こんばんは、ジニーです。
仕事を終えて、ご飯を食べて、寝るまでのほっと一息の時間。
久しぶりのブログの更新です。
今更ながらですが、僕は承認欲求が強いです。
15年以上ブログをやり続けているので、そりゃそうでしょ、と
自分でも突っ込みたくなりますが、改めて感じています。
でも、何が何でもという気持ちはなくて、
なんかの拍子で、たまたまこのブログや、僕という人間を
知ってもらえたらと思っています。
そんな気持ちでブログを続けてきました。
ここ数年、SNSをいろいろとやるようになりました。
TwitterやInstagramなど。
使いこなしてるというにはほど遠いですが、
自分なりに情報収集や呟きなど更新していました。
ここで書いたブログの内容も、時々Twitterで紹介したりして。
まあ、そんな使い方です。
ただ、最近はちょっとそういったSNSが重荷に感じるようになってきました。
世の中に目を向けると自分のちっぽけな存在が浮き彫りになるというか、
凄い人がいっぱいいるな、と改めて思うのです。
そこまでは良いのですが、気が付くと自分と比較して
いやに卑屈な気持ちになったりするんですよね。
同じものを好きな人をみて、同じ気持ちになれない。
これが結構堪えるのです。
多分、自分の承認欲求が悪い形で出てると思うんですよね。
「凄いな」と思えるうちはいいのですが、
「認めたくない」という気持ちがほんの少しでも顔を出して来たら危険です。
というわけで、いま自分にとって一番その影響が出そうな
Twitterを携帯から削除しました。
アカウントは残したままです。
でも、見れないようにしました。
結局、SNSを通して見えていたのは、自分の醜いところで、
そういったものと距離をとる必要があると思ったのです。
今の僕にとって、Twitterを辞めるというのは、一番自分にとって
有効な自分との距離の取り方だと感じました。
そもそも、誰かに誇れるような立派な人間でもないですし、
「自分が」なんて、おおよそおこがましい話なのですが、
自分にないものを見るというのは想像以上の負の引力が生まれますね。
また気持ちに余裕が生まれたら再開するかもしれません。
それはそれで一つの判断でしょう。
大事なのは自分自身との距離の取り方なのかなと思いました。
なんでもあるということが必ずしも幸せではないですね。
「ない」ということがいいこともあります。
そんなことを感じた一日でした。
仕事を終えて、ご飯を食べて、寝るまでのほっと一息の時間。
久しぶりのブログの更新です。
今更ながらですが、僕は承認欲求が強いです。
15年以上ブログをやり続けているので、そりゃそうでしょ、と
自分でも突っ込みたくなりますが、改めて感じています。
でも、何が何でもという気持ちはなくて、
なんかの拍子で、たまたまこのブログや、僕という人間を
知ってもらえたらと思っています。
そんな気持ちでブログを続けてきました。
ここ数年、SNSをいろいろとやるようになりました。
TwitterやInstagramなど。
使いこなしてるというにはほど遠いですが、
自分なりに情報収集や呟きなど更新していました。
ここで書いたブログの内容も、時々Twitterで紹介したりして。
まあ、そんな使い方です。
ただ、最近はちょっとそういったSNSが重荷に感じるようになってきました。
世の中に目を向けると自分のちっぽけな存在が浮き彫りになるというか、
凄い人がいっぱいいるな、と改めて思うのです。
そこまでは良いのですが、気が付くと自分と比較して
いやに卑屈な気持ちになったりするんですよね。
同じものを好きな人をみて、同じ気持ちになれない。
これが結構堪えるのです。
多分、自分の承認欲求が悪い形で出てると思うんですよね。
「凄いな」と思えるうちはいいのですが、
「認めたくない」という気持ちがほんの少しでも顔を出して来たら危険です。
というわけで、いま自分にとって一番その影響が出そうな
Twitterを携帯から削除しました。
アカウントは残したままです。
でも、見れないようにしました。
結局、SNSを通して見えていたのは、自分の醜いところで、
そういったものと距離をとる必要があると思ったのです。
今の僕にとって、Twitterを辞めるというのは、一番自分にとって
有効な自分との距離の取り方だと感じました。
そもそも、誰かに誇れるような立派な人間でもないですし、
「自分が」なんて、おおよそおこがましい話なのですが、
自分にないものを見るというのは想像以上の負の引力が生まれますね。
また気持ちに余裕が生まれたら再開するかもしれません。
それはそれで一つの判断でしょう。
大事なのは自分自身との距離の取り方なのかなと思いました。
なんでもあるということが必ずしも幸せではないですね。
「ない」ということがいいこともあります。
そんなことを感じた一日でした。