http://www.youtube.com/watch?v=LpeJaAHPbXM&feature=related
あの時は 何気なく会った あの人が
何故か心に残る 淡い恋心
8月に竹○無我さんの訃報を知り、何だか悲しい気持ちになりました。
1968年某テレビ局で放映された「三人家族」は、大都会東京・横浜を舞台にした
竹○無我さんと栗○小卷さんのラヴストーリーでした。
当時、学生だった私は、そのドラマの主題歌(あ○い輝彦さん)も良かったけれど、
小卷さんと無我さんのふたりのドラマでの甘い雰囲気が好きでした。
美しい小卷さんのファンも多く、コマキストという言葉も生まれたようです。
「三人家族」の後に、「二人の世界」が始まり、もう、心は大都会へ向き始めました。
その頃から、なんとなく都会に憧れを抱くようになったようです。
そして、私のまだ見ぬ恋人は、東京にしかいないとまで思い込むようになりました。(笑)
なぜか心に残る淡い恋心
この広い空の下、僕の探す幸せは
あなただけ、あなただけ
名前さえ知らないで好きになった人
いつも遠くの方から私を見ている
燃えている夕焼けが二人だけの
明日をよんでいる、よんでいる
二人だけ、二人だけ、そんな夢を見る
だけど今だって僕は幸せなんだ
あの人の澄んだ目がいつも僕に
ほほえみを投げかける、投げかける
数年後、憧れのTOKYOの某会社から採用内定通知が届きました。
4月の入社式に合わせて、イエローのワンピースにイエローのショルダーバッグを肩に掛け、
ボストンバッグを持って寝台特急「みずほ」に乗りました。
当時は、殆どの方が寝台特急列車を利用していたようです。
あの日のプラットホームで、見送る母の寂しそうな姿が今でも目に焼き付いています。
九州から東京。今でこそアクセスも良くなりましたが、当時はまだまだ遠い地でした。
幸いにも学生時代の親友Y子も東京に就職だったので、気持ち的には喜びでした。
人生には、右か左か決めなければならない事も多くありますが、
その岐路で決断するのは誰でもない私自身なので、後悔のないようにといつも思っています。
そして、その東京で恋する人に出会うことになりました。
恋する人は、やはり東京にいました!(笑)
もし、「三人家族」を観ていなかったら、東京には行かなかったかも知れません。
そう思うと、このドラマに感謝です。
竹○無我さんの余りにも早い旅立ちは、
私にとって、ひとつの時代の終わりを感じ、青春への郷愁もあり胸が締め付けられる思いです。
人は一人では生きられない。そのことを分かる年齢になったので、人の弱さも、悲しみも
自分の事のように思えてならないのです。
今も、あの端正なお顔が浮かんでは消えます。もっともっと舞台やドラマで
元気なお姿を拝見したかった・・・・・。
若い頃にいろんな夢を見させていただきました。ありがとう無我ちゃん!
どうぞ、安らかにお眠りください・・・。
なかなか雰囲気のあるナイスガイ(ふる~~い?)
でしたね。
一つの時代が終わったようで寂しいわね。
もう、そういう年代に突入したと言うことかな?
お互いに今を充実させていきたいわね。
そうそう、リヴィちゃんたちの写真のUP待っていま~す。
わたしもこの訃報を聞いた時は悲しくなりましたよ~
二枚目の竹脇無我さん、憧れでしたものクスン
色気のある俳優さんだったし、あの甘いマスクも
大好きだったんです
”だいこんの花”脚本が向田○子さんのドラマ
ほのぼのして良かったですね。
向田さんの作品好きでした。
~夢に満ちあふれていた時代が懐かしいですね。
高度成長期で、故田○角栄さんの日本列島改造論!
あの頃原発がドンドン増えていったなんて知るよしもなかったですよね。
上司に言われましたよ。
地方から来た人は、バイタリティがあるって。(笑)
それは~そうでしょう~
もう~家には帰らない覚悟で故郷を後にしているのだから。(苦笑)
良い男でしたよね。
森繁さんとのダイコンの花だったっけ?
ずっと見ていました。
えりささんの上京のきっかけになったんですね。
でも、えらいなと思います。
私は、結婚するまで実家からは離れられませんでした。
一人で実家を出るなんて考えられなかったなぁ。
夢を膨らませて駅のホームに立つえりささんを想像しています。