チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー
管弦楽:レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1960年11月7日~9日、ウィーン、ムジークフェライン・ザール
LP:ポリドール(ドイツグラモフォン) 2535 237
指揮者のエフゲニー・ムラヴィンスキー(1903年―1988年)は、1924年レニングラード音楽院に入り、作曲と指揮を学ぶ。1931年レニングラード音楽院を卒業し、マリインスキー劇場(当時の名称はレニングラード・バレエ・アカデミー・オペラ劇場)で指揮者デビューを果たし、以後1938年までこの職にとどまる。1934年からレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団で定期的に客演指揮活動を開始する。1937年ショスタコーヴィチの第5交響曲を初演。1938年「全ソ指揮者コンクール」に優勝した後、すぐにレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。以後、50年間にわたりレニングラード・フィルに君臨し、その名声を世界に轟かすことになる。スターリン賞(1946年)、人民芸術家(1954年)、レーニン賞(1961年)、社会主義労働英雄(1973年)と、その受賞歴を見れば旧ソ連の英雄であったことが自ずと分る。日本へも4回来ている。そのムラヴィンスキーとレニングラード・フィルが、全盛時代にオーストリアに渡り、ウィーン楽友協会ホールで録音したのが、歴史的録音として名高い、このLPレコードなのだ。チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、19世紀後半の代表的交響曲の一つとして高く評価され、現在でも最も人気のある交響曲の一つに数えられている。チャイコフスキー自身も「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」と語るほどの自信作だった。しかし、「悲愴」の初演のわずか9日後、チャイコフスキーはコレラに加え肺水腫が原因で急死し、この曲は彼の最後の大作となった。このLPレコードでのムラヴィンスキーの指揮ぶりは、厳格な上にも厳格を極めていると言ってもいいくらい禁欲的な精神に貫かれている。ムラヴィンスキーの写真で見るしかつめらしい顔つきは、正に演奏そのものの反映と言ってもいいほど。このLPレコードは、そんなムラヴィンスキーが、自身の特徴を遺憾なく発揮した白眉の1枚なのだ。そこには、甘い感傷などの入り込む余地など微塵もない。そして壮大な建築物を一部の隙もなくつくり上げるような、雄大な構成力が厳然としてそこには存在している。リスナーが気楽な気持ちで「悲愴交響曲」を聴こうとすると、ムラヴィンスキーから拒否されかねないのが、この録音なのである。かといってコチコチのチャイコフスキーとは異なり、あたかも一遍の小説を読むような、ドラマチックな展開がその背後には確かに存在しているんがムラヴィンスキーの魅力なのである。(LPC)
チャイコフスキー:交響曲第4番
指揮:小澤征爾
管弦楽:パリ管弦楽団
録音:1970年10月22日~23日、パリ
LP:東芝EMI EAC‐30302
指揮者の小澤征爾は、トロント交響楽団の首席指揮者を皮切りに、サンフランシスコ交響楽団音楽監督、ボストン交響楽団音楽監督、そして2002年にクラウディオ・アバドからバトンタッチしてウィーン国立歌劇場音楽監督に就任し、同監督を2010年まで務め挙げた。実は、今回のLPレコードのパリ管弦楽団の音楽監督には一度も就任してはいないのである。しかし、ショルティの次にパリ管弦楽団の音楽監督を選ぼうとした時の有力候補の一人に小澤征爾が挙がっていたという話があったほど、互いにその関係は緊密なものであった。それは、パリ管弦楽団の持つ資質と小澤のそれとがかなりの近しかったことが原因になっていた。それは、このLPレコードに遺された録音が物語っている。繊細で色彩感覚に富んだ演奏は、ロシア人が演奏するのとは大分隔たりがあるが、こんなチャイコフスキーがあってもいいという強い説得力を持った演奏を繰り広げている。