「荒仏師 運慶」
梓澤 要/著 (新潮社 p.364)
先月4月20日のこと、コロナ対策のため図書館業務が縮小されると聞いて急いで借りてきました。
平安から鎌倉にかけての仏師運慶の物語です。
この本には多くの地名、お寺、そこに納められた仏像が登場します。それらの多くは初めて聞く名でした。今回は時間もあったので、本を読むときにその名をネットで検索し画像を眺めながら読み進めました。ネットのなかった時代には考えられない臨場感をもって読むことができました。
ああそうだったのか。
東大寺南大門の二王像のことです。この二王像は運慶、快慶の作として中学校の美術の本にも載っている有名な像です。
二王像は口を開けた阿形、口を閉じた吽形が対になっており、普通、門前から見て右側が阿形、左側が吽形になっています。ところが東大寺の南大門の二王像はこれが逆で左が口を開けている阿形、右側が口を閉じている吽形になっているのです。なぜなのか、以前に調べたことがありましたが、分からず長い間の謎でした。その謎が分かったのです。
東大寺大仏殿の大仏大勧進役として奔走した重源上人が指示したのでした。その根拠は上人が宋国から持ち帰った 北宋の霊山変相図《りょうぜんへんそうず》にあります。この図は釈迦が菩薩、天人、夜叉らを前に説法する図で、その中に釈迦の斜め前両側に立つ二王像、阿形が左 吽形が右となっています。重源上人がこの図にこだわり、運慶に命じて像を作製させたのです。
「わしらだけではない。わしらに仏さまを造らせる人も功徳を積める。それを拝んで祈る人が救われ、その人が誰か他人や多くの人や世の中のために祈れば、功徳を積むことができるからだ。自分のためだけでなく、他者のために祈り、人のために善いことをして生きようとする。仏さまにつながるというのは、そういうことなのだ」
もう夏?
コロナ禍の中、立夏はとっくに過ぎていました。
梓澤 要/著 (新潮社 p.364)
先月4月20日のこと、コロナ対策のため図書館業務が縮小されると聞いて急いで借りてきました。
平安から鎌倉にかけての仏師運慶の物語です。
この本には多くの地名、お寺、そこに納められた仏像が登場します。それらの多くは初めて聞く名でした。今回は時間もあったので、本を読むときにその名をネットで検索し画像を眺めながら読み進めました。ネットのなかった時代には考えられない臨場感をもって読むことができました。
ああそうだったのか。
東大寺南大門の二王像のことです。この二王像は運慶、快慶の作として中学校の美術の本にも載っている有名な像です。
二王像は口を開けた阿形、口を閉じた吽形が対になっており、普通、門前から見て右側が阿形、左側が吽形になっています。ところが東大寺の南大門の二王像はこれが逆で左が口を開けている阿形、右側が口を閉じている吽形になっているのです。なぜなのか、以前に調べたことがありましたが、分からず長い間の謎でした。その謎が分かったのです。
東大寺大仏殿の大仏大勧進役として奔走した重源上人が指示したのでした。その根拠は上人が宋国から持ち帰った 北宋の霊山変相図《りょうぜんへんそうず》にあります。この図は釈迦が菩薩、天人、夜叉らを前に説法する図で、その中に釈迦の斜め前両側に立つ二王像、阿形が左 吽形が右となっています。重源上人がこの図にこだわり、運慶に命じて像を作製させたのです。
「わしらだけではない。わしらに仏さまを造らせる人も功徳を積める。それを拝んで祈る人が救われ、その人が誰か他人や多くの人や世の中のために祈れば、功徳を積むことができるからだ。自分のためだけでなく、他者のために祈り、人のために善いことをして生きようとする。仏さまにつながるというのは、そういうことなのだ」
もう夏?
コロナ禍の中、立夏はとっくに過ぎていました。