―― いま何しとるん?
たった一行だけの短いメール。
思いっきり身構えていた私は拍子抜けした。
でも、この程度の内容、いつもの彼だったら電話で済まそうとするはず。
私は自分で、彼との間に見えない壁を作ってしまったんだろうか。
―― 洗濯。
と、私も短く返そうとして、その後にちょっとだけ付け加えた。
―― お天気いいから。
洗濯の終了を告げるアラーム音とメールの着信音が同時に鳴る。
―― 偶然やな。俺も洗濯してる。終わったら何するん?
洗濯かごを持って窓辺に立った。
青空に小さなはぐれ雲がぽつりと浮かんでいる。
―― 何しようかな。そっちはモンスター狩り?
ベランダのプランターの土が乾いている。
水やりしなくちゃと思ったところへ、また携帯が鳴った。
ただ今度はメールの着信音じゃなく、電話の着信音。
(もうメールはまどろっこしくてアカン)
その瞬間、私ははっきり気づいてしまった。
こんなにも彼の声が聞きたくてたまらなかったなんて。
(毎日狩っとるよ。もうヤバい!めちゃくちゃ楽しいで)
子供のように弾んでいる彼の声。
彼の中にあの日の出来事はわだかまりとなって残ってないのかな。
(もうすぐドラマの撮影始まってまうし、今のうちや)
そう言って笑った彼が、不意にあっと声をあげた。
(いま、いま、おまえ見たか?)
「え?何を?」
(いまな、ちっこい雲が空から落っこちてん!)
「は?クモ?」
(ちゃうねん、空の雲やって。さっきまでちっこいの浮いてたやろ)
私が空を見上げようとすると、あわてたような彼の声。
(下、下や、下見てや。雲さん、落ちてへんか?)
それは予感だった。
雲など落ちてるわけがない。
胸の鼓動が早くなった。
予感を確かめようと、ベランダから下を見た。
白い小さな雲が見えた。
その正体に、私は思わず笑ってしまった。
ツアー中のライブで使っている小道具をわざわざ持ち出してくるなんて。
29歳のいい大人が何をやってるんだか。
私は携帯からそのまま話しかけた。
「ねえ、洗濯してるんじゃなかったの?」
彼が片手をあげて車のキーを振った。
「ドライブ、行かへんか」
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太陽からの光を照り返して、海の色は空と同じくらい鮮やかな青色をしている。
日差しはポカポカと暖かいのに、海からの潮気を含んだ風は身を切るように冷たい。
都心から約1時間強、車を走らせて着いた冬の海岸は人気もなく静かだった。
近所の人だろうか、年配の女性が一人、レトリーバーを連れて散歩している。
私たちは並んで車に寄りかかりながら、海とその光景を眺めていた。
行きの車の中で、彼は大好きなゲームの話をずーっとしていた。
ゲームの話となると止まらないのはいつものことだけど、今日は途中で口を挟めないほどの勢いで話し続けていた。
この前の私の態度を謝りたかったのに、私が何か言う暇を彼は与えてくれなかった。
ただ、運転しながら1時間以上話し続けて、さすがに疲れたのか、ここに着いてからは口数が減っていた。
「ねえ…」
「あっ、おまえ、そういえば、カウントダウン、大阪来るんだっけ?」
「…うん、行くけど…」
「ラストは?来るん?」
「うん…」
「そっか、ありがとな」
何なんだろう、ドライブ中から続いているこの一方的な会話は。
隣に立つ彼を見た。
海を眺めている横顔は、まるで聖人のようにとても穏やかで落ち着いていて、ゲームに夢中な時の彼とも、ライブではしゃいでいる時の彼ともまるで別人に見える。
ふと初めて彼と会ったときのことを思い出した。
あの時も、パーティー会場の壁際で、彼はこんな静かな表情で一人立っていたっけ。
同じ業界人が集まっている席なのに、すごく居心地が悪そうで、気の毒なほど笑顔が固まってた。
「どした?」
私の視線に気づいた彼が顔を向けた。
「あ…あのね」
「見とれてたんか?」
からかうような笑みを浮かべて私を見下ろす。
「見とれてたかもしれんけど…」
彼に見つめられて、私はすっぴんで部屋から出てきたことを思い出した。
―― なんや来んの早いな思ったら、すっぴんか!
