沼津の実家の家財道具の搬出の予定が徐々に決まってきました。
こまめに処分してきましたがいよいよ大きなものを業者に委託する事にしました。
なかなかお金がかかるもんですね。
しかしこの段取りを進んでいく先に実家とのお別れのカウントダウンが進んでいると考えると悲しいです。
あと少し生まれ育った家と近所の風景を味わって行きたいと思います。
今日近所を歩いていて感じたのは、町内の商店街が以前はあって子供の頃「お使い」で買い物に行くと店のおじさんもおばさんも顔見知りで気軽に声をかけてくれました。近所のコミュニティがあったのですね。
かつては八百屋も魚屋も肉屋もお菓子屋もあったのに今も営業を続けているのは文房具屋と果物屋と自転車屋しかありません。
もう商店街と呼べなくなっています。
採算性や後継者がいなかったりで店を閉めざるを得なかったと思います。日本全国の商店主の共通の悩みかもしれませんね。
その商店街が活気あった頃の景色がセピア色に頭の中に蘇っていました。
こまめに処分してきましたがいよいよ大きなものを業者に委託する事にしました。
なかなかお金がかかるもんですね。
しかしこの段取りを進んでいく先に実家とのお別れのカウントダウンが進んでいると考えると悲しいです。
あと少し生まれ育った家と近所の風景を味わって行きたいと思います。
今日近所を歩いていて感じたのは、町内の商店街が以前はあって子供の頃「お使い」で買い物に行くと店のおじさんもおばさんも顔見知りで気軽に声をかけてくれました。近所のコミュニティがあったのですね。
かつては八百屋も魚屋も肉屋もお菓子屋もあったのに今も営業を続けているのは文房具屋と果物屋と自転車屋しかありません。
もう商店街と呼べなくなっています。
採算性や後継者がいなかったりで店を閉めざるを得なかったと思います。日本全国の商店主の共通の悩みかもしれませんね。
その商店街が活気あった頃の景色がセピア色に頭の中に蘇っていました。