遥かなるピリカヌプリを求めて

ピリカヌプリに行ったので、次は1839!

ニセコでスキーを楽しむ

2013年02月27日 | あれこれ
先週末は、会社の同僚5人と金土の泊り込みスキーに行ってきた。ニセコでスキーを滑るのは30年振り、その時も会社の仲間と一緒だった。

初日は、ひらふスキー場、この付近でもっとも大きいスキー場で、平日にもかかわらず大勢の人たちがいた。ホテル宿泊と一日リフト券がセットになっているプランで、リフト券は非接触型ICカード(スノーパス)となっていてイチイチ見せる必要がない。時代がここまで来たのかと感心した。なおカードの持ち帰りを防止するため、使用前に保証金1000円を払い、カード返却でお金が戻ってくる仕組みとなっている。

今回は登山ではないが、身についた習性なのか大して荷物も入っていないザックを背負い、登山のいでたちと違うのはスパッツを着けていないことだけだった。最初にゴンドラに乗って中間地点から足慣らしをし、その後花園コースを滑って、かなり上の方にあるレストハウスで昼食をとった。ゲレンデではまったく気づかなかったが、レストハウスにいた人たちの9割が外国人だったことに驚いた。

今回参加の男6名のうち、スキーとスノーボードがそれぞれ3人、年齢的にも中高世代3名、30才代3名の組み合わせ。スキー準指導員やスノボー・スラロームの競技者もいて、自分一人が浮いている感じもしたが、ホテルでは源泉かけ流し温泉にゆったりとつかり、昼間に撮影したビデオを肴にしながらワイワイ楽しく過ごした。



翌日は、チセヌプリスキー場、断続的に雪が降っていたが、滑走にはまったく問題ない。ここにはリフトが1基でとてもシンプルなスキー場だが、コースを外れた林間の新雪を滑ることもでき、バックカントリー派の人たちに強く支持されていることがよく理解できた。現にヒールフリーのスキーを履いている人やスノーシューを携えたボーダーが多く目についた。このスキー場が今期限りで閉鎖するとはとても残念なことである。20年以上経過した設備は耐用年数が過ぎ、リニューアルに3億円もの費用がかかるとのこと、スキー場存続の署名運動がなされているが、だましだましの運用にも限界があるだろう。閉鎖する前にもう一度来ようと思った。

今回はスキー板にシールを貼ることはなかったが、ゲレンデ滑走でとても上手になったような気分で終えることができた。この感触が本物であるか今週末の天幕山、突角山で確かめよう...


ビーコン購入

2012年11月12日 | あれこれ

札幌は今週にも初雪の便りが届くとのこと、いよいよ雪山シーズンが近づきつつある。昨年から始めた山スキーであるが、今年は密かに大きく飛躍(上達)できるのではないかと期待しているのだが...

雪山装備は概ね揃えてきたが、唯一残っていたのがビーコン。ゾンデ、シャベルと共に三種の神器と呼ばれる装備の携帯は、雪山で活動する登山者にとっては義務というべきものになっている。会の備品を借用するのも2年目では何かと気が引け、なんとかしなければという焦りもあって、先日の秀岳荘バーゲンセールで思い切って購入してきた。


(今のところキズひとつない新品ですが、1年経ったらどうなっているのでしょうか)

購入したのはマムートの”エレメント バリーボックス”という機種、デジタル方式3アンテナ。デジタル方式はターゲットとの距離が数値で表示され、アナログ方式は音の強弱で表現するが、デジカメで”カシャ”というシャッター音が出るように、デジタル方式でも距離に応じて音の強弱を変えてくれる。

また、SEARCH(受信)モードで8分経過すると自動的にSEND(送信)モードになる機能や、電源投入直後のSENDモードでも他のメンバのビーコンチェック(発信確認)ができる機能など、二次災害や操作忘れ防止などのフェイルセーフ機能が充実している。こんなことを実感できるのも、昨年の学習の賜物である。


(傍から見ると何やってるの?という感じの風景ですね)

ビーコンが活躍する場面は一生に一度あるかどうかだが、いざというときに使えないということがないようシーズンインに先駆けて会でビーコン訓練が企画されたので、宝の持ち腐れとならないよう、銭函大浜海岸での訓練に参加してきた。砂浜に隠したターゲットの探索を通して自分のビーコンの性能を確認することができ、とても有意義だった。それにしても、機能だけでなく身体に装着した状態からの迅速な取り出しなど、あらゆる面において人間工学的に考えられていることに感心した。

