ではそれらをごちゃ混ぜにして都合の良い日に星祭をやっている。
普段は混雑する観光寺院は苦手なのだが、久々に復活した八幡宮のぼんぼり祭りを見て来た。
疫病時は文化娯楽は不要不急の物とされ祇園祭をはじめ本来は疫病退散の祭事まで自粛させられていたのだから何をか言わんやだが、ようやく各地の祭りも復活し世間に活気が戻るのは喜ばしい。
今のぼんぼり祭の著名人の書画にはあまり風情は無いが、子供達のぼんぼり絵はいつの時代も微笑ましい。
万燈を並べて天空まで導くようなこの景は、夏の鎌倉の最も壮麗な行事だ。
ーーー万の灯を連ね武神の高座(たかくら)へ 鎌倉健児いざや見参ーーー
人混みの中に居るより閑かな幽陰の谷戸に戻り、祭の後の星空をひとり眺めるのが隠者らしいだろう。
今夜は台風の余波の中でも時折星空が覗いて見える(写真は先週の月)。
私には病眼と地上の光害のせいで一等星くらいしか見えないが、記憶の景や詩魂による幻視の星空は実景より遥かに美しい。
古来星月を題にした詩歌は数多く、そんな古詩がまた後世の我々に現実を上回るイメージを与えてくれる。
隠者流星祭のメインイベントは、勿論星を題にしての献吟だ。
ーーー虫の音の闇が星まで届く谷戸ーーー
我家の星祭の祭壇には聖なるこの書が欠かせない。
(銀河鉄道の夜 初版 宮沢賢治 黄瀬戸金鳥香炉 志野筒茶碗 乾山菓子鉢 江戸時代)
夜も更けて虫の声と燭の明りで読む「銀河鉄道の夜」は格別だ。
我が若書きの句に「賢治なら星蒔くやうに麦を蒔く」と言うのがあり、この名作ファンタジーを初めて読んだ少年時代から思い入れは深い。
写真にある函は先年この本を紹介した後にたまたま手に入った物で、隠者は元来古陶磁器類の箱書きなどには全く価値を認めない方だが、猟書界に蔓延るこの日本独自の箱物文化の悪習に抗えなかった。
茶菓と燭を供えて銀河鉄道初版函付きを崇め奉ろう。
ーーー烟吐く金鳥香炉星祭ーーー
近年は9月末まで真夏が続くので、年配者は避暑地で静養でもしないと寿命が縮まる。
昔の文士達が佐久や軽井沢あたりで夏の1〜2ヶ月を執筆に籠っていたのが羨ましい。
©️甲士三郎