日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

ああ論語!

2007年07月26日 20時40分02秒 | 残日録
今日、ブログを始めてから一番うれしい「コメント」があった。高校球児の夏が終わった(予選敗退)をかいたが、球児の父兄からのものでした。600~1000ヒットもある中、不良サイトのトラックバックや酷い中傷のコメントもある中で、清清しい「子供の成長を見守る、動きを目に焼き付ける」ような愛情が読み取れるものでした。この球児の将来へエールをお送りします。

さて、日本人の中にこれほど愛された「思想人」は、いないのではないでしょうか。「神」にまで祀りあげられた孔子です。近くの「閑谷学校(しずたにがっこう)」にも孔子廟があるし、日本各地にそれは見られる。
その為政篇2-4に孔子の一生を述懐したと思われる超有名な1篇がある。こんな人生があるはずがないと思うんですが、凡人の浅はかさでしょうか。有名な坊さんが(人々に人生を説いていた)余命数ヶ月のガンであると告知されたときに取り乱したと聞いたときに「当たり前だ(人生を達観なんてできないよ~)」となぜか安心感が湧いたことがある。

子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩。

こんな人間おらんじゃろ~!と叫びたくなりますが、孔子も苦しい人生だったのに、人生を振り返ったときに、こんなにいい言葉がでてきたんでしょうか?
孔子曰く、私は15歳で学を志し、三十で自立して、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳従う、七十にして心の欲するところのまま行動しても道を踏み外さなくなった。ここから日本人に愛された15歳(志学、しがく)30歳(而立、じりつ)四十歳(不惑、ふわく)五十歳(知命、ちめい)六十歳(耳順、じじゅん)七十歳(従心、じゅうしん)が、今も広く言われているのには驚きです。これが、2500年も前に語られたなんて・・・。