文政11年6月中旬・色川三中「家事志」
土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第二巻をもとに、気になった一部の大意を現代語にしたものです。
文政11年6月11日(1828年)
篩屋の刃傷沙汰の件。藤沢村の名主の取扱いがうまくなく、内済では済まない様子。先日、御検使・御地頭・御代官・御徒目付が来られて、加害者(三次)の口書を取ったとのこと。
#色川三中 #家事志
(コメント)
篩屋が被害者の刑事事件の続報。刑事事件ではあっても、現代と違って示談(内済)で済ますこともできるのが江戸時代。しかし、加害者側の村の名主が話しをうまく持っていくことができず、刑事事件として判決となりそうな様子です。文中「口書」というのは、現代でいえば自白調書のことです。
文政11年5月16日(1828年)曇
— 断感ろーれんす (@tk23956) May 15, 2023
甲州の篩屋(豊蔵;八代郡岩間宿)が藤沢村(土浦市)の長嶋屋に泊まっていた。出立したところを、宿屋の従業員(三次)から脇差で切りつけられ、腹を突かれた。が、脇差は矢立てで止まったため深疵はなし。頭等5箇所の切り傷。三次は牢に入れられた。#色川三中 #家事志
文政11年6月12日(1828年)
新町の飯塚伊賀七なるものは、堂塔の墨出しが練達の大工よりもうまくできる男で、先年五角形の家を建てた。時が来ると自動的に半鐘を撞くようにした。その他にも様々な工夫をしているという。こんな地方にも名人がいるとは!
#色川三中 #家事志
(コメント)
土浦周辺でもプロと並ぶか超えるような技量を持つ者が出てきているという記事。
五角形の家を建ててしまうとか、自動半鐘装置を作ってしまうとか。三中も地方で名人級の者の登場にビックリしています。
文政11年6月13日(1828年)曇
祇園祭り。夕方、天王様が御立ちになる。途中で長柄の毛鞘を外して、風呂敷に包んでしまったので、どこにいったか分からなくなった。当方にも入江(名主)からも所在の問い合わせが来た。ようやく、大町の屋根の上で見つかったとのこと。
#色川三中 #家事志
(コメント)
今年の祇園祭りは例年どおりの開催(旧暦6月13日がメイン行事)。昨年の祇園祭りは、将軍の子の死去で延期でした。ところが、今年は長柄の毛鞘がどこかに行ってしまうトラブルに見舞われてしまいます。祭りには様々なトラブルがつきもののようです。
1827年6月12日(文政10年)
— 断感ろーれんす (@tk23956) June 5, 2022
徳川式部卿様が6月10日に逝去されたため、普請は12日まで、鳴物は16日まで停止と御公儀が決められた。町御奉行からそのことの仰せがあったので、中城町役元からお触れが出た。鳴物停止のため、祇園の祭りは延期である。#色川三中 #家事志
文政11年6月14日(1828年)
一昨日の深夜、大雨、暴風、大雷あり。近所の空き家に雷が落ちて、壁に穴が空いた。火が燃え上がったので、水をかけて消したという。雷の火は水で消すことができないと世の中の人は言っているが、そんなことはないのだろう。
#色川三中 #家事志
(コメント)
かなりの雷雨。空き家に雷が落ちて、ボヤになりましたが、大事には至りませんでした。「雷の火は水で消すことができない」という言い伝えがあったようですが、三中は冷静に考えています。実際に消火できているので、言い伝えは真実ではないと判断しています。
文政11年6月15日(1828年)雨
入樋の件は、昔の例どおり、高持百姓の負担分は持合金から出すべき。各所を回って話した。藩にも願いを出すつもり。
#色川三中 #家事志
(コメント)
三中は、入樋の件で高持百姓の負担分を押さえるべく持合金から支出するようにとの主張です。以前も持合金から出しており、三中は古例どおりにすべきとの考え方です。
文政11年4月20日(1828年)曇
— 断感ろーれんす (@tk23956) April 19, 2023
入樋の件を、町内の高持百姓には全て説明した。誰もが高額の負担を望まず、減額を希望している。享保・延享のときの例を調べるため、そのころの帳面を調べ直している。#色川三中 #家事志
持合金とは、明和元(1764)年9月に当時の町奉行の発案によって、町民が「門並」に日掛け一文を積み立て、これを年利一割で困窮人の夫食金や営業資金として貸付け、利分を凶作時の手当や町費とするという趣旨で開始されたもの
https://blog.goo.ne.jp/lodaichi/e/1828a6f132c6559f617f48464679d07a
文政11年6月16日(1828年)雨
与市と利兵衛を深谷村(かすみがうら市)に交渉に行かせた。卯兵衛と常治が「我々は書面に押印した覚えは一切ない、今回のこの騒動は要助の奸計に相違ない」と述べているとのこと。鷺を烏と言うような、明白な悪意の主張である。
#色川三中 #家事志
(コメント)
与市(従業員のエース)を交渉に行かせているので、、かなり難しい交渉のようです。相手方は、無茶苦茶な主張であり、鷺を烏と言うような主張であると評しています。
深谷村は現在の茨城県かすみがうら市深谷。土浦からは約10 km。深谷村の清水家は、三中の曽祖父の実家。曽祖父は清水家から色川家に養子に来ています。
文政11年6月17日(1828年)曇
深谷村の一件は、藩の役人の木原様のお力を借りなければならないと思い、内々にお話ししようと思っていたところ、木原様が拙宅にお出でになられ、親身にお話しを聞いていだいた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨日の記事にあった深谷村の件(相手方がトンデモ主張をしている)、あまりにも相手方の主張が無茶苦茶なため藩役人の力を借りようとする三中です。木原様とは本を借りたりする仲でかなり懇意なのです。
文政10年9月8日(1827年)
— 断感ろーれんす (@tk23956) September 7, 2022
・伊勢屋の出店の内室が亡くなり、本日野辺送りをした。
・木原様に借りていた本を返した。#色川三中 #家事志
文政11年6月18日(1828年)曇
ここ二三日冷気があって天候不順。雨は降らなかったが、晴れもしない。
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨年も天候不順、今年も天候不順と三中は日記に記しています。再来年には「天保」となり、不作から飢饉が起こる年号となります。文政後期にもその兆候が出てきているようです。
文政10年11月21日(1827年)
— 断感ろーれんす (@tk23956) November 20, 2022
昨日は小寒。先日かなり寒いときがあったが、寒に入ったというのに暖かい日であった。気温が高く、天候不順である。#色川三中 #家事志
文政11年6月19日(1828年)
昨日、村役人から呼び出しがあった。持合金の利息が12両あるという。役元から、「惣代からこのことは聞いていませんか」とお尋ねがあったが、初めて聞く話しである。こんな大切なことを知らせてくれないのはどういうことだ、全く不可解である。
#色川三中 #家事志
(コメント)
入樋の件で、高持百姓の負担を押さえる方針の三中は、持合金から入樋費用を出すようにと主張していました。ここにきて、持合金の利息が想定以上にあることが分かり、唖然としている三中です。どうも村役人の中にシャキッとしない方がいるようです。
文政11年6月20日(1828年)
三中先生は本日休筆です
#色川三中 #家事志