こんばんは、ジニーです。
自分の意気込みを表に出すとき、
気がつくと「頑張ります」という言葉を使ってませんか?
まさに今日、僕がそうだったのですが、
この「頑張る」という言葉、非常に曖昧ですよね。
だって、「頑張る」って言われても、具体的な行動は見えないし、
そもそもゴールがどこか分からない。
とても便利な言葉なんですよ。
だからある意味条件反射的に使ってしまう。
でも、聞いている方からすれば、
ただの意気込みの宣言を聞かされるだけなんですよね。
そもそも、頑張っていない人なんていないんですよ。
みんな何かに頑張っている中で、
「頑張ります」という言葉は、埋もれてしまいます。
自分がこの言葉を無意識的に使っているのに気付いた時、
その言葉の背景にある意識の薄さに、とても危うさを感じました。
「頑張る」のは良いんですが、
何をどうしていきたいのかが、考えられないまま
相づちのように使っていると、中身のない人間になってしまいそうだと
思ったんです。
そういった、本質の部分をしっかり持っていないと
自分で自分の成長を止めてしまうのだろうなと感じました。
ちゃんと中身のある人間になるために、
精神論だけでなく、もっと各論で物事を捉え、
行動に移していけるようにならないといけないですね。
そんなことを感じた一日でした。
自分の意気込みを表に出すとき、
気がつくと「頑張ります」という言葉を使ってませんか?
まさに今日、僕がそうだったのですが、
この「頑張る」という言葉、非常に曖昧ですよね。
だって、「頑張る」って言われても、具体的な行動は見えないし、
そもそもゴールがどこか分からない。
とても便利な言葉なんですよ。
だからある意味条件反射的に使ってしまう。
でも、聞いている方からすれば、
ただの意気込みの宣言を聞かされるだけなんですよね。
そもそも、頑張っていない人なんていないんですよ。
みんな何かに頑張っている中で、
「頑張ります」という言葉は、埋もれてしまいます。
自分がこの言葉を無意識的に使っているのに気付いた時、
その言葉の背景にある意識の薄さに、とても危うさを感じました。
「頑張る」のは良いんですが、
何をどうしていきたいのかが、考えられないまま
相づちのように使っていると、中身のない人間になってしまいそうだと
思ったんです。
そういった、本質の部分をしっかり持っていないと
自分で自分の成長を止めてしまうのだろうなと感じました。
ちゃんと中身のある人間になるために、
精神論だけでなく、もっと各論で物事を捉え、
行動に移していけるようにならないといけないですね。
そんなことを感じた一日でした。