小澤の指揮ぶりで感心すること一つは、洗練されたリズム感が全体を覆っていることであり、これこそパリ管弦楽団の真骨頂が存分に発揮できる土壌なのだ。チャイコフスキーは、37歳の時、結婚の失敗から入水自殺を図ったが、未遂に終わる。これ以降、チャイコフスキーは、今日、傑作と目されている名曲の数々を作曲するのである。交響曲第4番は、この人生上の一大事件の最中に作曲され、結果的には中期を代表する作品となった。1876年、チャイコフスキーは、未知の女性から手紙を受け取った。裕福な地主のナジーデダ・フィラレトーヴナ・フォン・メック夫人からであった。メック夫人は、チャイコフスキーの才能を高く評価し資金援助を申し入れたが、二人は手紙のやり取りのみで、一度も会うことはなかったという。これによりチャイコフスキーは、教授職を辞し、歌劇「エフゲニー・オネーギン」と、この第4交響曲の作曲に没頭することになる。1878年1月に曲は完成し、初演は成功を収めた。草稿には「わが最愛の友に」と書かれており、フォン・メック夫人に捧げられた曲となった。チャイコフスキーの第4番~第6番の3つの交響曲の中では、比較的明るい曲調の曲で、現在でも根強い人気を誇っている。小澤の指揮は、決して押し付けがましくなく、チャイコフスキーの世界を思う存分リスナーに印象づけることに成功している。特にパリ管弦楽団の持つ色彩豊かな演奏能力を最大限発揮させた手腕は評価できよう。数あるチャイコフスキーの交響曲第4番の録音でも、豊饒な色彩感覚あふれる1枚となった。(LPC)
チャイコフスキー:交響曲第5番
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1965年9月22日、24日、27日、11月8日、ベルリン、イエス・キリスト教会
LP:ポリドール(ドイツグラモフォン) SE 7812
このLPレコードに収録されている交響曲第5番は、チャイコフスキーが1888年に作曲した作品。交響曲第4番と「マンフレッド交響曲」を作曲した後、チャイコフスキーは交響曲の作曲からは遠のいていた。しかし、その後、ヨーロッパに演奏旅行したことを契機として、再び交響曲への作曲に情熱が高まり、1888年5月~8月にかけて作曲されたのが、この交響曲第5番である。初演における評論家の評価は低かったようであるが、徐々に人気が高まり、今では交響曲第6番「悲愴」に次ぐ人気作品となっている。古典的な4楽章形式の交響曲であるが、第3楽章にワルツが取り入れられているのがこの曲を特徴付けている。この交響曲は、如何にもチャイコフスキーらしい、北国を思わせる物悲しい雰囲気の中に、美しいメロディーが散りばめられ、いつ聴いても飽きない、魅力ある作品に仕上がっている。このLPレコードで演奏しているのは、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のベルリン・フィルである。このコンビは、最後は対立関係に陥るが、カラヤン在任中にベルリン・フィルの力量が格段に向上したことは紛れもない事実。そんな名コンビの演奏が残した録音の中でも、私が好きなのは、このチャイコフスキー:交響曲第5番とヘンデル:合奏協奏曲作品6である。両方ともカラヤンの美学がはっきりと表現され、寸分の曖昧さもない。ヘンデル:合奏協奏曲作品6が「静」の美学とするなら、このチャイコフスキー:交響曲第5番には、カラヤンの「動」の美学が息づいている。チャイコフスキー:交響曲第5番は、一般にロシアの郷土色を前面に押し出したような演奏をする指揮者が多いが、カラヤンの場合は、あくまで曲そのものを対象とし、それ以外の付随的な要素は切り捨てる。ある意味では無国籍的な印象を受けるが、その分交響曲としての壮大な姿が浮き彫りとなり、リスナーに強く訴えるものがあるのだ。リスナーは、聴き終わった後、何か壮大な建築物を下から見上げた爽快さを味わうことになる。畳み掛けるようにベルリン・フィルをリードし、それに対してベルリン・フィルの団員達もこれに応じ、そのやり取りは、録音を通しても伝わってくるのだから凄いの一言に尽きる。もうこうなると、ロシア的雰囲気とかは二の次になって、リスナーは、カラヤンとベルリン・フィルが繰り広げる音の饗宴に身を投げ出すだけとなる。これほど歯切れよく、深みのある演奏は、そう聴かれるものではない。このコンビが繰り広げる、集中力の高さに加えた、奥行きの深い表現力には、誰もが一目を置かざるを得まい。(LPC)