DANCIN`HEART

あなただけが 私の恋人♪
 思い出して あの浜辺を♪
ふと見交わす あなたの瞳に 
赤い太陽が 満ちあふれて♪ 

これからの日本

2011年05月19日 | 雑事

普段では考えることもない放射能数値ですが、福島原子力発電所の収束が見えない今、これからどうなるのか気になります。

風向きによって変わる放射線量は、放射線量の強さではないとあります。

では、どういう見方をするればいいのかしら?

5月19日(木曜日)

東京 (新宿)           0.063

 埼玉 (さいたま市)        0.054

千葉  (市川市)         0.042                

神奈川 (横浜)          0.053

群馬  (前橋 )          0.032

山梨 (甲府)            0.043

兵庫 (神戸)            0.037

熊本                0.027

                                               (放射線量マップから抜粋)

一人あたりの年間自然放射線量が、2400マイクロシーベルト。

宇宙から0.39、食物から0.29、大地から0.48、空気中から1.26。

仮に東京ーニューヨーク往復すれば、200マイクロシーベルト!!

胃のX線検査は600マイクロシーベルト!!

胸の断層写真をCTスキャンで撮ると6900マイクロシーベルト!!

胸部X線検査では、50マイクロシーベルト!

言えることは余り放射線を浴びないことですが、避けられないのが実情です。

定期検診でも、どのくらいの間隔で受ければいいのでしょうか?

ドクターは簡単に検査を言うけれど・・・・

放射線量は体内に蓄積されていくのですから。

私や夫が後10年生きるとしても、まぁ~いいか~と諦めもつくけれど

これからの日本を担っていく子供たちが心配です。

時間があると、こんな事を、ふと、考えてしまうので忙しさに追われていればいいのかな?(苦笑)

多忙であっても、考える人は考えるでしょうし・・・ね?

 

 

 


揺れる春

2011年04月23日 | 雑事

 

3月16日の夜、計画停電になりその夜はキャンドルライトで過ごすことになりました。

キャンドルの灯りで食事をしたのは初めての体験でした。

見上げた空に白いお月様が・・・・・

周りが真っ暗なので、いつも見る月よりとても明るく感じました。

ずっと月を眺めていると、あら~少女時代に戻ったような錯覚を覚えました。

暗くなると、お布団に潜り込んで開け放した窓から星を見ていたわ・・・・・・。

時には流れ星も・・・きれいだったぁ。

       

月を眺めながら友人の一人に電話をしました。

「空にお月様が光ってて、何だかロマンチックじゃない?」

「あはは~っ♪そうだね~」

私の心が伝わったようで・・・明るい笑い声が返ってきました。

      

その翌日、17日起床と共に

大地震による混乱と余震で揺れる関東を離れ、九州の実家へ急ぐことになりました。

 

羽田へ向かう車窓から見た東京湾。

3月17日の朝、大地震による混乱と余震で揺れる関東を離れ、九州の実家へ急ぐことになったのは

原発から漏れだした放射性物質を懸念する家族の思いからでした。

夫と長男は仕事と学校があるので私と愛犬だけでの移動でした。

5月に予定していた帰省を、この3月に変更し、何と1ヶ月も滞在することになりました。

熊本空港に降り立つと、そこは長閑な世界が広がり、関東での緊迫した日々が嘘のようです。

余震による揺れもなく、のんびりとした田園風景がどこまでも続いていて平和そのものです。

リュックにエルを背負い、布のバッグには体重8キロのカールを抱え

その重さ何と10キロ以上です!腰を痛めるような重さに耐えるのが精一杯でした。

火事場のバカ力とは、こういうことをいうのでしょうね・・・・・。

エルとお散歩。ほっとしたようなエルです。

お城への出入口 

桜の季節に帰省したのは、実に十数年ぶりです。

思い出すのは、やはり学生時代の頃のことです。

仲良しだった学友たちの、その殆どが上京し残った友人とは年々疎遠になってしまいました。

今、会えるのは幼なじみのタカちゃんだけになりました。

お城の外側に新しくオープンしたお土産品店が並んでいます。

http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/ 

1ヶ月の滞在で、母の病院と高齢になった叔母たちの病院への付き添いや家の片付けなど

デジタル移行によるアンテナ工事とテレビの買い換えなどの雑用も多くありました。

東日本大震災で被災地の実情を知るにつけ、とても温泉へ行く気持ちにもなれませんでした。

関東に帰る日が近づき、博多に住む親友のMAちゃんと近況を語りあって少しホッとしました。

夫とMAちゃんのご主人様とは同じ職場で、関東の社宅で一緒でした。

子供たちが小さい時代の友人とは一生のお付き合いになるようですね。

MAちゃんの家族が西日本へ転勤になり、泣きの涙で別れて・・・22年?

