歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪【参考書の紹介】『古文単語315』桐原書店≫

2022-04-13 17:30:05 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪【参考書の紹介】『古文単語315』桐原書店≫
(2022年4月13日投稿)

【はじめに】


 古文の勉強はどのようにしたらいいのか?
 よく言われるのは、単語、文法、読解を勉強したらよいとされる。
 だが、どのような参考書があるのか、戸惑う生徒も多い。
 今回のブログでは、次の古文単語帳を紹介してみたい。
〇河合塾講師 武田博幸/鞆森祥悟
『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]

また、次回においては、次の古文単語帳を紹介する。
〇山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]

さらには、古文の和歌で、桜をテーマとしたものについて、次の本を参照にしながら考えてみたい。
〇田中秀明『桜信仰と日本人 愛でる心をたどる名所・名木紀行』青春出版社、2003年
(いわば、日本史における桜に関する和歌について考えてみることにする。)


【『古文単語315』桐原書店はこちらから】
『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店
読んで見て覚える 重要古文単語315







『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店
【目次】
本書の使い方
出典略称一覧
索引
見出し語索引
常識語索引(297語)


第一章 最重要語(見出し語163語・関連語124語)
001~038 動詞(38語)
言い換えコーナー(「出家する」14語・「死ぬ」14語)
039~082 形容詞(44語)
083~096 形容動詞(14語)
097~127 名詞(31語)
128~163 副詞(36語)
長文問題『更級日記』

第二章 重要語(見出し語126語・関連語74語)
164~192 動詞(29語)
193~228 形容詞(36語)
229~241 形容動詞(13語)
242~278 名詞(37語)
279~289 副詞(11語)
長文問題『枕草子』

敬語の章 (見出し語26語・関連語5語)
290~315 敬語動詞(26語)
重要敬語動詞と主な意味・用法
長文問題『大鏡』

付録の章 (慣用句90語・常識語297語)
慣用句
和歌
①和歌入門 ②区切れ ③和歌特有の表現 ④掛詞 ⑤縁語 ⑥枕詞 ⑦序詞 ⑧本歌取り
⑨体言止め ⑩倒置法 ⑪物名(隠し題) ⑫折り句 ⑬和歌にかかわる語句
古典常識
<風流と教養>
①四季の風物 ②月の異名 ③十二支と時刻・方位 ④楽器 ⑤その他風流・教養関係
<恋愛と結婚>
①男女の会話 ②後宮
<信仰と習俗>
<宮中と貴族>
①行事・儀式 ②官位・官職 ③乗り物 ④衣服 ⑤住まい
<その他>
文学史
①上代・中古・中世①<詩歌集・評論>
②上代・中古・中世②<物語・日記・随筆・説話>
③近世
④文学史関係(読みに注意すべきもの)
識別
①「ぬ」の識別 ②「ね」の識別 ③「る・れ」の識別 ④「なり」の識別 
⑤「なむ」の識別 ⑥「に」の識別 ⑦「し」の識別 ⑧「らむ」の識別
コラム

(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、4頁~5頁)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・「いみじ」という古文単語
・「いみじ」の練習問題
・『古文単語315』(桐原書店)に載せられた長文問題の古典
 第一章 最重要語 長文問題『更級日記』
 第二章 重要語 長文問題『枕草子』<鳥は>
 敬語の章 長文問題『大鏡』<時平>






「いみじ」という古文単語


「いみじ」という古文単語について考えてみたい。
まず、武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]にみえる「いみじ」の意味はどうなっているのか?

No.75 いみじ シク活用
①とてもよい・すばらしい
②とても悪い・ひどい
③<「いみじく(う)」の形で副詞的に用いて>とても・はなはだしく

四段動詞「忌(い)む」が形容詞化した語。
対象が神聖、または穢(けが)れであり、決して触れてはならないと感じられる意から転じて、善し悪しを問わず程度がはなはだしい様子を表すようになりました。
入試では善し悪しを具体化したものを選ぶ場合がよくあります。
 いみじ➡とても+か-
(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、82頁~83頁)

それでは、山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]ではどのように記載されているのか?

