鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

365 神域の調べ

2024-09-05 12:57:00 | 日記

およその歌学書は詰まる所みな和歌の夢幻界へ至る道筋を示していて、古語による典雅な韻律や流麗な調べなどもその浄域へ入るための魔法の詠唱のような物と思えば良い。

古雅な歌ほど文学より音楽に近い。


江戸時代までの歌学書の多くが調べ(雅韻)の重要さを教えている。

元来の詩歌は活字本で黙読する物ではなく声に出し詠唱する物であり、儀式ではさらに厳かな声力や拍子により聖性を得ていたのだろう。



(鈴屋自選集手写本 江戸時代 青南京壺 清時代)

以前紹介した本居宣長の歌集「鈴屋集」とは別に、これは弟子達が宣長自選の数百首と教えを書写した希少な手書き本だ。

「鈴屋集」は明治大正までは名作中の名作とされて来たが、彼の国学が軍国主義に利用された反動で戦後は一気に評価を落とされ、現代では歌人としては忘れられた存在となっている。

だが隠者の好みではこの鈴屋自選歌集は日本文芸史上の白眉だ。

「置きわたす田面(たおも)の露も深き夜の 稲葉に重る秋の月影」本居宣長

気韻生動する神秘的な詠歌で、静寂なる月読の神域までも思わせる。

対位法の綾なせる旋律のような流麗な調べも見事だが、残念ながら現代人には古歌の調べや韻律などと言ってもなかなか感応し難いだろう。

ヨーロッパでもまだ精霊達が生きていた19世紀の壮麗なロマン派ピアノコンチェルトなどを聴きながら、宣長のファンタジックな和歌の神域に浸ろう。


現代の邦楽からはなかなか画期的な新作が出ないが、中国では唐宋の詩に最新の曲を付けた笛笙や箏の現代的な楽曲が次々と出ている。



(龍笛 古面 桃山時代頃)

中でも笙の名手Wu Tongの「春暁」や「離騒」のアレンジは気が利いていて、本人が古の詩人の装束で自然の中で歌うPVも美しい。

また陶笛()の音色もフルートより深みがあり古詩の神韻とも合っている。

我家にも古い龍笛があるが、残念ながら漆にひびがあり実用では無い。

ただ古楽器は置いて眺めているだけでも楽しく、中世の鎌倉に幽玄な音色が響いているような景が浮かんで来て飽きないものだ。

後ろにある古格漂う面は能楽の顰(しかみ)だと思うが、浅学にして断言は出来ない。


一方で俳諧(俳句)の方は平俗さが売りなので似合う音楽と言えば、三味線や小唄の類いは当然合うのだがその他は………まあ昭和歌謡だろうか。



(直筆句軸 芭蕉 江戸時代 緑釉小壺 明時代)

ただし「猿蓑」や「奥の細道」あたりの蕉風俳句には格調高い響きがある。

写真は芭蕉の「腰長や鶴脛ぬれて海涼し」の短冊軸装。

この句は「奥の細道」では上五を「汐越や〜」と改作しているが、旅の途上では上記の形で現地の句碑でも「腰長や〜」となっている。

短冊上部にはその地名の由縁書きがあり、文字通り涼しげな桂句だ。

それを知らないとこの軸は贋物扱いとなるから、例によりこの隠者が無競争に近い安値で落札出来た訳だ。

この句や有名な「荒海や佐渡に横たふ天の川」のような品格のある句なら、先週紹介した初期バロック音楽などとも良く合うだろう。


英国ロマン派の詩人ワーズワースの名作リリカルバラッドにはまともな日本語の韻律訳が無く、低俗な口語訳では水仙もナイチンゲールも精霊から只の小生物と堕してしまっている。

神聖古代語による妙(たえ)なる調べこそ、夢幻の神域へ至る鍵なのだ。


©️甲士三郎


364 晩夏のレクイエム

2024-08-29 13:04:00 | 日記

年々盂蘭盆の後も酷暑がだらだらと続くようになってしまったが、最近集めた清涼なる音楽のお陰でこの時期の隠者の暮しも少しは涼やかになった。


今週は果て無き夏と介護に疲れきった我が魂の再生を計り、取っておきの聖なる音楽で心身を浄化しよう。

フォーレのレクイエムの最高傑作、ミシェル・コルボ指揮1972年版だ。



(北風のうしろの国 ジョージ・マクドナルド イギリス19世紀)

