こんばんは、ジニーです。
CHAGE and ASKAのデビュー40周年の記念日である
2019年8月25日、ASKAがCHAGE and ASKAからの脱退を表明しました。
Chageにその意思が伝えられたのは8月23日、書面をもってだったようです。
驚きましたね。
なぜ脱退なのか。
推察は、どうにでも可能です。
良い風に考えることも、悪い風に考えることもできる。
人間の想像力は偉大です。
そして、ASKAがChageに当てたメッセージ。
「1207」。
SNS上でこの意味についての推察も出ています。
それは、とても、希望を感じるメッセージです。
さて、一部ではFELLOWSとChappyとの間での叩き合いも起こっています。
同じものを愛する者同士が、こんな風にいがみ合うなんて。
ふたりの影響力の大きさを改めて感じます。
本件について、みんながみんな思うところがあるでしょう。
しかし、事実は一つ。
ASKAは脱退したのです。
ASKAが昨年リリースした「星は何でも知っている」にある
『行ってはいけないこの道を もう行かずにいられない』
という歌詞は、今回の件を示唆していたのかもしれませんね。
ある人は、ASKAは勝手すぎると言っています。
ある人は、Chageはなぜ直接会わないんだと言っています。
うん、そうだ、どっちも悪い。
でもどちらにもそうする大義がある。
どちらの行為も、僕は正しいと感じてしまうのですよ。
また二人に戻ってほしいと思いつつも、それぞれの行動には
それぞれの正当性があって、僕は理解できるし、受け入れてしまう。
僕として理解しがたいのは、互いのファンが叩き合うこと。
これを当人たちは望んでいるとは到底思えない。
そりゃ、それぞれに言い分があるのも解りますよ。
片方の視点から相手を観ようとすると、理解のできないことに
「何故?」が生まれてしまう。
でもそれをファン同士で言い合うのってどうなんでしょうか?
加担しているほうが正義に見えるけど、それは本当に正義なの?
そして、理解できないからと言って突き放すの?
こういうときほど、ファンの結束を見せていきたいのにな。
本件で相手を悪く言っていいのは当人同士だけじゃないかな。
僕らは、哀しいけれど成り行きを見守るしかない。
というか、相手のことが信じられなくなった時は、
相手を否定するのではなく、相手の見ている景色に思いを馳せて
みてはいかがでしょう。
何か違うものが見えてくるかもしれません。
今回こんなことになりましたが、いつか、僕はふたりが並んでステージに
立つ姿を見たいと思っています。
今も変わらずね。
そして、それは叶うと思っています。
しょうがない、そう信じてるんだもん。
そう信じたまま、ふたり並ばずに終わるかもしれません。
想像するだけで胸が張り裂けそうです。
でも、そんな想いに胸と時間を支配されるくらいなら、
自分が愛するものを信じ切って歩んでいきたい。
そこには誰かを咎めたり、傷つけたりする言葉は生まれたりしない。
みんな一緒ですもん。
寂しい思いをしている者同士ですもん。
振り上げた拳を開いて手を取り合ってみましょうよ。
おんなじ痛みを抱えた体温を感じられるんじゃないでしょうか?
なんの約束も確証もない未来を待つには、同じ寂しさを抱えた
仲間がいることを知っている、そんな心強さが必要だと思います。
僕はそれが欲しい。
こういう考えに賛同される方はいるのかな?
全くいないとは思わないけど、そんな割り切っていられる人なんて
そうそう多くないような気もしています。
それぐらい愛してきたわけですからね。
でも、僕はこの考えを貫いていきたい。
ファンだから、ふたりが笑って帰ってこられる場所を温めていたい。
愛とは求めるものではなく、与えるものだから。
ファンの僕らが彼らに唯一与えられるのって、彼らが一緒に
やりたいと思ったときに、その姿を見届けるオーディエンスという
姿が一番なんじゃないかな?