No.521 いみじ
①とても~だ。
ただ、このように記す。
とてもイメージ(「いみじ」)が大事だ(「とても」と「だ」が赤字)

「とてもすばらしい」意味でも「とてもひどい」意味でも使う。良い意味か悪い意味かは、文脈から判断。
そのポイントは、次の2点。
(1)何が「いみじ」なのか。
(2)それは、その文章ではプラスに捉えられているものなのか、マイナスに捉えられているものなのか。
※特に「いみじ」の直前直後に注目すること。
 プラス/マイナスをつかんだら、「とても良い」「とてもすばらしい」など、つかんだ方向性にあう表現を訳に補って、完成。
(山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]、252頁)

「いみじ」の練習問題


「いみじ」という古文単語について、山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版](136頁~137頁)には次のような練習問題がのっている。

【練習問題】
〇次の文中にある傍線部を現代語訳しなさい。

 御室(おむろ)に、いみじき児(ちご)のありけるを、「いかで誘ひ出だして遊ばん」と企(たく)む法師どもありて…… (徒然草)

傍線部は「いみじき児」の部分である。

(注)
御室――京都市右京区にある仁和寺(にんなじ)のこと。
<解法>
・「いみじ」は、「すばらしい」意味でも、「ひどい」意味でも使える。
 「忌まわしい過去」「忌み嫌う」などと使う現代語の「忌まわしい」「忌む」と、語源的には同じで、本来「不吉だ・縁起が悪い」といった意味の語である。
 しかし、古文ではもっと幅広く、悪い意味だけでなく、「とてもいい」の意味でも用いられる。
・頭の中の整理法としては、
①不吉だ・縁起が悪い(マイナス)
②とても~だ(プラス/マイナス)➡「よい」のか「悪い」のかは文脈判断!
こうしておくと、多少覚える分量が少なるし、実用的。

☆『徒然草』の傍線部は、直後に注目。
「いかで誘ひ出だして遊ばん(=何とかして誘い出して遊ぼう)」とする法師たちが登場する。
「一緒に遊びたい」と思うから、「いみじ」をプラスの意味で取り、「とてもすばらしい・かわいらしい・かわいい」と訳すこと。

<プラスアルファ>
・一言で「古文」といっても、実は千年分ほどの言葉を一手に扱うわけである。
たとえば、現代語で「ヤバイ」という言葉は、もともとはよくない意味でしか使わなかったが、いつの頃からか、「ヤバイ(ぐらいにおいしい)」などと、良い意味でも使うようになった。
・言葉は、私たちが生きている短い間にも、これほどの変化をするわけであるから、千年のうちに意味に幅が出てくるのは、むしろ当たり前である。
※中心的な意味を暗記した上で、そこではどういう意味なのかを見抜く力を養うことが大切であると、山村由美子先生は強調している。

【答】とてもかわいらしい子

【現代語訳】
仁和寺に、とてもかわいらしい子がいたが、「何とかして(その子を)誘い出して遊ぼう」と考えをめぐらす法師たちがいて……
(山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版]、136頁
~137頁)




『古文単語315』(桐原書店)に載せられた長文問題の古典


今回、「いみじ」という古文単語について考えてきた。
こうした古文単語は、実際の古典文のどういう文脈で使われているのかを知っておくことが大切である。
武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』(桐原書店、2014年[2004年初版])には、次のような長文問題が載せてある。

第一章 最重要語 長文問題『更級日記』
第二章 重要語 長文問題『枕草子』<鳥は>
敬語の章 長文問題『大鏡』<時平>

上記の中でも、『更級日記』には、「いみじ」という古文単語が頻出である。
もう一度、現代語訳を参考にしながら、意味を確認しておいてほしい。
また、敬語は古典文法で入試によく出されるので、「敬語の章 長文問題『大鏡』<時平>
」は注意して勉強してほしい。