コルボはこのレクイエムを生涯に4回録音しているが、最初の1972年版のボーイソプラノの「Pie Jesu」に勝る歌唱は遂に出なかった。

この歌こそ美しさ、穢れなさ、祈りの深さ、全てにおいてキリスト教音楽1500年の金字塔だろう。

少年の何とも儚く危うげな美声が人々の真摯な祈りの心を呼び覚まし、身に染み込んでしまった世知の穢れを洗い流してくれる。

写真は英国ファンタジー小説の始祖とも言えるジョージ・マクドナルドの名作「北風のうしろの国」1886年版で、この物語もまた少年の信仰の力が主題となっている。

ーーー夏果の汚れし窓に聴こえ来て 祈りの唄のいよよか細きーーー


本朝古来の浄化の儀式である夏越(なごし)の祓いは新暦では6月末にやってしまうが、実際の酷暑はその後に来るのだから今では意味を成さない。

なので隠者の夏越は体感での季節が真に秋に入る頃にしている。



(夏越秋風の歌軸 香川景樹 江戸時代 古織部皿碗 江戸時代)

本来の夏越は立秋前に暑さによる諸々の穢れを祓い、清浄な心身で秋を迎える行事だった。

古い和歌集を見ると朝廷もこの一年の折返しの祓いを大事にしていた様子で、沢山の歌が残っており「禊(みそぎ)川」などの詠題もまた夏越の祓いの一景だ。

景樹の歌軸は上記の「Pie Jesu」と趣きは違うが、これも不浄を祓う聖なる祈りの歌なのは同じだろう。

気持だけは清々しく新たな季節に入るべく、私ももう少ししたら禊代わりに浜へ行き足先だけでも波に洗われて来よう。

ーーー夏越の儀過ぎるも暑き古都の辺に 禊の波は果てなく寄せりーーー


先週の話題に続くが暑さに心身消耗した今の時期には、特に地中海の青を想わせるイタリアの初期バロックがお薦めだ。



(アルカンジェロ・コレッリ像 イタリア17世紀)

鎌倉の自然は地中海沿岸の気候と似通う所があり、音楽も詩歌もそこから喚起される胸中の景が共鳴する。

夏の夕べにコレッリやアルビノーニなどを聴くと、中世地中海の覇者であったイタリアの栄光の日々が見えて来るようで、鎌倉の海もアドリア海のイメージを重ねれば結構爽快に思える。

また私如きの和歌でもそんな音楽の中で詠めば、なかなか美しく輝かしい景を呼び起こしてくれるのだ。

ーーー引波の攫ふ真砂の千万の 光の条目(すじめ)黄昏の浜ーーー


涼しげな音楽、高雅なる詩歌、蒼古たる書画などのお陰で、悲惨な状況下にあった我家の夏も何とか持ち堪えられそうだ。

ネットのお陰で家に居ながら古今東西の名作音楽が入手出来るのがありがたい。


©️甲士三郎


363 夕涼のバロック音楽

2024-08-22 13:02:00 | 日記

酷暑を凌ぐ音楽を探して15年振りくらいにクラシック音楽全般を聴き直したが、近年は古楽を再現したりお馴染みの曲でも最新の録音技術で再録された良作がかなり増えていて有り難い。

西洋クラシック音楽と和歌が意外と合う事に気付けたのは今年の大きな収穫だ。


この暑さの中にも高雅な心を伝えてくれる名歌を今一度紹介しよう。



(直筆短冊 与謝野晶子 牛ノ戸花入 昭和前期)