近所の低山を登ろうと画策しているけれど、天候悪化や時間切れなどでブログに載せられる山行になっていない。今週末こそはと思っているけれど、天気予報は雪や雨、前途多難である。


 


道道914号新富神里線

2012年10月26日 | あれこれ

道道914号新都富神里線は、札幌から昆布岳に行くときに利用する道路、未舗装の道路は初めて通ると迷ったのでは思わせ、これまで昆布岳登山で2回ほど利用していた。

先日、連れ合いと両親の墓参りのため日帰りで函館に行ってきた。出発したのが昼過ぎだったので函館に到着したのは夕方で、急いでお寺にお参りした。あとは帰るだけということで赤レンガ倉庫で食事をして函館を後にした。

帰りは高速代をケチり中山峠経由とするために豊浦で高速を降り、国道を少し進んで喜茂別方面にショートカットする道に左折した。ここが間違いのもと、本来は洞爺湖方面への97号線に入るべきところをその手前の702号線に入ってしまったのだった。

道なりに行けば喜茂別方面に出られると何も考えずにクルマを走らせていたが、途中から舗装が途切れてしまった。工事?と思って更に進んで行くと道路は山の中に入っていく。辺りは真っ暗闇の夜の9時。ヤバイと半分腰も引けていたが、昆布岳に行くときに利用したことのある道のようでもあり、一縷それを信じて進んだ。しばらくいくと見覚えのある橋があり、あの道だという確信を持ったが、なんせ夜の9時真っ暗闇の山の中、不安な気持ちでいっぱいは変わらない。隣に座っている連れ合いは身体が固まって一言も声がない。何度もハンドルを切りながら真っ暗闇を進んで、その先に電柱の明りが見えてきたときは、心から安心できた。

道を走っていつの間にか山奥に迷い込む、よくある怖い話にでてくるシチュエーションだった。

 


虫歯の治療

2012年10月12日 | あれこれ

最後に歯医者に罹ったのはいつのことだったか。金属を詰めた奥歯が痛いと感じ始めたのが半年前、伝染したかように両下奥歯が痛むようになった。そうしているうちに、片方の奥歯が欠け大きな穴が空き、食べ物が挟まるたびにズキンという痛みに襲われる。もう我慢の限界にきたので会社の近くの歯医者に飛び込み、歯医者さんの、”これはひどいですね”という言葉で治療は始まった。

初回からいきなり一番ひどい状態という右下奥歯の神経を抜いた。麻酔をしていても少し痛かった。翌週は、左下の神経を抜いた。3回目は、右下の型をとった。4回目は、型で作られた金属型を被せた。5回目は、左下の型をとり、6回目にその金属型を被せて、約1ヶ月強の治療が終了。ホントは他にも要治療の歯があるのだが、優先度が低いので今後改めてとした。計6回分の治療費は約2万円、1本1万円の計算だが、食事をするたびに戦々恐々として一日中歯のことを意識していた悪夢の日々を考えれば安いものである。

歯の痛みに耐えかねて20年ぶりに罹る患者の緊張をよそに、歯科医さんは淡々と処置をする。保険適用や衛生指導などのアンケートによる希望に沿った治療である。前回の虫歯治療はよく覚えていないが、今回とても手際が良いと感じた。これで、しばらくは歯のことを意識することなしに生活することできるだろう。ちなみに通院した歯医者は札幌駅近くの柿崎歯科です。
  


落語を聞く

2012年06月26日 | あれこれ

帯広で、図らずも”桂かい枝”さんの落語を聞く機会に恵まれた。
帯広の英語塾が主催しているもので、今年で3回目だという。
インターネットで調べてみると、英語落語というものを引っ提げて全米ツアー?を成功させた人だ。

しかし当日演じた落語に英語はなく、生粋の落語。落語を直に聞くことは初めてであったが、やっぱりプロの落語家は違うな~と思った。当日の演目は古典落語2つ、創作落語1つの3つ。リストラをテーマとした創作落語のオチはちょっと笑えなかったが、2時間はあっという間に過ぎていた。