第一章 最重要語 長文問題『更級日記』


 花の咲き散る折ごとに、「乳母なくなりし折ぞ
かし」とのみあはれなるに、同じ折なくなり給ひし
侍従の大納言の御娘の手を見つつ、すずろにあは
れなるに、五月ばかり、夜更くるまで物語を読みて
起きゐたれば、来つらむ方も見えぬに、猫のいとな
ごうないたるを、おどろきて見れば、いみじうをか
しげなる猫あり。「いづくより来つる猫ぞ」と見
るに、姉なる人、「あなかま、人に聞かすな。いと
をかしげなる猫なり。飼はむ」とあるに、いみじう
人なれつつ、傍らにうちふしたり。「尋ぬる人や
ある」と、これを隠して飼ふに、すべて下衆のあた
りにもよらず、つと前にのみありて、物もきたなげ
なるは、ほかざまに顔をむけて食はず。姉おとと
の中につとまとはれて、をかしがりらうたがるほど
に、姉のなやむことあるに、ものさわがしくて、こ
の猫を北面にのみあらせて呼ばねば、かしがまし
くなきののしれども、「なほさるにてこそは」と思
ひてあるに、煩ふ姉おどろきて、「いづら猫は。こ
ちゐて来」とあるを、「など」と問へば、「夢にこの
猫の傍らに来て、『おのれは侍従の大納言殿の御娘
のかくなりたるなり。さるべき縁のいささかあり
て、この中の君のすずろにあはれと思ひ出でたま
へば、ただしばしここにあるを、このごろ下衆の中
にありていみじうわびしきこと』と言ひて、いみじ
うなく様は、あてにをかしげなる人と見えて、うち
おどろきたれば、この猫の声にてありつるが、いみ
じくあはれなるなり」と語り給ふを聞くに、いみ
じくあはれなり。

【現代語訳】
桜の花が咲いては散る(ころになる)たびに、
「乳母が亡くなった季節だわ」とただ悲しくな
る[つらくなる・心が痛む]うえに、同じころにお亡くな
りになった侍従の大納言の姫君の筆跡を見ては
むやみに悲しくなる[つらくなる・心が痛む]が、五
月ごろに、夜が更けるまで物語を読んで起きていたと
ころ、来たような方向も(=どこから来たのかも)分か
らないが、猫がとてものんびりと鳴いているので、
はっと気づいて見ると、とてもかわいらしい猫
がいる。「どこからやって来た猫かしら」と見てい
ると、姉である人(=姉)が、「静かに、人に聞かせるな。
とてもかわいらしい猫だわ。飼いましょう」と言うが、
(その猫は)とても人になれていて、(わたしたちの)
そばに横になった。「探している人がいるのではない
か」と(思いながらも)、この猫を隠して飼っていたが、
(猫は)まったく卑しい者(=使用人)のそばには近寄ら
ず、ずっと(わたしたちの)前ばかりにいて、食べ物もき
たならしいものは、ほかの方に顔を向けて(=顔をそむけ
て)食べない。姉妹の間に(=わたしたちのそばに)
ずっとまとわりついていて、(わたしたちも)おもしろが
りかわいがっていたときに、姉が病気になることが
あったので、(家の中が)なにかと騒がしくて(=取り込
んでいて)、この猫を北側の部屋(=北に面した使用人が
いる部屋)にばかりいさせて(こちらに)呼ばないでいる
と、やかましく鳴き大声で騒ぐけれども、「やはり
(猫というものは)そのようなものであるのだろう」と
思っていたところ、病気の姉が目を覚まして、「どこ、
猫は。こっちへ連れて来て」と言うので、(わた
しが)「どうして」と聞くと、「夢にこの猫がそばに来
て、『わたしは侍従の大納言殿の姫君がこのように
なっているのである(=侍従の大納言殿の姫君の生まれ変
わりである)。そうなるはずの前世からの因縁(=
宿縁)が少々あって、ことらの中の君がしきりに(わ
たしのことを)懐かしいと思い出してくださるので、
ほんの少しの間ここにいるのだが、このごろは卑しい者の
そばにいて、とてもつらいこと』と言って、ひど
く泣く様子は、高貴で美しい様子の人(である)と
思われて、目を覚ましたところ、この猫の声であっ
たのが、とても心にしみた[感慨深かった]のです」
と語りなさるのを聞くと、ほんとうに悲しくなる[つ
らくなる・胸をしめつけられる]。

(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、140頁~141頁)

