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なぜ仁王門なのでしょうか?
熊谷寺
お寺の入り口の山門、なぜ「仁王門」と呼ばれるのでしょうか。
山門に仁王様がおられるからなのですが・・・。
極楽寺
仁王様は元々執金剛神という仏法とお寺を守る神様で、執金剛神の分身が一対の像となったものです。(仁王様が金剛力士像と呼ばれるのはこのためです)
山門には執金剛神の他に天部の神様、持国天王と増長天王などニ天王を門の左右に二体一組で安置されますので、もともとは「二王門」と呼ばれていました。執金剛神も天部の神様です。
ところで、日本に古くから伝えられたお経に仁王経(にんのうきょう)というお経があります。仁王とは民をあわれみ徳を具えた帝王のことで、仁王経は鎮護国家、仏教における帝王のあり方について述べられた経典です。
仏教(お寺)は民の安寧とともに国家の安泰をも祈念していますので、帝王を表す仁王と もともと呼ばれていた二王が混同されて、二王様が仁王様と呼ばれ、「二王門」の俗称として「仁王門」が使われるようになりました。(中村 元 著 「仏教語大辞典」、服部宇之吉 小柳司氣太共著 「詳解漢和大字典」)
江戸時代前期中期に書かれた「四国遍礼霊場記」(元禄2年 1689)、「四国遍路日記」(正徳4年 1715)や江戸、京都の名所図会にはすべて「ニ王門」と記されており、江戸時代後期に書かれた「四国遍礼名所図会」(寛政12年 1801)には「仁王門」と記されています。ですから江戸時代の中期から後期にかけて「ニ王門」が「仁王門」と呼ばれるようになったと思われます。
今では多くのお寺の山門は「仁王門」と呼ばれていますが、京都三大門のひとつ世界遺産の仁和寺(にんなじ)の山門は本来の「二王門」と呼ばれています。
また全国に国宝に指定されている山門は3つありますが、文化庁にはいずれも「二王門」として登録されています。
国宝の二王門
・四国八十八ヶ所第51番石手寺の山門(鎌倉後期)
・京都府北部綾部市にある光明寺の山門(鎌倉前期)
・奈良県吉野にある金峯山寺(きんぷせんじ)の山門(室町中期)
仙遊寺
南光坊
【話の種に】
・執金剛神の仁王様は上半身裸体ですが、天部の神様は鎧や冑、弓矢や刀を身に付けています。
・山門はなく、仁王様だけがお寺の入り口に立っている門は露座仁王門といいます。
・仁王様は外より門に向かって右が口を開けた「阿行(あぎょう)像」、左が口を閉じた「吽行(うんぎょう)像」です。
・神社入り口の狛犬も右が口を開け、左が口を閉じています。
・沖縄の各家庭の門の上に置かれているシーサーも向かって右が口を開け、左が口を閉じています。対で並べられているものも同じです。
・東大寺南大門の金剛力士像は通常と違い、左が口を開けた「阿行像」、右が口を閉じた「吽行像」です。
・京都市下京区の平等寺には本堂の扉の両側の壁に仁王様が書かれている仁王画があります。
・天部の神様を安置した山門の中には「ニ天門」と呼ばれているところもあります。
(浅草の浅草寺や寅さんで有名な柴又帝釈天など)