浪漫派の最後を飾るのは私が学生時代から詩画共に注目して来たラファエロ前派だ。
半世紀前の日本ではロセッティの画集は細々と輸入されていたが、彼の詩集などどこを探しても無かった。
明治大正の日本の詩人達にもロセッティー兄妹のファンタジックな詩は大評判で、借りた原本を回覧して手書きで写していたほどだ。
(ダンテ・ガブリエル・ロセッティ詩画集 1902年版 パンテオン 昭和3年)
最近運良くこの「ロセッティ詩画集」をeBayで入手出来た上に、あの蒲原有明による名訳が載った幻の「パンテオン」まで見つかったのは僥倖だった。
世界中の希少な古書類がネットで容易に探せる時代が来るとは、鎌倉文士達の頃には全く考えられなかったろう。
特に大正時代は第1次世界大戦の混乱もあり洋書はかなり入手難で、有明でさえロセッティの原典は買えず知人に借りて読んだらしい。
この有明訳の「天津郎女」(原題The Blessed Damozel)は、私の知る限りあらゆる日本語の詩文の中で最も美しき神韻だ。
次の写真こそ日本ではミューズ(ムーサ)の化身とも称えられたクリスティーナ・ロセッティの詩集で、兄のダンテによる挿絵も美麗な珠玉の宝書、英国浪漫派の聖遺物だ。
(ポエムス クリスティーナ・ロセッティ 1901年版)
実は詩人としては兄より妹のクリスティーナの方が名高く、ダンテ・ロセッティはラファエロ前派を代表する画家としての方が良く知られている。
鎌倉文士達も伝説のサッフォーと並べてクリスティーナ・ロセッティこそ詩の女神と思い込み、競ってこの書を探し求めた。
彼女の可憐にして気高き詩魂は、まさにミューズの名を冠するに全く異論は無い。
最後の1冊はロセッティと同じくラファエロ前派の詩画人でブックデザイン界の巨匠、ウィリアム・モリスだ。
(地上の楽園 ウィリアム・モリス 1890年版 炉鈞窯ポット 青南京皿碗 19世紀)
活字まで自作したモリス工房のオリジナル版はイギリスでも美術館級の高値で、とてもこの隠者如きが手に出来る物では無い。
しかしこの版も19世紀ビクトリア様式の華麗な装丁で、楽園の四季の夢幻なる詩物語にふさわしい。
身辺の自然美や四季の暮しの中に燦めく聖性を見い出す事は、古今東西変わらぬ詩人達の永遠の悲願であろう。
「地上の楽園」はそういった人類の理想郷を格調高く歌い上げた英文学の金字塔だ。
先に取り上げたミルトンの「失楽園」とこのモリスの「地上の楽園」は合わせて賞すべき浪漫主義文学のマスターピースとなっている。
5回に渡り紹介して来た英国浪漫派の系譜は中世的キリスト教思想から脱し、ギリシャローマやケルトの神話を取込んだ幻想的で豊穣な詩世界を創り上げ、トールキン以降の現代ファンタジーの礎を築いた。
また古き良き浪漫主義の諸芸術は20世紀の現実主義物質主義下で長らく不遇だったが、20世紀末からは多くのファンタジー小説映画ゲームなどが世界中で大ヒットするようになった。
この隠者も大昔からの浪漫主義者なので、昭和の現実主義文化(文芸では自然主義と言う)より近年の各種ファンタジーの方が断然好みに合い、今はライトノベルに至るまで存分に楽しむ日々を過ごしている。
©️甲士三郎