日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

井沢八郎逝く!

2007年01月18日 18時22分00秒 | 残日録
戦後を代表する、世相を映し出した「ああ上野駅」のヒットをみやげに井沢八郎が逝った。kunio_nikki 同世代の69歳であった。
1950年~60年代は、まだ戦後を引きずっていた。東北から(井沢八郎)、九州から(森進一)など多くの中学卒業者が、就職列車(就職のために都会に行くためだけの蒸気機関車に引かれた客車を連ねた貸切列車で、東北からは上野駅に着いた)に揺られて都会にやって来た。復興の槌音も高く、皇太子ご成婚(現天皇陛下と正田美智子さん)1970年~1974年の東京オリンピックにかけて高度成長はピークに達した。テレビがカラーとなり、高速道路や新幹線が整備された。家庭には3C(カラーテレビ、クーラー、カー)が、憧れの的となった。

ああ上野駅. 作詞 関口義明・作曲 荒井英一. 唄 井沢八郎
1 どこかに故郷の香りをのせて 
  入る列車のなつかしさ
  上野は俺らの心の駅だ 
  くじけちゃならない人生が
  あの日ここから始まった

(セリフ)
 『父ちゃん僕がいなくなったんで 
 母ちゃんの畑仕事も大変だろうなあ、
 今度の休みには必ずかえるから、 
 そのときは父ちゃんの肩も
 母ちゃんの肩も、もういやだって 
 いうまでたたいてやるぞ、
 それまで元気で待っていてくれよな』

2 就職列車にゆられて着いた 
  遠いあの夜を思い出す
  上野は俺らの心の駅だ 
  配達帰りの自転車を
  とめて聞いてる国なまり

3 ホームの時計を見つめていたら 
  母の笑顔になってきた
  上野は俺らの心の駅だ 
  お店の仕事は辛いけど
  胸にゃでっかい夢がある

井沢 八郎(いざわ はちろう、本名:工藤金一、1937年3月18日-2007年1月17日)歌手。青森県弘前市出身。
女優の工藤夕貴、元俳優でクラブDJの工藤正貴は実子。現妻は声優の青羽美代子。

上野駅にある「ああ上野駅」の歌碑は、2003年7月に建立された。弘前では中学生の頃から歌唱力に定評があり、中学卒業後、歌手を目指して上京。1963年に「男船」でレコードデビューを果たす。第二弾の「ああ上野駅」は井沢八郎の代表曲である同時に、戦後の世相を反映する代表曲となった。他に「男傘」「北海の満月」などのヒット曲がある。

2007年1月18日死去。死因は、食道癌。 合掌・・・!