実家に帰るたびに会えてうれしく思っています。

 

エル&カール

愛犬と一緒の帰省は大変でした・・・帰りに叔母たちに泣かれたのが辛かったです。

小さな頃、叔母たちと同居していたので、皆、母親みたいなんです。

羽田空港に迎えに来てくれた夫とご対面の愛犬たち

 G・Wまで九州にいるつもりでしたが、

「ママ~あのね~パパが寂しそ~うだから、早く帰って来てあげてね~」

と、娘からの電話で・・・・

「そうねぇ~そうだわね・・・・・」

1ヶ月ぶりに戻った東京は落ち着きを取り戻していました。

 

 

 

 

 

 

 


節電で

2011年04月21日 | 雑事

東日本大震災 「暗さ」「陰影」歓迎するムードへ 東京の夜は明るすぎた(産経新聞) - goo ニュース

 秋から通っていた歯科医院へ向かうために久しぶりに副都心線に乗りました。

通い慣れたメトロ副都心線ですが、これまでと違うのは節電で明るさがカットされたことです。

間引きされた蛍光灯で薄暗い車内やホームの見慣れないその光景に少々戸惑いを覚えました。

そして数日後、乃木坂の新国立美術館に向かうメトロ構内の照明の薄暗さに目も慣れてきたのでしょうか。

「あらぁ~眩しくなくていいじゃないの、ねっ?」と絵の仲間に問いかけると

「子供の頃を思い出すよね~」と明るい声が返ってきました。

子供の頃の裸電球を思い出しながら、そうそう、みんなの家は同じようにほの暗かった。

現代の眩いくらいの明るさに人は皆慣れすぎて、少し暗いと慌てて照明器具を買い換えたりしていますが

間接照明を上手に取り入れて、これからは陰影がある灯りにしょうかなと思っています。

節電で暗さに対する私たちの意識に変化をもたらしてきたのでしょうか。

去年旅した西欧の照明は間接照明が多く、そこから陰影が生じてきれいに見えるのですから見事です。

家庭での明かりの取り入れ方を工夫して節電できれば一石二鳥というものです。

電気料金の値上げが発表され、それも致し方ないのでさらなる我慢を強いられそうですが

節電で我慢するのではなく、ライフスタイルを転換すれば電気の需要を減らすことに繋がるので意識改革が大事になってきました。

夏のシーズンをどう過ごすかが大きな課題となりそうです。

 

 

 

 

 


