最近悲しいニュースが多くなった気がします。
その中でも特に悲しいのが「自殺」です。
いわゆるいじめ問題、履修不足の問題で少年少女、校長先生が自ら命を絶っています。
生きていればどこかでやり直しが聞くかもしれないのに死を選ぶ。
死を選ばざるを得ない心境に侵されてしまっているのでしょう。
実に悲しいです。
僕は教師と言う立場ではないのですから知った風なことはいえないのですが、個人的に思うことを書いてみようと思います。
現在、教育基本法の改定が進められています。
しかし政府はこの改定について「いじめ問題や履修不足問題の抜本的な解決のための改定ではない」と言い切りました。
では、政府は現在の教育に対しどこを改善すべきだと感じているのでしょうか?
しかしながら、たとえいじめ問題や履修不足の解決策として教育基本法を改定したとしても、それらは消えないと思うのです。
それくらい今の日本には他者との競争意識、格差意識と言うものが浸透してしまっている気がします。
ごく最近の教育に関する変化は「詰め込み型教育」から「ゆとり教育」になったことでしょう。
これまでの知識ばかりを詰め込む教育を廃止し、完全週休二日制を取り入れ学習範囲も見直されたのが「ゆとり教育」です。
しかしこの「ゆとり教育」を取り入れてから言われるようになったのが学力低下です。
でも、ここに生じた問題は学力低下だけではないと思うのです。
今までの「詰め込み」型の教育をやめて本質的な知識の習得のために「ゆとり」型を取り入れたその狙いは分かります。
しかし、現状としてそこに待っていたのは学力低下であり、そこからそれを補うために組み込まれた無理なカリキュラムではないでしょうか?
結果として「ゆとり教育」によって取り入れられた完全週休二日制と言うものが足枷となり履修不足という問題を生んでしまったのではないでしょうか?
さらに「ゆとり教育」によってもたらされたのは授業のスピードアップだと感じます。
今までよりもタイトになった日程の中で今まで通り、またはそれ以上の成績を修めようとすれば授業のスピードが早くなるのは必然だと思います。
そうなると理解している生徒と理解できていない生徒の間に生まれる差が大きくなってしまいます。
理解できていないなら放課後教師に教えを請えばいいと考える人もいるかもしれませんが、勉強に対して苦手意識を持ってしまった生徒が自発的にそこまでするでしょうか?
また、中にはコミュニケーションをとることが苦手な生徒だっているでしょう。
そんな生徒が悪循環を繰り返してしまっているかもしれません。
そしてそれが全てではないにしろ、そこに生まれる格差と言うものがいじめの原因のひとつにはなっているのではないでしょうか。
少し話しを戻そうと思います。
先ほど教育基本法の改定に伴い政府は何を改善すべきと感じているのか?と書きました。
ここでもうひとつ付け加えたいのが、政府は何を見てきて改善すべき場所を判断したのかということです。
終戦後60年間変わることのなかったこれまでの教育基本法にしたってそこに求められたものを実現することはできませんでした。
これからの教育基本法も同じように理想論を掲げて終わってしまうのでしょうか?
こういった政策に振り回されるのはいつだって現場なのです。
新しい教育基本法には「学校バウチャー制度」と言うものが取り入れられようとしているそうです。
簡潔に言ってしまえば、これはより多くの生徒を獲得した学校にはそれに応じて予算を多く投じるというものです。
では、生徒を獲得できなかった学校はどうなるのでしょう?
予算が削られ、ギリギリの中運営していかなければならない。
そうした中で充実した学習に取り込めるかと言えば疑問です。
そこにまた悪循環が生まれるような気がします。
そして犠牲になるのは教師であり、生徒であるのです。
いま教育の現場において大切なことはもっと子供たちの本質的な部分と向かい合うことではないかと思うのです。
それは全てが学校の責任としてしまうのではなく、家庭環境からの見直し、さらには全ての大人たちの意識の見直しなのではないでしょうか?