―― ちょっと、ここ駐禁なんだから。早く車出して。
今の今まですっかり忘れてた。
化粧をしていないことよりも、彼に何と言って謝ればいいか、そのことばかり気にしていたから。
「ねえ、私…」
「あっ、あれだ…」
また彼が言葉を被せてきた。
「え?」
「ああ、いや…」
「なあに?」
「おまえ…寒くないか?」
聞くなり彼は私の前に回ると、私の頬を両手で挟んだ。
不意打ちに、体中の熱が頬に集まってきてるんじゃないかと思うほど、自分の顔が紅潮してくるのがわかる。
「ちょっと。手、冷たいよ」
思わず照れ隠しで言ってしまった。
でも、本当に彼の手は冷たかった。
「そやな。俺、末端冷え症やから。おまえのほっぺの方があったかいわ」
笑ってそう言いながら、私の頬から手を離そうとはしない。
「私の体温、取られとる気がする」
「それは、気のせいちゃうん?」
笑ってかわされたが、そうなのかもしれない。
だって、海から吹いてくる冷たい風をさっきから感じていない。
彼が私の前で遮ってくれている。
これは偶然?それとも…
「ひとつ言っとくわ」
「え…」
「俺、おまえから『ごめんなさい』なんて言葉、聞きたないで。あのな、あれでええねん。なんも我慢する必要なんかあらへん」
あんな酷いこと言ったのに?
「泣いたり怒ったり全部さらけ出したらええんや。もう俺の前でよそ行きの顔すんなや」
手がどれほど冷たくても関係ない。
彼のあたたかい優しさが、私の頬を包む手のひらを通して伝わってくる。
「あのな、俺といるときだけは、心もすっぴんにしとったらええねん」
好きだとか
愛してるとか
恋愛に不器用な彼は、そんな言葉、一度も言ってくれたことないけれど
でも、彼の言葉はいつも、私の心の負荷を軽々と取り払ってくれる。
そうだ。
不器用なのは私の方なんだ。
彼に、自分の素直な気持ちをまっすぐ伝えることすら上手くできない。
今だって、彼に返す言葉を迷ってる。
私は言葉で返す代わりに、黙って彼の背中に手を回した。
その冷えた背中を暖めてあげたかった。
――あったかいな
彼が、私の耳元で囁いた。
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後編、いかがでしたでしょうか。
正直、この話、前後編ともにちょっと書くのに苦労しました
書いたり消したりの繰り返し。
ストーリー全体の流れは頭の中で出来てるのに、それを表現するための言葉が浮かばない
自分の語彙の乏しさをいやってほど思い知らされましたね。
てか、ここまでくると妄想じゃないっす
自分で自分のハードルあげてんなあって思いました
それにしても、私の中でどんだけ「完璧な男」になってるんやろ、横山さんは(笑)
でも、数年前の横山さんが相手だったら、こんな妄想は生まれてないやろなと思うんです。
ドラマの撮影も始まったようで、かなり忙しいんじゃないでしょうかね、にっきで書いてる以上に。
ところで、サブタイの「It Might Be You」は、ご存知の方もいるかもしれませんが、映画「トッツィー」の主題歌として有名な曲です。
ダスティン・ホフマン主演のコメディー映画なんですけども、エスプリのきいたとっても素敵な映画で大好きな作品です。
横山さんが30歳過ぎてから、ダスティン・ホフマンがやった役をやってみたら、けっこう似合うんじゃないかと(笑)
この主題歌「It Might Be You(邦題:君に想いを)」もめちゃめちゃ素敵なバラードです。
何かが私に告げている それはあなたかもしれないと
映画「トッツィー」未見でしたら、ぜひ!見てみてください。
というわけで、これから仙台遠征の準備にとりかかりまーす