 非常事態に思う

2011年03月14日 | 雑事

50km先の自宅まで徒歩で帰るための心得

 東日本大地震による電力供給不足で首都圏の電車がマヒしています。

JR○蔵野線の運休により夫はバスで西武線ひ○りヶ丘駅へ向かいさらにバスを乗り継いでJR中央線へ出るという迂回コースで出勤しました。

通勤の足であるいつものルートが使えなかったら、別のルートでのアクセスを調べて職場へ向かうのですから大変です。

電車が動かなかったら歩くしかない。信号もストップとなれば車も危険です。むやみやたらな行動は慎まなければなりません。

「50㎞先の自宅まで徒歩で帰るための心得」によると、通勤に1時間かかるならおよそ50キロと考え、

早足で歩いても帰宅には12時間近くかかるそうです。

大地震が来た日勤務先から家に辿り着いた時刻が真夜中の3時だったと夫の同僚が言っていたそうです。

夫は職場待機のまま・・・仕事に入り自宅に戻ってきたのは翌日の夜になりました。

義姉も足○区から江○区の自宅まで徒歩で4時間もかかったそうです。

この日は自転車が売れに売れて完売したようよ~と友人が℡で言っていました。そうか・・・なるほどね・・・・。

トラブルなく歩けるのは15~20キロ程度が限界なので、50キロ以上に延ばす方法があるという記事を読み参考にしたいと思いました。

日頃から早足歩きや柔軟体操などで筋力を付けていけば限界ラインが延びて行けそうですね。

最近歩く事の大事さに目覚めた私は、スーパーや銀行など歩いていくようにしています。

13日の日曜日に山の会による奥多摩の山歩きが予定されていましたが、この非常事態で中止になりました。

花が少しづつ咲き始め春のそよ風を感じますが、巨大地震で家屋や家族を失くされた被災地の現状をTVで観れば胸が痛みます。

心配していた福島に住むトシちゃんとも連絡が取れてホッとしましたが、東電の原発が近いのでとても気がかりなんです。

携帯がトシちゃんに繋がったのは真夜中近くでした。電気は停電し、家屋のガラスは飛び散り暗いので危険が伴うので動けないそうです。

ろうそくだけの明かりでテレビも観れないしラジオも電池がないので聴けないという状況を知って改めて驚きました。

家もあり電気も付きテレビも観れるということだけでも申し訳ないような気持ちになりました。

被災地の新しい情報が流れて来るたびに胸が痛み、現地で救援活動中の方々も疲労困憊されていることでしょう。

他国からの励ましのエールや多くの派遣隊を出してくれた国のご好意にテレビを観ながらうれしくてジーンときました。

今朝の英国の新聞の一面には日本ガンバレ~のエールに涙ぐみました。

私に出来る事は何かと考え、そう募金だったらできるから気持ちだけでも届けたいと思っています。

なかには義援金を振り込ませて口座を閉じてしまう悪徳団体信じられないような団体がいると聞いています。

なので身元のしっかりした団体に巨大地震被災者への義援金(募金)を託したいと思います。

未曾有の非常事態、今朝の各駅の電車を待つ人たちの長蛇の列、我慢がいつ爆発するのか心配になってきました。

 

 

 


観測史上初の

2011年03月11日 | 雑事

 いつかは来ると思っていた大地震。

NZ地震からまだ日も浅い3月11日午後3時前観測史上初の巨大地震に日本列島は揺れました。

午前中近所の友人と近くのスーパーでお買い物をして、午後から予定がある友人と自宅前で別れて

愛犬の待つ自宅に戻りました。

軽くお昼を済ませパソコンを開きコメントをいれたりしていたその時、前触れも無く突然の大きな揺れに

慌てて愛犬たちを抱き上げテーブルの下に潜り込みました。

長い揺れが続き、ガシャーアーンというグラスの割れる音に少しばかり恐怖心に襲われました。

エルもカールもワンワンと吠える吠える吠える・・・・・私の腕の中で小さなエルは震えていて

もっと大きな揺れが来たらどうしょう・・・・・・・。ドラマのワンシーンじゃないの?そんな錯覚と現実が交差する。

揺れが小振りになってきたので、急いで割れたグラスを片付け始めた。

愛犬たちがガラスで怪我をしたら大変!エルとカールを隣室に入れて大急ぎで片付けました。

幾度となく繰り返す余震のなかで、グラスの破片を拾い集めながら、小さなガラス片を掃除機で吸い込み

濡れたモップで床を拭いていると電話が鳴りました。

「ママ、大丈夫?」と不安げな娘の声が聞こえて来て、すぐに電話を掛けてきてくれた娘にありがとうの思いで

「うん~ママ大丈夫よ~」と気丈に答える。3分ほど話した後で、きれいになったリビングに愛犬たちを入れて、

そうそう、晩ご飯だわねぇ~  今夜は  ささみとカボチャとおからにキャベツにカリカリドッグフード。

エルとカールは待っていたかのようにしっぽを振って食べ始める。

暗くなり始めた頃に長男から電話が入る「家大丈夫だったぁ~?」照れ笑いのような声のトーンに

「グラスが割れてねぇ~」と私が言うと、「ははぁ~当たり前じゃん!ガシャガシャ置いてるからさぁ~」

むむっ!可愛くない子!笑っていうことじゃないのに!!

