般若心経

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2020-06-25 | Weblog

 ゼノ修道士のこと

 先日の隅田川にかかる白髭橋近くのビル探しの余話です。
 この白髭橋の下流2つ目に言問橋という橋があります。
戦後間もないころ、この橋のたもとに蟻の町(アリの町)という廃品回収を生業としている人たちの集落がありました。人々の暮らしは貧しく、子供たちは学校に行くこともできず、親の手伝いをしていました。またそのすぐ西の浅草かいわいには大勢の戦争被災者や孤児がいました。
 これらの人々に救援、支援の手を差し伸べたのが、戦前から日本に来て布教活動をしていたポーランド人のゼノ修道士でした。ゼノ修道士は食料、日用品などの寄付を集めて、これらの品々を必要とする人々に配って回ったのです。企業や官公庁と対等に話し合い、かといってその要請は強要とか情けを乞うといったものではなく、ゼノ修道士は寄付する側、与えられる側ともに心を豊かにする人だといわれていました。その行動はときにはユーモアを交え、確固たる信念に基づいたものでした。
ゼノ修道士の活動は戦後の日本全国に及び、支援の輪が広がりました。当時このような活動は奉仕とか慈善と呼ばれて、まだボランティアという言葉が聞き慣れなかった頃のことです。日本人がやらなければならないことを外国ポーランドから来たゼノ修道士が一生懸命にやられている、その活動はキリスト教の布教のためではありません、しかし、その活動の根源はキリストへの信仰心だと思います。神とは、信仰とはこのように人を強くするものかと深く感動した覚えがあります。
 伝教大師最澄に忘己利他《もうこりた》(己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり)ということばがあります。自分のことは後にして、まず人に喜んでいただくことをする、それは仏さまの行いで、そこに幸せがあるのだと説かれています。作家であり僧侶でもある瀬戸内寂聴さんは「世界中の宗教の中でこの言葉を否定する宗教はありません」と話されています。
ゼノ修道士はその最期を日本で迎えました。まさに忘己利他を身をもって呈された一生でした。

ゼノ修道士の活動は『ゼノ死ぬひまない』という単行本に紹介されています。





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