人生いろいろ、たぶん大丈夫だ?

40代の中年おじさんです。「四十にして迷わず」うーん、迷える中年羊を誰か救いたまえ。

Yellow Magic Orchstra

2012年02月10日 00時56分56秒 | 音楽
ぷららモバイルにしたおかげでYMOの動画を楽しむことができて幸せです。

彼らが日本の音楽市場に登場した1970年代後半、高校生であった私は大きな衝撃を受けました。

それまではテレビやラジオから流れる歌謡曲だけを聴いていたのですが、恋だの愛だのと歌っている歌謡曲にはどうしてもなじめませんでした。

YMOは音色がシンセサイザーで作られ(正確には100パーセントではありません)、それに興味が行きました。どうやって音を作っているの。その仕組みもわからないまま当時続々と出てきたシンセサイザーの音色をフューチャーした音楽にはまっていきました。
富田勲、喜多郎、クラフトワーク、ウルトラボックス、姫神せんせいしょんなどです。

ラジオから流れる音を必死で耳に残そうと聞いていました。当時テレビでYMOを見たのは一度きりだったと思います。(しかも、親から早く勉強しろと怒られながらでした)

YMOのワールドツアーグッツのホワイト地にYMOの文字が入ったシャツが欲しかったな。(確か抽選でプレゼントがあったはず)

大学に入ってからは洋楽全般(黄金の80年代!)を聞きまくり、バイトで買った大型ステレオラジカセでFMfanを片手にエアーチェックしまくりでした。

また部活では当時個人ではなかなか持っていなかったコンピュータのある、まじめな学問追求の部に入りました。本来はデータ解析用に部費で買ったのですが、誰も使いこなせなかったのと、後にプログラマーになる同級生の影響で、雑誌のベイシックプログラムを打ち込んではゲームをしていました。

NEC PC-6001では音源がなかったのでなぜか先輩が持ち込んだFM-7に打ち込みをして短音で音楽がなったときは感動しました。

その後楽器店に行くとKORGのモノ・シンセサイザーが売られていましたが高くて手が出ないんでカタログだけで我慢しました。そのカタログを隅から隅まで読み込んで、その時初めてシンセサイザーの仕組みを理解しました。

大学時代にはヤマハのDX-7というシンセがミュージシャンの間に広まっていましたが、なんと我が部の後輩の女の子が持っていると言うではありませんか!彼女は今思えば何でうちのような半分オタクの集まっている部に入ってきたのかわかりません。

大学時代にそういう出会いがあったにもかかわらず、私の興味が浅かったので結局、コンピュータとシンセをつないで音を出す、と言うことはできませんでした。

ずーっと後になり、ウインドウズが世に出てからローランドの音源を手に入れてコンピュータ上でミディファイルを作って遊んだことはあります。(その時はなぜかクラフトワーク風でした)

今あらためてみて聞いてみるとYMOの偉大さが身にしみてわかります。
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