全く電話が遅いわよ~と内心思いながら、あっ、そうか~きっと繋がらなかったのね~そうか~。

取りあえず電話をくれたことに安堵する私。「彼も無事だったのね~」

10時も過ぎて、又余震が来る・・・おう~怖い・・・。

キーボードを打ちながらチラチラとTVのニュースを観ていると

福島の原子力発電所の放射性物質が漏れる恐れがあるかもしれないとニュースが流れている。

危険区域のなかで福島○葉町の名が文字で流れている・・・・・はっ、トシちゃんの住む町じゃないの~

去年のGWに一緒に旅行に行ったトシちゃんのことが気になって家へ電話してみるが携帯も繋がらない。

何度掛けても繋がらない。 あぁ~きっと大丈夫よね・・・又、明日電話掛けてみることにしょう・・・・。

それにしても、今日外出していなくて良かった!都内へ出ていたら自宅に帰れなかったかも知れない・・・。

そう思うと背筋がゾッとしてきました。

この巨大地震で尊い生命が奪われてしまいました・・・ご家族の方の悲しみを思うと言葉がありません。

不安な思いで救援を待たれている被災地の方への早急なる救援と、これからの復興を願っています。

    


春の淡雪

2011年03月07日 | 雑事

朝から雪が舞っています。

3月、春の淡雪ですね。

屋根の上も真っ白・・・・。

昨日までの青空から一転して、この雪景色

出勤を急ぐ夫を駅まで車で送りました。

JRの駅まで2㎞。普段は自転車で駅に向かいますが

雨の日や雪の日は、私が送っています。

もっとも、雪の日は殆どありません。

雪の朝にピンポーンとチャイムが鳴り

誰かと思ったら、近所の犬友のMちゃんでした。

Mちゃんとは家が近いので、よく一緒に愛犬のお散歩をします。

Mちゃんのママと私が同じ年齢なので、親子みたいなものです。

「パンをたくさんいただいたので、宜しかったら、どうぞ~」と

お裾分けに来てくれたのです。

ふんわりふわふわのパン。

お昼に

コーヒーとパスタを添えていただく事にしました。

あらっ、テーブル下のエル君、お口が、あ~の字です。

欲しいのかなぁ~?

ん・・・?あくび・・・のようですね。

夕刻には雪も融け、春のつかの間の淡雪でした・・・。

庭の山茶花が、春の淡雪に、しっとり白く染まっていてきれいでした。

写真を撮りそこなって・・・残念です。

 

 


心の荒廃

2011年03月03日 | 雑事

 先日のTVで東京マラソンについて語る石原都知事の談話のなかに、「心の荒廃」というフレーズがでてきて一瞬ドキッとしました。

心の荒廃ね・・・・・心が荒れすさむ、荒れすさむ心・・・。確かに現代は、ストレスを抱えて躁と鬱が著名にみられる危い時代。

テレビのスイッチを入れれば、温泉やグルメばかりでと、苦笑する都知事。

温泉もグルメも私にすれば「癒やし」だけど、元をただせば、「心の荒廃」を癒すための温泉・グルメになるのでしょうか?

自問自答してみるけれど、明確な答えがみつかりません。

最後に都知事は、「走っている人は、まだしっかりしている。」と結ばれました。

そう言えば、私の周りで毎朝ランニングしている友人がいますが、ほんとにしっかりした信念の持ち主です。

毎日走る人にとっては、日々走らずにはいられないようですね。

自己に厳しく人に優しい?自分に優しく人に厳しい人が多い中で、なかなかできないことです。

心が荒れるような現代・・・政治の世界を見ていてもそうですよね。

政党の要職にいる議員同士の争いのなんと心が寒いことか・・・。

テレビで見る国会討論の、その内容の幼稚さに心が凍る思いです。

子ども手当がどうのこうのって、その源を考えて欲しいものです。

私たちの支払っている税金を、税金泥棒と言われないように納得出来る形で運用してほしいと思います。

これ以上、うんざりが積もらないように、日本の将来が若い人に委ねられています。

10年後、さらなる高齢化する日本国の実情は避けられないのです。

これから都知事選に入りますが、現職の都知事はもう引退されるのかその動向が気になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


