このタイトルで文章を書こうとしている意味は、決して反格差を煽る意図で書いているものではないと断っておきます。私としては純粋に経済を書いているつもりです。ただ人とは違う見方で書いているのかも知れません。
哲学から入った私は時間の流れの中で事物の動きを理解できるとでも言うのでしょうか。自分が存在しているのも時間の流れの中で理解できます。つまり若いときのある日から「私はどこから来てどこへ行こうとしているのか」という問いかけを自分自身に向かってしてきました。この地上に生命体が現れ、幾多の進化を繰り返しやがて人間と呼ばれる生物になった。その中の一人として自分を捉えます。そこから神が万物を創造したのではなく自然が万物を創造したという中で、死とは全ての生命体がやがて時間の中で迎えるものであり、人間だけに特別な死があるわけではなく脳の破壊によって私自身も消えてしまう。もはや自分の存在を捉えることが不可能になるそれが死であると。もし神がいて生命の神秘に関わっていたのであれば、そして私の死後天国なり別の世界(あの世)で自分の存在を確認できれば…それは絶対にありえないことです。なぜなら脳が破壊されているからとしか言いようがないのです。
なぜこのような経済とは関係ないことを書いたのかと言いますと、現在人々が使っている貨幣つまりお金ですが、単なる現在だけを捉えて判断しているのではなく、時間の流れの中で貨幣を捉えている訳です。そして生命体として生物、または人間を捉えているのと同じ次元で貨幣も時間の流れの中で捉えることができます。
貨幣を時間の流れの中で捉えるということはどのようなものかと言いますと、簡単に言えばどのような状況の中で貨幣が生まれたのか(物々交換に貨幣の原型がある、すでにその時に交換機能と保存機能を持っていた))そのとき貨幣に意味づけが考えられていたのか、つまり貨幣とは何かという理解がされていたのかということになります。そして現在迄において貨幣の持つ意味が解き明かされて使用されていたのかということになります。
そして回答としては貨幣はその発現から何の意味付けもされにまま人間の欲望に支配されたまま現在まで使われてきたということになります。この結果がもたらすもの、今のまま何の制御もないまま使われてしまえば行き着く先は経済の崩壊ということになります。つまり人間の社会では「経済イコール貨幣の使われ方」でしかないと考えるからです>
哲学から入った私は時間の流れの中で事物の動きを理解できるとでも言うのでしょうか。自分が存在しているのも時間の流れの中で理解できます。つまり若いときのある日から「私はどこから来てどこへ行こうとしているのか」という問いかけを自分自身に向かってしてきました。この地上に生命体が現れ、幾多の進化を繰り返しやがて人間と呼ばれる生物になった。その中の一人として自分を捉えます。そこから神が万物を創造したのではなく自然が万物を創造したという中で、死とは全ての生命体がやがて時間の中で迎えるものであり、人間だけに特別な死があるわけではなく脳の破壊によって私自身も消えてしまう。もはや自分の存在を捉えることが不可能になるそれが死であると。もし神がいて生命の神秘に関わっていたのであれば、そして私の死後天国なり別の世界(あの世)で自分の存在を確認できれば…それは絶対にありえないことです。なぜなら脳が破壊されているからとしか言いようがないのです。
なぜこのような経済とは関係ないことを書いたのかと言いますと、現在人々が使っている貨幣つまりお金ですが、単なる現在だけを捉えて判断しているのではなく、時間の流れの中で貨幣を捉えている訳です。そして生命体として生物、または人間を捉えているのと同じ次元で貨幣も時間の流れの中で捉えることができます。
貨幣を時間の流れの中で捉えるということはどのようなものかと言いますと、簡単に言えばどのような状況の中で貨幣が生まれたのか(物々交換に貨幣の原型がある、すでにその時に交換機能と保存機能を持っていた))そのとき貨幣に意味づけが考えられていたのか、つまり貨幣とは何かという理解がされていたのかということになります。そして現在迄において貨幣の持つ意味が解き明かされて使用されていたのかということになります。
そして回答としては貨幣はその発現から何の意味付けもされにまま人間の欲望に支配されたまま現在まで使われてきたということになります。この結果がもたらすもの、今のまま何の制御もないまま使われてしまえば行き着く先は経済の崩壊ということになります。つまり人間の社会では「経済イコール貨幣の使われ方」でしかないと考えるからです>