コヤチン、さまよい日記

静岡県内を東へ西へ行ったり来たりしています。
応援している清水エスパルスの試合の感想もお伝えします。

ニューイヤーカップ3連敗VS浦和

2015-02-14 23:53:15 | 清水エスパルス
今日のニューイヤーズカップ第3戦Vsレッズはダイジェストしか見ていません。
結果は3-5となって3連敗の最下位で終わりました。

5失点って…
去年と同じじゃないの。それもレッズにやりたい放題やられて。
ディフェンスの修正は全くされていません。ボールウォッチャーが多すぎる。

いいところは3得点ですか。
元紀の2得点は明るい材料ですね。村田も得点しましたね。これに新外人が絡んでくれればいいんですが。

まあ、本番じゃなくて良かったって事でしょうか。でもキャンプも終盤ですトレーニングの結果が5失点では寂しすぎます。
1ヵ月弱でどこまで立て直すのか。ヤコのCBちょっと怖いですが代わりがいません。
犬飼楽しみだと思います。

攻撃の活性化が全体のバランスをよくしてくれる事を望みたいです。

沼津を潮風に乗って歩いていました。

2015-02-14 19:00:30 | タウンウォーク
今日もお天気は良好です。
今回のタウンウォークは地元の沼津を歩いて行きたいと思います。近所なのでお手軽ウォークです。

まずは実家から西に向かいます。
旧1号線との合流手前に妙伝寺があります。ここはいつも何の気もなく通り過ごしていたのですが、長篠の戦いで活躍した大久保忠佐の墓があるそうです。忠佐は1601~1613年三枚橋城主として沼津で暮らしました。近くに育ちながら知らない事って多いのですね。
妙伝寺。

その妙伝寺の西側を流れる川は新中川といいますが、地元では囚人掘と呼ばれています。昭和10年代に工事が行われ、静岡の刑務所の受刑者を使って切り開いた水路です。昔に比べると川が浄化されていました。
 新中川(囚人堀)

妙伝寺の裏側を少し海に向かうと「六代松の碑」があります。三位中将平継盛の嫡男、六代の首が眠る場所です。六代は平家一門の滅亡に伴い、源頼朝の家来北条時政によって捕らえられ、鎌倉ヘ護送の途中、千本松原において処刑されようとした。その際、文覚(もんがく)上人の命乞いによって赦免となったが、その後文覚上人の謀叛に連なり、処刑されたと伝えられている。
悲しい出来事ですね。
六代松の碑

ここから海側に出たいと思います。コヤチンの母校の中学校が見えてきたと思ったら、マンションの前に「若山牧水旧宅跡」という立て札がありました。中学校在学時は全然知りませんでしたがこんなに近くに旧宅があったんですね。
母校の中学の裏側を歩いて行きましたが、当時と同じなのは校舎の裏側にあるテニスコートぐらいでしょうか、体育館も大型のデラックスな物に変わっていました。体育館が大きすぎて校庭を眺める事はできませんでした。

この道狭い割に交通量が多いので松林の中を歩いて行きたいと思います。
沼津西高の塀が尽きた所に「首塚」があります。
1580年小田原北条氏と甲斐の武田氏の千本浜の合戦の戦死者を葬った塚です。首塚がつくられたのは1900年で暴風雨で倒れた松の下から大量の人骨が発見された事から造営されました。
 首塚。

この後は千本松原の林の中を歩いて行きたいと思います。この松林は子供の頃しょっちゅう遊んでいました。言わばホームグラウンドの様な所でした。
中に「井上靖文学碑」や「若山牧水の歌碑」等があります。牧水の歌碑に刻まれている「幾山川越え去りゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく」は市民だったらかなりの人が知っていると思います。
このほかコヤチンの高校の先輩の歌人明石海人の碑もあります。
 松林の中を歩きます。子供の頃からホームグラウンドです。

 井上靖文学碑

 若山牧水歌碑。

 増誉上人の像です。

 母校の大先輩 明石海人歌碑

防波堤に出て海を見ながら歩いて行きたいと思います。いつも富士山を見に来るスポットですので景色はおなじみになりました。
今日は天気はいいのですが海から吹いてくる風が冷たいので手袋をして歩きました。
 御馴染みの場所に到着。

沼津港外港、湾口公園を思い出に浸りながら歩いて行きます。
沼津港のグルメ街を横に見て直進して港大橋を渡って行きます。
 沼津港外港。

 湾口公園から「びゅうお」

対岸の最初の信号を右に曲がり我入道という奇妙な地名の場所を通り越して更に直進、牛臥山の麓にでます。
更にカーブした道を道なりに歩いた所に「牛臥山公園」があります。ここも初めて来た公園です。
ここからは海の景色を堪能できます。淡島方面や三の浦の風景が見渡せます。富士山は牛臥山の反対側になりますのでこの公園からは見る事ができません。海に突き出た所からは南アルプス方面も見る事が出来ました。
 牛臥山公園から徳倉山方面

 ここから富士山は見えません。南アルプスは見えました。

 淡島も穏やかに浮かんでいます。

 360度の展望。

ここから更に南に歩いて「御用邸記念公園」の前まで歩きました。
この公園1970年に昭和天皇が利用したのを最後に一般公開されました。この公園の開園のフェスティバルのような催しがあって行ったのを覚えています。
 御用邸記念公園の入り口

来た道を戻って牛臥山公園の前を通り越して海側に入って行くと我入道公園があり、そこに芹沢光次郎文学記念館があります。ここは中学校時代に一度入った事がります。考えてみると沼津って色々な文学者のゆかりの地なんですね。

ここから再び海に出る事ができます。進んで行くと狩野川の河口にでます。対岸には展望水門「びゅーお」が建っていてここからは富士山も見えます。
川沿いに歩いて去年の秋に歩いたコースで港大橋を渡ります。
 対岸に富士山と沼津港

 香貫山方面。箱根方面も見渡せます。

 港大橋越えの富士山

再び沼津港に出ました。ここからは昔走っていた貨物専用線の沼津港線(通称:蛇松線)の廃線後に蛇松緑道という遊歩道に生まれ変わった道を歩いて帰りたいと思います。
沼津港の魚市場に当時のプラットホームが残っています。
 再び沼津港に着きます。

 蛇松線の沼津港のプラットホーム。

沼津港の信号を渡った所には線路の跡があります。感激!!
 線路跡にも遭遇。

更に蛇松緑道に入って行くとレールの跡が残っています。アスファルトで固められずに残っている個所もあります。
蛇松線を貨物が走っていた当時が思い起こされました。小学校低学年頃は蒸気機関車だったんですよね。列車が通り過ぎた後の石炭の匂いが懐かしいです。
 踏切があったんですね。

 線路がそのまま残っていました。

その後は完全な遊歩道になって行きますが、花の手入れは地元の自治会の皆さんで行われているようです。気持ちい散策ができるように陰で支えてくれている人達がいる事を忘れてはいけないと思いました。
 落ち着いた遊歩道になっていきます。

 正面に富士山が見えたところで今日のタウンウォークの終了です。

コヤチンの自宅が近くなった所で富士山が正面に見えてきます。
これで今日のタウンウォークは終わりですが、今日歩いた殆どは小学校・中学校時代よく遊んだ場所でした。
今になって発見した場所もあり懐かしさに浸れた場所もあり、充実した午前中の約4時間(休憩含む)のウォーキングでした。