それは奇跡

2011年02月03日 | 雑事

親友のKちゃんの妹さんが交通事故に遭って、3ヶ月が経ちました。

3ヶ月ぶりに親友のKちゃんと会うことになりました。

朝一番に電話が鳴り、受話器を取るとKちゃんでした。

Kちゃん 「おはよう~しばらくね~今日、会えたら会いたいけど?」

私 「水曜日は、絵の教室の日だけど・・・・。」

電話の向こうのkちゃんは、どうしても今日会いたいという感じだったので

絵の方をお休みして、Kちゃんと会う事にしました。

妹さんの住むK市から自宅に戻ってきてから、しばらく寝込んでいたそうです。

妹さんの介護で疲労困憊していたのでしょう。

いつもの場所で待ち合わせて、3ヶ月ぶりの再会に

お店を2度変えながら、6時間ほど席を温めていました。

妹さんが交通事故に遭ってからの日々を、静かにその経過を語ってくれました。

横断歩道を自転車で走行中に、右折車に跳ねられたその瞬間、身体が4~5㍍も飛ばされたそうです。

「頭部を強打し、頭蓋骨を半分外しての手術となり、ICU室で生死を彷徨い

顔面の半分は、信じられないほど腫れあがって、見るに堪えられなかったのよ」

Kちゃんの話を聞きながら、私は悲しみで胸が締め付けられるようでした。

大腿骨の骨折と腹部内の出血を止血するための手術もおこなわれて、

Kちゃんは、精神的ショックで眠られない日々が続いたそうです。

そんなある日

妹さんの意識が戻ってきたときに、Kちゃんは、神様がいると思ったそうです。

幾度かの手術にも耐えて、現在は歩行のリハビリ中で、

左手のマヒは残るけど、ここまで回復できたことは奇跡に近いそうです。

Kちゃんが言うには、運ばれた救急病院が市でも評判の良い病院であったこと

それに、脳神経外科のドクターが名医であったことも幸いしたそうです。

決して人ごとではない交通事故、明日は我が身と受け止めています。

なんでも、加害者は高齢の方で、横断歩道を自転車で走行中の妹さんに気づかなかったそうです。

警察は、事故当時の詳細は、積極的には説明されないそうです。

いろんな絡みが(保険の問題とか)あるからでしょうか・・・・。

Kちゃんも、妹さんの介護があるので、私もkちゃんの実家にお見舞いを兼ねて行く予定です。

夕暮れ時は、事故多発の時間帯です。

特に雨の夜などは、濡れた道路にライトやネオンが反射して見づらいものです。

そんな日の運転は、とても気を遣いますが

ハンドルを持つ以上、安全確認を怠らず充分に注意したいと思います。

注意1秒、怪我一生。

皆様も、どうぞお気を付けてくださいね。

 


追想

2011年01月30日 | 雑事

 

今、考えると、それは不思議な再会でした。

2年前の春、実家に帰省した時に、県立美術館にでかけました。

美術館は、熊本城の二の丸公園の一角に位置し、考古、絵画、版画 、彫刻、工芸など、

古代から現代美術までを収蔵、展示されています。

古代の造形美を日本 美術の原点としてとらえた装飾古墳室が常時観覧できます。

絵画だけを鑑賞した後、美術館を出て二の丸公園から、お堀に沿って歩いていると

県立美術館の分館のギャラリーで「○○○展」という案内板を見かけました。

ふと、目に留まった○○○展の文字に、何気に観てみようかな~と思いギャラリーに入りました。

受付の若い女性たちの明るい笑い声を背にして

展示されている絵画の作品をひとつひとつ観て歩きました。

「宜しかったら名簿に、記帳して頂ければうれしいです。」

と、受付の若い女性の笑顔に、自宅の住所と名前、感想などを書きこみ

さらに、もう一度油絵を観ていると、背の高い中年男性が私の傍に寄られました。

その時、22歳だったあの頃の事が甦ってきました。

「あっ・・・・・・・○由が丘で?」

22歳の頃、私鉄沿線の○由が丘に住んでいました。

その頃通っていたのが、白いドアの小さなジャズ喫茶「P○○N」です。

当時はG・Sやジャズの全盛期で

ヴォーカリストのカーメン・マックレーやF・シナトラ、ペリーコモなどリクエストしていました。

店内は、コーヒーの香りと、煙草の匂いで充満し、

ジャズのリズムに乗ってスイングする若者たちでいっぱいでした。

お店の常連だった美大生Aさんの紹介で、モデルを頼まれたことがありました。

その時の画家が、Tさんでした。

    

