寛政12年6月11日(1800年)
— 断感ろーれんす (@tk23956) June 10, 2022
ヤマセ風で曇天。雲間に太陽の南中を観測。その後暑くなったので、単物を服する。レブンケの詰合出役の小屋から別の仮屋へ移る。詰合支配御勘定の田辺安蔵殿が本日ご出役のためである。明日ヲムシヤが催されるため。本日はレブンケに逗留。#伊能忠敬 #測量日記
1827年6月30日(文政10年)
— 断感ろーれんす (@tk23956) June 14, 2022
北条の佐助にいとまを遣わした。不埒なことが沢山あったからである。少し前には漢方薬の大黄を紛失し、今回も唐朝黄を持ち去った。佐助が行ったことのほんの一部のみを書き記した。#色川三中 #家事志
200年以上前に茨城県・土浦城でおこなわれた祇園祭を描いた「土浦御祭礼之図」(写真は土浦市公式Facebookより抜粋いたしました🙏) https://t.co/eYPA0S4lWS pic.twitter.com/8YsqVHRjPn
— OZ CREATIVE HOUSE (@ozrainbowch) July 16, 2020
1827年6月23日(文政10年)風雨
— 断感ろーれんす (@tk23956) June 11, 2022
八つ時、熊野屋と田中清吉同道で入江(名主)へ。松喜(債権者)との件、次のとおり決まる。
借用金10両。本来の利足は3両2分だが、2両とし、元利計12両のうち今月2両。来月より毎月1両の月賦。完済までは田地を質とし、質地証文は完済時に返却。#色川三中 #家事志
寛政12年5月18日(1800年)その2
— 断感ろーれんす (@tk23956) May 17, 2022
滞留のときは毎日、三厩(現・青森県外ヶ浜町)の庄屋忠兵衛が不出帆書付を提出する。
(その写し)
覚
今日、丑寅又は申酉、子丑の風で、出帆ができませんでしたので、このことを申し上げます。
以上
庄屋忠兵衛 判#伊能忠敬 #測量日記
八雲町山越漁港から見る駒ヶ岳さん pic.twitter.com/D7OEcz5XIn
— らるたん (@larutan0427) June 28, 2021
寛政12年6月5日(1800年)
— 断感ろーれんす (@tk23956) June 4, 2022
朝より七つ頃まで晴れ、その後薄曇、夜五つ後より中晴れ。朝五つ後に鷲木を出立、ヲトシベ村で中食。海辺を行き、七つ後山越内に着。同所に詰めている湯浅三右衛門殿の支配人伊藤茂座衛門の別家甚之丞方に止宿。五つ後より四つ頃まで測量(天体観測)。#伊能忠敬 #測量日記
私が住んでいる町内には宮薙と言う伝統行事があります。
— 高橋 靖 (@mayor_takahashi) July 14, 2021
毎年7月15日午前6時に集合して神社の参道や境内を掃き清め、神事を行う行事です。
田植えが終わり、秋の稲刈りが始まる中間を狙って行われることから、五穀豊穣を願う意味も込められているそうです。
続きはブログhttps://t.co/FsjGvyuuJK
1827年4月12日(文政10年)
— 断感ろーれんす (@tk23956) April 11, 2022
田村惣七なるものが来て、大蛇の歯と称するものを売りにきた。奇物ではあるが、大蛇の歯ではなく竜歯。竜といってもまことの竜ではなく、竜骨石とでもいうべきもの(注:ナウマン象の化石)。その旨説明し、相手も納得の上金一両で購入した。#色川三中#家事志