ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

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ASKA 「FUKUOKA」 ジニーなりの見解(歌詞を考える番外編・・・みたいな)

2017年03月03日 23時11分57秒 | 歌詞を考える
こんばんは、ジニーです。




黙々と、ただ黙々と「Too many people」を聴く日々です。
通勤途中はもちろん、仕事中も頭の中で何かしらの曲が流れています。
最近は「通り雨」がHOTですね。
聴いても歌っても気持ちいいって、ある意味奇跡だ。。。


さて、そんな「Too many people」聴く中で、ふと「FUKUOKA」の
ある歌詞が気になりました。

皆さん、歌詞カードお持ちですか?
ない人は、ASKAのブログでご確認ください。(よかったら買ってね)
aska_burnishstone’s diary


この歌は、そのディティールが際立っていて、歌詞とメロディーとで目の前に情景がありありと浮かんでくるかのようです。
そこには郷愁が漂い、聴く人の胸に「故郷」を思い起こさせます。

なんていうんだろう、全体的に動作と、心情がみえる歌詞なんですよね。


だから余計に気になったのです。




「風が見える」

ってどういうことだ?って。




極端に言うと、この「風が見える」という部分以外は具体的な表現なのに、
このフレーズだけ、ひどく抽象的なんですよね。

比喩?


そうかもしれない。

歌詞を書く手法のようなものでもあると思う。


でも、ここでそうする理由は何だろうと思ってしまったのです。
思ってしまったから仕方ないのです。




しばらくそのことを考えて、自分なりの答えを見つけました。






ここでまず、ASKAがこの歌に込めた想いについて、僕なりの見解をまとめてみます。

この「FUKUOKA」という歌は、ASKAの音楽への情熱を継続させる背中を押してくれた
故郷への、そして仲間たちへの感謝の思いが込められています。

優しく、懐かしく、穏やか。


いろんなことが起こって、疲れ切った心と体に、差した一筋の光のようなイメージでしょうか。

しかし、これまでは極力故郷を故郷として捉えないようにしてきたそうです。
先日のTV出演の際にも、CHAGE and ASKAとして活動をする際に、ある時期から「故郷」という
ことを意識しすぎないようにしようとしたと言っていました。

事件を経て、様々なことが起こり、いろんな制約が咎として生まれました。
「ダメか」と思ったときに差し伸べられた故郷の手に、素直に感謝したのだと思います。
これまで意識しないようにしてきた「故郷」を強く感じた瞬間だったと思います。

この歌に郷愁を感じるのは、そういった心情からなんでしょうね。


そんな「故郷」を再び受け入れられたときに、「あの頃」に帰れたのだと思います。


「風が見える」、僕はASKAの故郷はつまり「風の住む町」なんだと感じたのです。


『大人がいろんなことを懐しがって、あの頃の時代には戻れないのかな、戻れないなら淋しいね…
 なんだけど、実は戻れる。でも戻れないのかなと、自問自答してる歌です』

「風の住む町」に対するASKAのコメントです(CHAGE and ASKAのwebサイトより引用)



『実は戻れる』、戻ってきたんだ。
いつでも故郷は優しいですね。





あの頃もそうだったのかもしれませんが、いまも実にジグザグです。
それでもきっと、風の住む町は変わらずありのままを受け入れてくれたのでしょう。
そして、制限した空の範囲で、翼を広げるささやかな自由を得ました。

それは音楽となり、僕らファンのもとへ届いた。
音楽の情熱を失わずにいられた。

この後歩む未来の追い風となってくれているのかもしれません。


犯した罪への償いはまだ続きます。
それでも、強く一歩踏み出す追い風があります。
僅かばかりではあるが、小さくとも確かな解放。

そして、「FUKUOKA」は「Be free」へと続いていくのです。






もちろん、これは僕の勝手な見解です。
捉え方は人そえぞれです。
あくまで、僕はこれがしっくり来ただけの話。


夢でなくて、歌で、風の住む町を語ってくれました。
風が吹き、その後ろ姿を見送るように見上げたその先には、空。
晴れも雨もあるけれど、僕らは知っています。



             けれど、空は青。


ですね。
コメント
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