第二章 重要語 長文問題『枕草子』<鳥は>


 鶯は、文などにもめでたきものに作り、声よ
りはじめて、さまかたちも、さばかりあてにうつ
くしきほどよりは、九重の内に鳴かぬぞいとわろ
き。人の、「さなむある」と言ひしを、「さしもあら
じ」と思ひしに、十年ばかり候ひて聞きしに、まこ
とにさらに音せざりき。さるは、竹近き紅梅も、い
とよく通ひぬべきたよりなりかし。まかでて聞け
ば、あやしき家の見どころもなき梅の木などには、
かしがましきまでぞ鳴く。夜鳴かぬもいぎたなき
心地すれども、今はいかがせむ。夏秋の末まで老い
声に鳴きて、虫食ひなど、ようもあらぬ者は名をつ
けかへて言ふぞ、くちをしくすごき心地する。
それもただ雀などのやうに、常にある鳥ならばさも
おぼゆまじ。春鳴くゆゑこそはあらめ。「年たち返
る」など、をかしきことに歌にも作るなる
は。なほ春のうちならましかば、いかにをかしか
らまし。人をも、人げなう、世のおぼえあなづら
はしうなりそめにたるをば、そしりやはする。鳶、
烏などの上は、見入れ聞き入れなどする人、世に
なしかし。されば、いみじかるべきものとなりた
れば」と思ふも、心ゆかぬ心地するなり。祭のか
へさ見るとて、雲林院、知足院などの前に車を立て
たれば、時鳥も忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いと
ようまねび似せて、木高き木どもの中にもろ声に鳴
きたるこそ、さすがにをかしけれ。

[注]
竹近き紅梅――宮中には清涼殿の庭に竹も梅も植えられていた。
年たち返る――「あらたまの年たち返る朝(あした)より待たるるものは鶯の声」(拾遺集・春)
祭のかへさ――賀茂(かも)祭(葵祭)の斎王(さいおう)が翌日紫野(むらさきの)へ帰る行列。

【現代語訳】
鶯は、漢詩などでもすばらしいものと詠
み、声をはじめとして、姿も顔立ちも、あれほ
ど上品でかわいらしい割には、内裏の中で鳴かな
いのは、とてもよくないことだ。誰かが「そうなん
ですよ(=内裏では鳴かないんですよ)」と言ったが、
「そうではあるまい」と(私は)思っていたが、十年ほ
ど(内裏に)お仕えして聞いていたが、本当にまった
く声がしなかった。そのくせ実は、(内裏の清涼殿の庭
の)竹の近くの紅梅は、(鶯が)よく通って来(て鳴き)
そうな都合のいい場所であるよ。(内裏から)退出し
て聞くと、身分が低い(人の)家の、見所もない梅の木
などには、やかましいまで(鶯が)鳴いている。夜鳴か
ないのも、寝坊な感じがするが、今さらどうしようも
ない。夏・秋の末までしゃがれ声で鳴いて、虫食いなど
と、下々の者は名前を付け替えて言うのが、残念で
ぞっとするような感じがする。それも、ただ雀など
のように、いつ(どこにで)もいる鳥であるならば、それ
ほどにも思われはしないだろう。春に鳴くものだから
こそであろう。「年たち返る」など、趣のある言葉で和
歌にも漢詩にも詠んだりするというのは。やはり
(鶯が鳴くのが)春の間だけだったならば、どんなにか
すばらしかったことだろう。人についても、一人前
でなく、世間の評判も悪くなりはじめた人を、(うる
さく)批判したりするだろうか。鳶や烏など(平凡な鳥)
のことは、目をつけたり聞き耳を立てたりなどする人は、
まったくいないものだよ。だから、「(鶯は)すばらし
いはずのものとなっているから(なのだ)」と思うが、
(鶯が夏・秋まで鳴き続けるのはやはり)納得のゆかない
気がするのである。(初夏の)賀茂祭の帰り(の行列)
を見ようと思って、雲林院、知足院などの前に牛車を止め
ていると、ほととぎすは(季節柄、鳴くのを)こらえ
きれないのだろうか、鳴くのだが、(その声を鶯が)とて
もよくまねて似せて、木高い木などの中で、声を合わ
せて鳴いているのは、なんといってもやはりすばらしい。
(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、222頁~223頁)