「夏祭よき帯しめて舞姫の 出でし花野の夕月夜かな」与謝野晶子

これは彼女が初期に詠んだ二首を合わせ晩年に改作した歌で、どの歌集にも入っていない幻の歌の自筆短冊なのだ。

この神代の夢幻の儀式を想わせる美詠には、竪琴(ハープ)の名手ジュディ・ローマンのギリシャの神話世界のような音楽を合わせたい。

彼女は一昨年80歳過ぎにして古曲や中世の旋律を復元し、見事に現代風に編曲したニューアルバムを出した。

特に「Oblivion 」は色々な人が色々な楽器でやっている中、正に楽神アポロンの心の琴線その物を奏でるような妙技で隠者も心酔させられた。

他のアルバムではバッハのフランス組曲などもアレンジ演奏共に絶品だ。

願わくば日本の箏にもこの位の奏者が出て来てくれないだろうか。


古今新古今風の和歌の典雅な調べにはバロック音楽が良く似合うので、そこに加えて清涼な冷茶でもあれば俗世を離れた浄界に浸れる。



(SERENADE 石版画 竹久夢二)

暑い時期のBGMにはドイツ古典派シンフォニーのような大袈裟な音量の強弱があると、老隠者にはやや煩わしく聴こえてしまう。

強弱の差が少ないバロック音楽は秋冬向けなら断然バッハのピアノ曲か弦楽を選ぶが、夏にはハープやリコーダーの音色が涼しげで酷暑を凌ぐにはお薦めだ。

キース・ジャレットのチェンバロとミカラ・ペトリのリコーダーで出たヘンデルのソナタ集はかなりの音楽通の耳も満たしてくれるだろう。

こういった古風な笛の音を聴くと、以前我家で演奏してくれた自然の中で尺八を吹く旅をしていた老人を思い出す。

写真は晩夏の明るさの中にも哀愁を帯びたメロディーが聴こえて来るような、竹久夢二のクラリネット吹きの石版画だ。

ーーー笛吹の旅風の音水の音 褥に聴くは遠き星音ーーー


笛と言えばこの季節の我が谷戸では連日子供達による祭囃子が聴こえて来る。



子供達の夏休みの終り頃には鎌倉宮の例祭と盆踊りがあり、コロナ禍で中断していたのが去年今年でかなり賑いが戻ったようだ。

酷暑に負けず元気で可愛らしい子供達の半被や浴衣姿を見るのは、鎌倉の古老達にも大きな喜びとなろう。

鎌倉の盆踊りでは何故か昭和のアイドル荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」が大人気だし、屋台の光景は井上陽水の「少年時代」のような懐かしさがある。

そこで上の写真も100歳近いライカの老レンズ(ヘクトール)でノスタルジックな描写にしてみた。

ーーー涼風の町星の路地子等の家 みな美しき影となりゆくーーー

(先月の俳句を改作)


悲しい事に先週18日にはフランス映画界の大スター、世紀の美男アラン・ドロンが亡くなった。

彼が主演した「太陽がいっぱい」「冒険者達」などの古き良き時代の青春映画は、私も若い頃大いに憧れたものだ。

ーーー哀悼の夜の鬼灯の仄明りーーー


©️甲士三郎


362 星風の古都

2024-08-15 12:55:00 | 日記

立秋、旧暦七夕、鎌倉ぼんぼり祭、旧盂蘭盆と続くこの週は、隠者の星祭の時だ。


青薄の野辺に100年ほど前の中国の月天娘を飾り、夕星のファンタジーに浸ろう。

物悲しいほどの蒼さの中にこそ星界の荒魂は宿る。



月天に巌谷小波の「日本御伽話」初版を添えて星祭の祭壇を設えてみた。

戦前の童話には現代作家には望めない宗教的な不思議さがあって隠者好みだ。

実は我家には巌谷小波が大量に遺した御伽俳句の書軸が、知らぬ間に十数本も集まっている。

今週は彼に倣って童話風の俳句を幾つか詠んでみた。

ーーー草陰に風灯揺れて星祭ーーー

そしてこの美しき星宵には中世を想わせるような古箏や龍笛の音楽が欲しい。


鶴ヶ丘八幡宮のぼんぼり祭は以前にも紹介したが、近年は社殿周囲を派手にライトアップしたお陰で返って灯籠が暗く見え幻想味が失せた。



その代わり舞殿では日本舞踊を催すようになったが、残念ながら全く場違いな春の舞曲を生演奏も無くやっていた。

いずれも伝統文化に対する無神経さが原因だが、衆愚制下のマーケティング主導では全ての文化が低俗化するのは必然だ。

それも隠者のような世捨人には如何ともし難く、幽居に帰って独り離俗夢幻の秘儀を奉るとしよう。

句歌なら昔の美しい星空と万燈を思い起こして詠めるのが救いだ。

ーーー海風の古都星影の万燈会ーーー


我家の星祀りは「銀河鉄道の夜」に出て来る星祭に因んでいる。



この本は数年前に宮沢賢治のファンタジー3部作の初版本が揃った時に紹介したが、今宵は近年に出た細野晴臣の「銀河鉄道の夜」特別版のサウンドトラックでより深い夢幻の儀式となった。

