中さん

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日記(8.24)

2020-08-24 14:06:43 | 日常
8月24日(月曜日) 晴れ

ケーブルTV会社のWiFiルータの電波力が2Fでは弱くなって
電話やLINEが話中に切れたりする。
電波力アップにメッシュWiFiルータを入れることにした。
軽量鉄骨で囲まれている部屋は特によくない。
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畑のクネ(杭)は晴れていた時に強く固まって抜けなかったが
一昨日の雨でゆるくなってので、わりあいに軽く抜けた。
スイカとカボチャのネットを外したが汗がひどく出てきた。
少し草をかっぱいて、とりあえず終えたが
これから細かくして耕運機をかけなくては!でも暑い!
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毎日新聞の余禄にあった。
感染症などの侵入を防ぐ検疫を英語で「quarantineという。
イタリア語の「40」が語源で
かつて伝染病の上陸を食い止めるため、
船舶の下船許可まで40日待機させたことに由来するという。

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▲日本初の大規模な検疫は1895(明治28)年、
 日清戦争終結後に艦船で帰国した兵員に陸軍が行った。
 作業を統率したのは、当時37歳の後藤新平
 関東大震災の際、東京復興を指揮したことで知られるが、
 もともとは医学校を出た官僚だった。
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▲新型コロナウイルスが猛威をふるういま、その取り組みが改めて注目されている。
 後藤は、衛生は国家の責任だと考えていた。
 予算も規模も破格の検疫を主張し、
 広島市沖の「似島(にのしま)」など3カ所に検疫所を突貫工事で設けた。
 約23万人の検疫を行い、コレラなどの感染防止に成果を上げた。
▲後藤の故郷、岩手県奥州市の「後藤新平記念館」は特別展を開き、
 検疫の業務報告書や図表などを展示している。
 中村淑子学芸調査員によると、
後藤が医療従事者の待遇改善を上司に説いた記録もある。
 「いまのコロナ対策に通じる課題が感じられます」と中村さんは解説する。
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▲似島はその後、広島に原爆が投下された際に検疫施設が救護病院となり、
 被爆者約1万人が運びこまれた。
 多くの市民が息絶え、今度は悲劇の地として歴史に刻まれる。
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▲感染者が増加するコロナ禍は、新たな局面を迎えている。
 後藤の奮闘から125年。
 政治や行政の判断が、国民一人一人の命を左右する。
その重みを改めて思う。
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コメント
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