家出をする子供が増えています。
不登校の生徒も増えています。
でもそこには原因がちゃんとあるはずです。
ワガママでしかないものもあると思います。
ただ、そこで突き放したりせずにちゃんと耳を傾けなければならないと思うのです。
そしてそれをするのは僕たち大人であり、親なのだと思うのです。
子供はいつだって自分の居場所を探しています。
自分の存在証明を欲しています。
まずそれを手渡してあげることが最初の1歩ではないかと思うのです。
その中でも特に悲しいのが「自殺」です。
いわゆるいじめ問題、履修不足の問題で少年少女、校長先生が自ら命を絶っています。
生きていればどこかでやり直しが聞くかもしれないのに死を選ぶ。
死を選ばざるを得ない心境に侵されてしまっているのでしょう。
実に悲しいです。
僕は教師と言う立場ではないのですから知った風なことはいえないのですが、個人的に思うことを書いてみようと思います。
現在、教育基本法の改定が進められています。
しかし政府はこの改定について「いじめ問題や履修不足問題の抜本的な解決のための改定ではない」と言い切りました。
では、政府は現在の教育に対しどこを改善すべきだと感じているのでしょうか?
しかしながら、たとえいじめ問題や履修不足の解決策として教育基本法を改定したとしても、それらは消えないと思うのです。
それくらい今の日本には他者との競争意識、格差意識と言うものが浸透してしまっている気がします。
ごく最近の教育に関する変化は「詰め込み型教育」から「ゆとり教育」になったことでしょう。
これまでの知識ばかりを詰め込む教育を廃止し、完全週休二日制を取り入れ学習範囲も見直されたのが「ゆとり教育」です。
しかしこの「ゆとり教育」を取り入れてから言われるようになったのが学力低下です。
でも、ここに生じた問題は学力低下だけではないと思うのです。
今までの「詰め込み」型の教育をやめて本質的な知識の習得のために「ゆとり」型を取り入れたその狙いは分かります。
しかし、現状としてそこに待っていたのは学力低下であり、そこからそれを補うために組み込まれた無理なカリキュラムではないでしょうか?
結果として「ゆとり教育」によって取り入れられた完全週休二日制と言うものが足枷となり履修不足という問題を生んでしまったのではないでしょうか?
さらに「ゆとり教育」によってもたらされたのは授業のスピードアップだと感じます。
今までよりもタイトになった日程の中で今まで通り、またはそれ以上の成績を修めようとすれば授業のスピードが早くなるのは必然だと思います。
そうなると理解している生徒と理解できていない生徒の間に生まれる差が大きくなってしまいます。
理解できていないなら放課後教師に教えを請えばいいと考える人もいるかもしれませんが、勉強に対して苦手意識を持ってしまった生徒が自発的にそこまでするでしょうか?
また、中にはコミュニケーションをとることが苦手な生徒だっているでしょう。
そんな生徒が悪循環を繰り返してしまっているかもしれません。
そしてそれが全てではないにしろ、そこに生まれる格差と言うものがいじめの原因のひとつにはなっているのではないでしょうか。
少し話しを戻そうと思います。
先ほど教育基本法の改定に伴い政府は何を改善すべきと感じているのか?と書きました。
ここでもうひとつ付け加えたいのが、政府は何を見てきて改善すべき場所を判断したのかということです。
終戦後60年間変わることのなかったこれまでの教育基本法にしたってそこに求められたものを実現することはできませんでした。
これからの教育基本法も同じように理想論を掲げて終わってしまうのでしょうか?
こういった政策に振り回されるのはいつだって現場なのです。
新しい教育基本法には「学校バウチャー制度」と言うものが取り入れられようとしているそうです。
簡潔に言ってしまえば、これはより多くの生徒を獲得した学校にはそれに応じて予算を多く投じるというものです。
では、生徒を獲得できなかった学校はどうなるのでしょう?
予算が削られ、ギリギリの中運営していかなければならない。
そうした中で充実した学習に取り込めるかと言えば疑問です。
そこにまた悪循環が生まれるような気がします。
そして犠牲になるのは教師であり、生徒であるのです。
いま教育の現場において大切なことはもっと子供たちの本質的な部分と向かい合うことではないかと思うのです。
それは全てが学校の責任としてしまうのではなく、家庭環境からの見直し、さらには全ての大人たちの意識の見直しなのではないでしょうか?
家出をする子供が増えています。
不登校の生徒も増えています。
でもそこには原因がちゃんとあるはずです。
ワガママでしかないものもあると思います。
ただ、そこで突き放したりせずにちゃんと耳を傾けなければならないと思うのです。
そしてそれをするのは僕たち大人であり、親なのだと思うのです。
子供はいつだって自分の居場所を探しています。
自分の存在証明を欲しています。
まずそれを手渡してあげることが最初の1歩ではないかと思うのです。