ますむらひろしの猫版アニメを想い起こし、鎌倉産のずんぐり野菜(謎めいた味だった)の御供えだ。

半世紀前の写真では湘南の海から銀河が立ち上がっているのが見えるが、今は光害でほとんど見えなくなっている。

ーーー闇海へ風を吹き出す銀河の根ーーー


隠者の暦は8月7日は「立秋」ではなく、小暑大暑に続く「酷暑」と節季名を変えた。

その後は処暑白露のままで、彼岸頃にようやく立秋となるのだ。

近年の気候変動は我が句歌の季語詠題にも大きな影響を及ぼしている。


©️甲士三郎


361 冷茶と胡弓

2024-08-08 12:53:00 | 日記

7月の平均気温は観測史上最高だったらしく、8月9月の予想も酷暑が続くと言う事でますます耐暑の工夫が必要だと思う。


万葉古今以来代々の和歌集を見ると夏の歌の数は春や秋の半分以下で、京都の夏の暑さでは古の公卿達も歌を詠む気になれなかったのだろう。



(初学和歌式 有賀長伯 江戸後期 古伊万里染付小壺 江戸後期)

この江戸後期の「初学和歌式」になっても夏の詠題の収録はまだ少ない。

大正〜昭和初期の俳句歳時記には夏の生物や納涼の風物の季語がぐっと増えたが、夏季の名句となるとやはり春秋に比べて断然少ないのだ。

私に限らず古人達も良い気分でないと良い句歌は詠めなかったようだ。

近年の蒸し暑さは昔より遥かに酷くなっているから、精々冷たい飲物や清涼な音楽で心境だけでも清浄に保ちたい。


私は例の呪いで大抵の酒類清涼飲料が飲めないので、せめて精神的に清浄になれる飲物をと考えてみた。



(煎茶竹送風書軸 八橋売茶翁 江戸時代 炉鈞窯茶器 清朝時代)

江戸時代に入ると京の文人達に夏の清らかな飲物として煎茶(冷まし)が流行して来る。

頼山陽や田能村竹田らは漢詩にも盛んに煎茶の清涼さを詠んでいる。

そこで私も色々と試したところ冷茶に最も適したのは台湾産の凍頂茶だった。

以前より白桃烏龍茶は隠者の好みだったが、清らかさと言う点では凍頂茶が上だ。

今の国産高級煎茶はやはり温かい方が断然良いので、私は冷茶ではあまり飲まない。


その凍頂茶に合う音曲は何よりもまず胡弓(二胡Erhu)だろう。

ヴァイオリンよりまろやかで澄んだ音色が夏場に聴くには心地良い。



(永福寺跡の礎石群にて二胡を弾く隠者)

中国語や英語に苦労しながらiTunesYouTubeを探し回った結果、Eliott Tordoの二胡曲が最も良かった。

主にゲームやアニメの曲を数多く手掛けていて、PVの映像もなかなかファンタジックで質が高い。

本家中国の名人達も古曲ばかりでなく、もう少し新しい曲やアレンジでやってくれればと期待している。

彼に釣られてこの隠者も近所の中世の遺跡に下手な二胡を弾きに出て、気分だけはファンタジー映画の主人公になって来た。

愛用の100年前のライカレンズが俗世を離れた夢幻界の光芒を写してくれる。

ーーー夕月の葉漏れの光そよがせて 風吹き渡る二胡弾きの谷戸ーーー


度々で恐縮だが私が若者向けにカクヨムに連載していたライトノベルが完結したので、折々の小閑にでもご笑覧あれ。


「神聖鎌倉文士伝」 探神院著


https://kakuyomu.jp/works/16817330662945081308


©️甲士三郎