般若心経

写経
四国八十八ヶ所

般若心経

2017-01-10 | Weblog
1646

「メディアの仕組み」

年初めのテレビで出ていたので読んでみました。


情報があふれている社会でいま必要なものは
『「正しい情報」と「間違った情報」を瞬時に切り分ける能力ではなくて、「実は分かっていないんじゃないか」という恐れ(疑い)をもつこと。』 (p.142)

般若心経

2017-01-08 | Weblog
1645

なぜ仁王門なのでしょうか?

熊谷寺

 お寺の入り口の山門、なぜ「仁王門」と呼ばれるのでしょうか。
山門に仁王様がおられるからなのですが・・・。
極楽寺
 仁王様は元々執金剛神という仏法とお寺を守る神様で、執金剛神の分身が一対の像となったものです。(仁王様が金剛力士像と呼ばれるのはこのためです)
山門には執金剛神の他に天部の神様、持国天王と増長天王などニ天王を門の左右に二体一組で安置されますので、もともとは「二王門」と呼ばれていました。執金剛神も天部の神様です。
ところで、日本に古くから伝えられたお経に仁王経(にんのうきょう)というお経があります。仁王とは民をあわれみ徳を具えた帝王のことで、仁王経は鎮護国家、仏教における帝王のあり方について述べられた経典です。
仏教(お寺)は民の安寧とともに国家の安泰をも祈念していますので、帝王を表す仁王と もともと呼ばれていた二王が混同されて、二王様が仁王様と呼ばれ、「二王門」の俗称として「仁王門」が使われるようになりました。(中村 元 著 「仏教語大辞典」、服部宇之吉 小柳司氣太共著 「詳解漢和大字典」)
 江戸時代前期中期に書かれた「四国遍礼霊場記」(元禄2年 1689)、「四国遍路日記」(正徳4年 1715)や江戸、京都の名所図会にはすべて「ニ王門」と記されており、江戸時代後期に書かれた「四国遍礼名所図会」(寛政12年 1801)には「仁王門」と記されています。ですから江戸時代の中期から後期にかけて「ニ王門」が「仁王門」と呼ばれるようになったと思われます。
 今では多くのお寺の山門は「仁王門」と呼ばれていますが、京都三大門のひとつ世界遺産の仁和寺(にんなじ)の山門は本来の「二王門」と呼ばれています。
また全国に国宝に指定されている山門は3つありますが、文化庁にはいずれも「二王門」として登録されています。
国宝の二王門
・四国八十八ヶ所第51番石手寺の山門(鎌倉後期)
・京都府北部綾部市にある光明寺の山門(鎌倉前期)
・奈良県吉野にある金峯山寺(きんぷせんじ)の山門(室町中期)

仙遊寺

南光坊

【話の種に】
・執金剛神の仁王様は上半身裸体ですが、天部の神様は鎧や冑、弓矢や刀を身に付けています。
・山門はなく、仁王様だけがお寺の入り口に立っている門は露座仁王門といいます。
・仁王様は外より門に向かって右が口を開けた「阿行(あぎょう)像」、左が口を閉じた「吽行(うんぎょう)像」です。
・神社入り口の狛犬も右が口を開け、左が口を閉じています。
・沖縄の各家庭の門の上に置かれているシーサーも向かって右が口を開け、左が口を閉じています。対で並べられているものも同じです。
・東大寺南大門の金剛力士像は通常と違い、左が口を開けた「阿行像」、右が口を閉じた「吽行像」です。
・京都市下京区の平等寺には本堂の扉の両側の壁に仁王様が書かれている仁王画があります。
・天部の神様を安置した山門の中には「ニ天門」と呼ばれているところもあります。
(浅草の浅草寺や寅さんで有名な柴又帝釈天など)

般若心経

2017-01-06 | Weblog
1644

仁王様、なぜ直さないのでしょうか?

「仁王さん、どうしてボロボロなん?」
先日、善通寺で小さな男の子が聞いていました。
私も以前同じ疑問をもっていました。
お寺に入ると庭は掃き清められ、本堂の中や宿坊、納経所などもきれいに掃除されています。仏様の前の仏具もぴかぴかに磨かれて光輝いています。
一方、多くのお寺の山門の仁王様は、塗装は剥がれ木の地肌がむき出しになり、中にはひび割れ、虫喰いの穴が開いているものもあります。素人目にも風化が始まっていることがわかります。屋根と囲いに覆われてはいますが、外気に直接触れる場所にあるため屋内に安置されている仏様に比べて劣化の度合いが激しいのでしょう。もともとはきれいな彩色、塗装が施され、色鮮やかに輝いていたのでしょうが、その跡形もありません。
なぜ修理して当時の輝きを取り戻さないのでしょうか?不思議に思いませんか。

 2014年のこと。善通寺の仁王像が香川県立ミュージアムへ運ばれ、同館で開催された「四国へんろ展」に出展されました。その折、学芸員の方に質問したことがあります。
そのときのお話によると
「仏像は信仰の対象であるとともに、文化財としての価値を考えなければなりません。
文化財の修理については『現状維持修理』という基本理念があり、現状の文化財としての価値を失わせずに、劣化や損傷を食い止め、保存を図るということが原則なのです。
年月を経てきた仏像には、歴史という文化財的価値が生じています。
今の時代ですから仏像を新品同様に形を直し塗りなおすことは技術的に十分可能です。
しかしそれでは仏像がいままで経てきた歴史、年月をすべて否定し、なくすることになります。
仏像のもっている歴史的価値を損なわずに次の世代へ引き継ぐこと、これが『現状維持修理』です。
ですから、修理といっても出来た当時の姿を取り戻すということではありません。
仁王様を含め仏像の修理はこのことを踏まえて所有者、文化財担当者、専門家など複数の意見を取り入れながら検討されます」
ということでした。
 私たちは修理というと自動車の板金修理のように新車同然の姿に戻すこと、リホームのように以前よりより一層きれいにすることを思いうかべますが、仏像の修理はそうではないのです。
 お寺の掲示板やガイドブックなどには仏像が創建された由来、歴史が掲げられています。
お寺にお参りする際にはその仏像が作られた時代背景に思いを馳せ、遠い祖先から手渡しされて来た仏像の歴史を考えることも大切です。
数百年間大勢の人に見られ、また大勢の人を見てきた仏像の歴史の一時を仏像とともに生きているという思いがすることでしょう。

般若心経

2017-01-04 | Weblog
1643

1月3日
JRみの~五岳山~善通寺~JR宇多津

一日中よい天気で、筆の山上りでは、まるで春の陽気、汗びっしょり。
今日も大勢の人に会いました。
出釈迦寺奥の院では初詣り。
本坊より歩いて登っている人もいますが、自動車で送り迎えしてくれるので、お年寄りから子どもまで多くの人がお参りに来ていました。糟汁のお接待。
我拝師山捨身ヶ嶽、大坂峠の両側共に家族連れや若い男女いろいろな人が登って来ました。
「こんにちは」と声を掛け合うだけで、元気になるような気がします。
我拝師山の下りで走って登って来た若い男性。自衛隊かなと思って聞いたところ、地元の人で、いつもは五岳山から天霧山まで走っているそうです。世の中には信じられないような人もいるものだとおどろきました。

善通寺御影堂では門の外まで行列が続いています。かなりの時間がかかりそうなので、列最後尾より遥拝。本堂も同じ。

奥の院


善通寺

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2017-01-02 | Weblog
1642

1月1日 初詣

箸蔵寺


こんぴらさん