22歳の私に

「モデルのお礼は何がいいですか?」

そう聞かれたときに、即、私は、「絵がいいです。」と答えました。

そしたら、彼は、「絵は個展があるから、あげられないけど、そうだね、食事でもしますか?」

苦学生だった彼は、私が下宿していた家の近くのラーメン屋さんでアルバイトをしていて、

通りすがりに何度か見かけると、お互いに挨拶をする程度でした。

当時、私には彼がいたので(今の夫)

苦学生のTさんとは、画家とモデルというだけでした。

あの頃と同じように背が高く、風貌は年齢を増した分だけ、多少変わっていても、

どことなく面影が残っていました。

ただ、口の上の無精ひげは消えていましたが・・・。

30数年ぶりに故郷で、こんな形で出会うなんて、ほんとに奇遇です。

Tさんの個展案内のパンフレットから、

受付で華やいでいた3人の若い女性は、彼のお嬢さんたちで、

明るく聡明な奥様の支えがTさんの力になっているようです。

大病を乗りこえてのTさんの油絵の個展、感慨深い思いでした。

年が明けて、「はるばる遠方よりありがとうございました」と書かれた礼状が届きました。

Tさん、いつまでもお元気で、好きな絵を描かれてくださいね。

 

 


マイ・バースデー

2011年01月26日 | 雑事

お誕生日に、いろんなメッセージが届きました。

ウェブでのサン○リー社からのハッピーバースデーのコーラスは

なかなかユニークでお洒落だなぁと思いました。

 

ハッピーバースデー トウ・ユー

合唱はスタッフの方々で、ハッピーバースデーの歌が終わると、おめでとうの拍手です。

何故か、心がふんわりしてきました。

A○AやJ○Lからのハッピーバースデーのささやかな贈り物の壁紙は

私のなかにある旅情を誘ってくれて、夢のつづきを見たくなります。 

https://www.ana.co.jp/anamail/common/100502/digital/image/scenery_768.jpg

南仏のコートダジュール・・・・・・紺碧の空と海の美しさに心が躍ります。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nice-night-view-with-blurred-cars_1200x900.jpg

ニースの夜景が、心酔わせてロマンティックね。  

ブログ友のモコちゃんから届いた手作りのシュシュ。

心のこもったハンドメイドは、温かさが感じられてうれしいわ。

モコちゃんには、カールやエルの服をお願いする事があって、

心ばかりの物をお届けしたことがありましたが、バースデーを覚えていてくださったのね。

ありがとう・・・・モコちゃん

うふふ~招き猫さんね

 バースデーのお祝いに、先日友人と一緒に行ったお店にいた招き猫ちゃんです。

蟹グラタン

大泉○園駅前「ゆ○りあ」の中にある創作懐石料理のお店「梅の○」

九州に本社があり、全国に支店がある湯葉と豆腐懐石の和食レストランです。

日曜日は懐石料理のランチがお休みなので、単品にしました。

牡蠣フライにご飯とお漬け物

シャキッとした牡蠣フライと蟹グラタン、とても美味でした。

次回は、平日の創作ランチコースにしたいと思います。

    

 

バースデー当日に、なんと

娘から薔薇のブリザーブドフラワーが届きました。

私の年の数だけの薔薇がぎっしり詰まっていて

一つ、二つと、数えながら・・・

まぁ~びっくりです~こ~んなに生きてるね~

薔薇よ~薔薇よ~不思議の不思議ね~(微笑)

    

薔薇を見ながら、そう・・・娘を産んだ日の事を思い出して

ちょっと胸にジーンときました・・・・。ママ、幸せだわ・・ありがとう

バースデーには、いつも娘夫婦と外食でしたが、今年は会えなくて残念です。

 友人や家族に支えられながら、生きているということに

今は、感謝の気持ちでいっぱいです。