敬語の章 長文問題『大鏡』<時平>


(この左大臣は)物のをかしさをぞ、え念ぜさ
せ給はざりける。笑ひたたせ給ひぬれば、すこぶ
る事も乱れけるとか。北野と世をまつりごたせ給
ふ間、非道なることを仰せられければ、さすがにや
むごとなくて、せちにし給ふことを、いかがはと思
して、「この大臣のし給ふことなれば、不便なりと
見れど、いかがすべからむ」と嘆き給ひけるを、な
にがしの史が、「ことにも侍らず。おのれかまへて
かの御事をとどめ侍らむ」と申しければ、「いとあ
るまじきこと。いかにして」などのたまはせける
を、「ただ御覧ぜよ」とて、座につきて、事きびし
く定めののしり給ふに、この史、文刺に文はさみ
て、いらなくふるまひて、この大臣に奉るとて、
いと高やかにならして侍りけるに、大臣文もえ取ら
ず、手わななきて、やがて笑ひて、「今日は術なし。
右の大臣に任せ申す」とだにいひやり給はざりけれ
ば、それにこそ、菅原の大臣、御心のままにまつ
りごち給ひけれ。
 また、北野の神にならせ給ひて、いと恐ろしく
神なりひらめき、清涼殿に落ちかかりぬと見えけ
るが、本院の大臣、太刀を抜きさけて、「生きても
我がつぎにこそものし給ひしか。今日神となり給へ
りとも、この世にはわれに所おき給ふべし。いかで
かさらではあるべきぞ」と、にらみやりて、のたま
ひける。一度はしづまらせ給へりけりとぞ、世の
人申し侍りし。されどそれは、かの大臣のいみ
じうおはするにはあらず、王威の限りなくおはしま
すによりて、理非をしめさせ給へるなり。

[注]
北野――右大臣菅原道真(すがわらのみちざね)。
史――太政官の主典(さかん)で、文書を扱う役人。
座――宮中の公事(くじ)のとき、公卿(くぎょう)が列座する座席。
文刺――文書をはさんで貴人に差し出すための杖。
ならして――「ならす」は放屁すること。

【現代語訳】
(この左大臣は)ものごとの滑稽さを、我慢する
ことがおできにならなかった。(いった
ん)笑い出しなさってしまうと、ずいぶんとものごと
が乱れたとか(いうことです)。北野(=右大臣菅原道
真)と(一緒に)世を治めなさっていたときに、(左
大臣が)理にかなわないことをおっしゃったので、な
んといってもやはり(左大臣は)重々しく、(その人が)
無理やりになさることを、(北野は)どうして(止め
られようか)とお思いになって、「この左大臣がな
さることであるので、不都合だと思うけれども、どうす
ることができようか(いや、できはしない)」と嘆きな
さっていたところ、なんとかという主典が、「(たいし
た)ことでもありません(=簡単なことです)。わた
しが必ずあの(左大臣のなさる)ことを止めましょう」
と申し上げたので、(北野は)「とてもできるはずもな
いことだ。どうして(そんなことができようか)」などと
おっしゃったが、(主典は)「まあとにかく(黙って)
御覧になっていてください」と言って、(左大臣が)座
について、議案を厳しく裁定して大声を上げなさって
いると、この主典が、文ばさみに書類をはさんで、(わざ
と)大げさに振る舞って、この左大臣に(書類を)差し
上げるという(まさにその)ときに、たいそう音高く放
屁しましたので、左大臣は書類を(手に)取ることも
できず、手が震えて、そのまま笑って、「今日はどうしよ
うもない。右大臣に(政務は)任せ申し上げる」とさ
え言い終えなさらなかったので、そのことによって、
菅原の大臣が、お思いどおりに政務を執り行いなさった。
 また、北野が雷神におなりになって、とても
恐ろしく雷が鳴り(稲妻が)光って、(宮中の)清涼殿に
落ちかかったと見えたが、本院の大臣(=左大臣時平)
が、太刀を抜き放って、「(あなたは)生前もわたしの次
(の位)でありなさった。(たとえ)今雷神になりな
さっているとしても、この現世ではわたしに対して遠慮
なさるべきである。どうしてそうでなくてあってよい
だろうか(いや、よいはずがない)」と、(雷の方を)にら
みやって、おっしゃった。(すると、その時)一度
だけは(雷神も)鎮まりなさったと、世間の人が申
し上げました。しかしそれは、あの(本院の)大
臣が立派でいらっしゃる(からな)のではなく、帝の
ご威光がこの上なくていらっしゃるために、(道真公
の霊が、朝廷で定めなさった官位の順序を乱してはならな
いという)分別を示しなさったのである。

(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、246頁~247頁)



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