8月24日(月曜日) 晴れ


ケーブルTV会社のWiFiルータの電波力が2Fでは弱くなって
電話やLINEが話中に切れたりする。
電波力アップにメッシュWiFiルータを入れることにした。
軽量鉄骨で囲まれている部屋は特によくない。
~~~~~~~~~~~~~~~
畑のクネ(杭)は晴れていた時に強く固まって抜けなかったが
一昨日の雨でゆるくなってので、わりあいに軽く抜けた。
スイカとカボチャのネットを外したが汗がひどく出てきた。
少し草をかっぱいて、とりあえず終えたが
これから細かくして耕運機をかけなくては!でも暑い!
~~~~~~~~~~~~~
毎日新聞の余禄にあった。
感染症などの侵入を防ぐ検疫を英語で「quarantine」という。
イタリア語の「40」が語源で
かつて伝染病の上陸を食い止めるため、
船舶の下船許可まで40日待機させたことに由来するという。
~~~~~~~~~~~~~~
▲日本初の大規模な検疫は1895(明治28)年、
日清戦争終結後に艦船で帰国した兵員に陸軍が行った。
作業を統率したのは、当時37歳の後藤新平。
関東大震災の際、東京復興を指揮したことで知られるが、
もともとは医学校を出た官僚だった。
~~~~~~~~~~~~
▲新型コロナウイルスが猛威をふるういま、その取り組みが改めて注目されている。
後藤は、衛生は国家の責任だと考えていた。
予算も規模も破格の検疫を主張し、
広島市沖の「似島(にのしま)」など3カ所に検疫所を突貫工事で設けた。
約23万人の検疫を行い、コレラなどの感染防止に成果を上げた。
▲後藤の故郷、岩手県奥州市の「後藤新平記念館」は特別展を開き、
検疫の業務報告書や図表などを展示している。
中村淑子学芸調査員によると、
後藤が医療従事者の待遇改善を上司に説いた記録もある。
「いまのコロナ対策に通じる課題が感じられます」と中村さんは解説する。
~~~~~~~~~~~~~
▲似島はその後、広島に原爆が投下された際に検疫施設が救護病院となり、
被爆者約1万人が運びこまれた。
多くの市民が息絶え、今度は悲劇の地として歴史に刻まれる。
~~~~~~~~~~~~~~
▲感染者が増加するコロナ禍は、新たな局面を迎えている。
後藤の奮闘から125年。
政治や行政の判断が、国民一人一人の命を左右する。
その重みを改めて思う。
~=======================
と



ケーブルTV会社のWiFiルータの電波力が2Fでは弱くなって
電話やLINEが話中に切れたりする。
電波力アップにメッシュWiFiルータを入れることにした。
軽量鉄骨で囲まれている部屋は特によくない。
~~~~~~~~~~~~~~~
畑のクネ(杭)は晴れていた時に強く固まって抜けなかったが
一昨日の雨でゆるくなってので、わりあいに軽く抜けた。
スイカとカボチャのネットを外したが汗がひどく出てきた。
少し草をかっぱいて、とりあえず終えたが
これから細かくして耕運機をかけなくては!でも暑い!
~~~~~~~~~~~~~
毎日新聞の余禄にあった。

感染症などの侵入を防ぐ検疫を英語で「quarantine」という。
イタリア語の「40」が語源で
かつて伝染病の上陸を食い止めるため、
船舶の下船許可まで40日待機させたことに由来するという。
~~~~~~~~~~~~~~
▲日本初の大規模な検疫は1895(明治28)年、
日清戦争終結後に艦船で帰国した兵員に陸軍が行った。
作業を統率したのは、当時37歳の後藤新平。
関東大震災の際、東京復興を指揮したことで知られるが、
もともとは医学校を出た官僚だった。

~~~~~~~~~~~~
▲新型コロナウイルスが猛威をふるういま、その取り組みが改めて注目されている。
後藤は、衛生は国家の責任だと考えていた。
予算も規模も破格の検疫を主張し、
広島市沖の「似島(にのしま)」など3カ所に検疫所を突貫工事で設けた。
約23万人の検疫を行い、コレラなどの感染防止に成果を上げた。
▲後藤の故郷、岩手県奥州市の「後藤新平記念館」は特別展を開き、
検疫の業務報告書や図表などを展示している。
中村淑子学芸調査員によると、
後藤が医療従事者の待遇改善を上司に説いた記録もある。
「いまのコロナ対策に通じる課題が感じられます」と中村さんは解説する。
~~~~~~~~~~~~~
▲似島はその後、広島に原爆が投下された際に検疫施設が救護病院となり、
被爆者約1万人が運びこまれた。
多くの市民が息絶え、今度は悲劇の地として歴史に刻まれる。
~~~~~~~~~~~~~~
▲感染者が増加するコロナ禍は、新たな局面を迎えている。
後藤の奮闘から125年。
政治や行政の判断が、国民一人一人の命を左右する。
その重みを改めて思う。
~=======================
と