おこがましいかもだけど。
そう感じる。
風にのせて この想いを届けよう
忘れかけた 何かを取り戻すために
ChageもASKAもばかちんだ。
応援する僕らもばかちんだ。
愛すべきばかちんたちだ。
CHAGE and ASKAのデビュー40周年の記念日である
2019年8月25日、ASKAがCHAGE and ASKAからの脱退を表明しました。
Chageにその意思が伝えられたのは8月23日、書面をもってだったようです。
驚きましたね。
なぜ脱退なのか。
推察は、どうにでも可能です。
良い風に考えることも、悪い風に考えることもできる。
人間の想像力は偉大です。
そして、ASKAがChageに当てたメッセージ。
「1207」。
SNS上でこの意味についての推察も出ています。
それは、とても、希望を感じるメッセージです。
さて、一部ではFELLOWSとChappyとの間での叩き合いも起こっています。
同じものを愛する者同士が、こんな風にいがみ合うなんて。
ふたりの影響力の大きさを改めて感じます。
本件について、みんながみんな思うところがあるでしょう。
しかし、事実は一つ。
ASKAは脱退したのです。
ASKAが昨年リリースした「星は何でも知っている」にある
『行ってはいけないこの道を もう行かずにいられない』
という歌詞は、今回の件を示唆していたのかもしれませんね。
ある人は、ASKAは勝手すぎると言っています。
ある人は、Chageはなぜ直接会わないんだと言っています。
うん、そうだ、どっちも悪い。
でもどちらにもそうする大義がある。
どちらの行為も、僕は正しいと感じてしまうのですよ。
また二人に戻ってほしいと思いつつも、それぞれの行動には
それぞれの正当性があって、僕は理解できるし、受け入れてしまう。
僕として理解しがたいのは、互いのファンが叩き合うこと。
これを当人たちは望んでいるとは到底思えない。
そりゃ、それぞれに言い分があるのも解りますよ。
片方の視点から相手を観ようとすると、理解のできないことに
「何故?」が生まれてしまう。
でもそれをファン同士で言い合うのってどうなんでしょうか?
加担しているほうが正義に見えるけど、それは本当に正義なの?
そして、理解できないからと言って突き放すの?
こういうときほど、ファンの結束を見せていきたいのにな。
本件で相手を悪く言っていいのは当人同士だけじゃないかな。
僕らは、哀しいけれど成り行きを見守るしかない。
というか、相手のことが信じられなくなった時は、
相手を否定するのではなく、相手の見ている景色に思いを馳せて
みてはいかがでしょう。
何か違うものが見えてくるかもしれません。
今回こんなことになりましたが、いつか、僕はふたりが並んでステージに
立つ姿を見たいと思っています。
今も変わらずね。
そして、それは叶うと思っています。
しょうがない、そう信じてるんだもん。
そう信じたまま、ふたり並ばずに終わるかもしれません。
想像するだけで胸が張り裂けそうです。
でも、そんな想いに胸と時間を支配されるくらいなら、
自分が愛するものを信じ切って歩んでいきたい。
そこには誰かを咎めたり、傷つけたりする言葉は生まれたりしない。
みんな一緒ですもん。
寂しい思いをしている者同士ですもん。
振り上げた拳を開いて手を取り合ってみましょうよ。
おんなじ痛みを抱えた体温を感じられるんじゃないでしょうか?
なんの約束も確証もない未来を待つには、同じ寂しさを抱えた
仲間がいることを知っている、そんな心強さが必要だと思います。
僕はそれが欲しい。
こういう考えに賛同される方はいるのかな?
全くいないとは思わないけど、そんな割り切っていられる人なんて
そうそう多くないような気もしています。
それぐらい愛してきたわけですからね。
でも、僕はこの考えを貫いていきたい。
ファンだから、ふたりが笑って帰ってこられる場所を温めていたい。
愛とは求めるものではなく、与えるものだから。
ファンの僕らが彼らに唯一与えられるのって、彼らが一緒に
やりたいと思ったときに、その姿を見届けるオーディエンスという
姿が一番なんじゃないかな?
おこがましいかもだけど。
そう感じる。
風にのせて この想いを届けよう
忘れかけた 何かを取り戻すために
ChageもASKAもばかちんだ。
応援する僕らもばかちんだ。
愛すべきばかちんたちだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます