村内の揉め事につき戸締の刑 仮刑律的例 41
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(要旨)村内の揉め事きつき戸締の刑とされた事例
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【三河県からの伺】
明治2年2月、三河県からの伺い。
(はじめに)
幡豆郡の村々での金銭の押借り騒動が発生したことにつきましては、既にご報告してありますとおりです。
今般、この一件について調べを終えましたので、関係者の申口(供述書)を添付し、お伺い致します。
関係者の供述は多少異同がありますが、要は、
発頭人4人が元大庄屋の者5人の些細な過失を口実に17ヶ村を扇動し、徒党を組むような行いをしたものです。
(元大庄屋の者5人について)
また、元大庄屋の者5人が陣屋に備えられていた品々を持ち出したのは、これを自分の物にする意図はなく、上知(版籍奉還)の際に旧主の物であるので、従前の例に従って前後を弁えずに持ち出したものでした。
しかしながら、勝手に持ち出したことには問題があり、かつ、平生からの行状が不行届でしたので、昨年の冬から手錠宿預けとしております。
(悪民4人について)
悪民の4人は自白し、入牢させました。その後調査したところ、疑いのあったことは事実無根であり、悪民たちの口実によるものだということが判明しました。
(元大庄屋の手錠を解く)
よって、元大庄屋5人の手錠を2月3日に解いた上で、改めて宿預けと致しました。
(発頭4人の刑)
発頭4人は死罪に値しますが、不作で難渋しており、愚民が糊口のために一時的に悪事を企てたものであり、その他別段の悪企みを行ったわけではありませんので、死一等を減じ、徒罪三年と考えましたが、当県においてはまだ徒刑場を整備しておりませんので、これまで通り国境払の処分といたします。
(元大庄屋の刑)
元大庄屋4人については、上記の次第により、改めて百日謹慎を申し付けました。
もう一人の元大庄屋については、陣屋の品の持ち出しには加わっていないことから、無罪放免と考えます。御評決の上、御沙汰ください。何分にも村の費用が嵩んでおり、難渋しているとの嘆願がでておりますので、早々に御沙汰いただきたくお願い申し上げます。
【返答】
元大庄屋5人については、戸締20日、徒党村々配当金子を戻させよ。発頭人4人については戸締百日を申し付ける。
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(コメント)
・本件は三河県からの伺いであり、村騒動に関するものです。 伺いだけでは事案の詳細がよくわかりません。三河県からすると、関係者の申口(供述書)を添付したので、それを読んでもらえばわかりますということなのですが、申口が残っていないため、細かな事情までは不明となってしまっています。
・本件が発生した三河県幡豆郡(はずぐん)は現在の愛知県西尾市、額田郡幸田町のあたりです。
・伺いの文中でわかる範囲で事案を紹介しますと、本件は、発頭人4人が大庄屋の者5人の些細な過失を口実に17ヶ村を扇動し、徒党を組むような行いをしたというものです。その動機について伺いでは、「不作で難渋しており、愚民が糊口のために一時的に悪事を企てたもの」とありますから、経済的困窮が引き金となったことがわかります。
また、「金銭の押借り騒動」ともありますから、強引にお金を引き出そうとしたのかもしれません。
・大庄屋は本件が発生した際に、陣屋に備えられていた品々を持ち出したことを咎められています。持ち出した理由は、自分の物にするというものではなかったようです。
しかし、やはり問題な行動ではあるので、昨年の冬から手錠宿預けとされ、その後2月3日には手錠は取れましたが、宿預けは継続となりました。宿預けや手錠宿預けというのは、未決即ち刑が決まる前の措置です。それ自体は刑ではありませんり
・明治政府からは、元大庄屋5名について指示された戸締20日が刑の内容となります。「戸締」というのは、その者の家の門を釘付にし、謹慎させることをいうので、単なる謹慎よりも厳しい措置のようです。
・発頭人4人は明治政府により戸締百日とされました。三河県は国境払という追放刑にしたかったようですが、追放刑は行わないというのが明治政府の方針ですので、戸締の刑として元大庄屋よりも刑期を長くしています。