歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

冬の落日

2011-02-24 01:18:54 | 日記


何気に母校から冬の夕暮れを撮る。
何をしに行ったのかと言えば、『本能寺将星録』を寄贈しに。
あとキャリアサポート室(就職課)にも。
卒業生の進路先として、展示していただけるそうで。
かなり特殊な進路。簡単に後輩に勧められるものでもない気が。

・・・母校にも関わらず、一冊とて入荷してくれないのが生協。
しかし、「入れますよ」と返事くれて、入れてくれない。
どうしろと(w

生協の白石さん、うちの母校に来ませんか?


智本光隆

執筆開始!!

2011-02-22 23:26:49 | 日記
本日、2月22日は「ササキ様デー」
海の日に続く、国民の祝日候補です。
このネタ、分かる人がどれだけいるものやら(w

さて、次回作の執筆を開始致しました。
と言っても、この手の話は何処まで明かして良いものやら。
本能寺の変よりもかなり後の時代とか?(まあ、戦国時代に変わりはないのですが)
これまでの2作では直接的に出番のなかった人が主人公とか(名前は出ましたね)
多分、これまでで一番知名度高いとか。

他の作家さんのブログとか見ると、結構ザックリ語ってる人もいるらしいので。
今度、担当氏に聞いてみるか。

今回、ちょっと実験的な書き方をしているので、先行きがかなり不透明な分も。
まだ、3シリーズ目の新米作家ですから、色々な手法を試すべきだとは自分でも思います。
今のところ、完全に手探りですが・・・まずは、がんばります。

なお、『本能寺将星録』に関してもまだ書きたいことあるので、
そっちはこのブログで週1くらいでネタを投下出来たら良いかなと。
良く考えれば上巻発売からまだ2ヶ月か。
あっ・・・と言う間に刊行された作品ですが、思い入れの深いキャラも結構いますしね。
ちょこちょことやって行こうかなと。


智本光隆




あとがきっぽい何か

2011-02-20 00:12:21 | 本能寺将星録
発売から3週間が経過。
今週、次回作が確定しました。現在その準備段階。来週あたりから執筆開始予定です。
今夏にはみなさまの手元にお届けできるようにがんばります。

さて、良く考えてみると『関ヶ原群雄伝』3冊、『本能寺将星録』2冊、
まだ「あとがき」なるものを書いたことがない。そんな訳で、思い付くままにダラダッラッとした感じで。

前作が終了した時点、担当A田氏と次回作を打ち合わせた時、
幾つか出て来た案の内で「本能寺の変の明智側」というのがありました。
で、そこから考え始めたのが、この『本能寺将星録』

「本能寺の変で光秀の味方になる可能性が、ちょっとでもありそうなのは誰?」
まあ、史実ではひとりもいなかった訳で。
打ち合わせの帰路、車運転しながら最初に思いついたが光秀の三女・ガラシャの婿であるところの細川忠興。
他には明智光慶(光秀嫡男)を主人公にする案もあったかな?

ただ、この細川忠興という人、あまりイメージ的なものは良くない。
『関ヶ原群雄伝』でも結構登場しましたが、所謂妻狂い・・・此方が世間一般的なイメージでしょうね。
(群雄伝もそれに準じた設定)
そもそも、知名度も決して高くない。。。
それでも珠子(ガラシャ)と抱き合わせ?で何とか知名度はカバー出来ないかと考え、
最終的には編集部の英断!!を頂きました。ありがとうございます!!
ガラシャを描いて見たかったというのもあるのですが(笑)

従って本作は「明智物」として当初は企画されました。
そんな訳で実は明智政権?ラスト案もあるにはあったんです。
実際どうなったかは最後まで読んで頂いた方にはお分かりだとは思うのですが。

次回からその辺りをちょこっとこのブログで書いて行きたいと思います。しばし、おつきあいの程を。


先程、四大陸男子フリーが終わりましたね。
高橋大輔選手、圧巻でした。
四回転がなんやねん!!とかいうと、プルシェンコが怒るのだろうか。
東京の世界選手権も期待しています。

さて、明日は女子のフリーか・・・

本能寺将星録紀行10―珠玉 細川家の美学―

2011-02-17 02:51:52 | 本能寺将星録
「本能寺将星録紀行」は遂に10回目。
前回で京都の取材地に別れを告げ、舞台は東京へ。
何故に東京かと言いますと・・・


         

「細川家の至宝 珠玉の永青文庫コレクション」
  幽斎・三斎・ガラシャから護立まで―――細川家の美学

2010年4月20日から同6月6日まで東京国立博物館で開催されました。
(なお、実際の取材順は京都よりもこちらが先です)


永青文庫の名は中世細川家の菩提寺であった京都建仁寺の永源庵と、
青龍寺城(勝龍寺城)から名づけられています。
総数で8万点を超える日本で有数の文化財コレクションです。

さて、当日は週末だった影響もあってかなりの人出。
まあ、東京は何時も人多いかねえと思いつつ、入場!!



図録。会場で購入。


図録の中身を御紹介したいところなのですが、やっぱりまずいかな。

目を引いたのはやはり甲冑類。
細川忠興といえば山鳥尾の兜が有名なのですが、将星録では若武者っぽい?ものをと考えて、
本展で展示の二つ靡に。実際は熊本藩十三代・細川韶邦所有。

軍旗、馬印なども多く、作中でも使用させて頂きました。もちろん、細川頼有の「錦の御旗」も。
書状類も多数。そういえば隣を歩いていた老夫婦が忠興の書状について、
「年取る度に上手くなる」と言っていました。書の素人にはまったく分かりませんがそうなのか?
ガラシャ(珠子)の和歌の草稿もありました。こちらは力強い癖字であるとのことです。
他は勝龍寺城の絵図面など参考にさせて頂いております

永青文庫関係者のみなさま、そして細川家様。ありがとうございました。

・・・そういえば、細川家にはこんな小話があるそうな。

「実は細川家にはもっと良いものがあったのですが、先の大戦で焼けてしまいましてね」
「え、そうなんですか」
「ええ、応仁の乱で」



なお、「本能寺将星録紀行」は今回で一応の終了です。
お付き合い頂いた方、ありがとうございました(思い出したように復活したら、それはそれとして)
下巻発売から今週で三週間。今週末あたりで本作のあとがきっぽい何かでも書きたいと思います。

勝つぞ!義貞弁当・・・とカーリング全日本選手権

2011-02-14 00:15:11 | 日記


先日の雪の日に走る上毛電鉄。
アングルがおかしいのは、停車中の車の窓から撮っているから。

・・・良く考えると群馬に生まれ育ち、
これまで一度も上毛電鉄に乗ったことがない。
電車そのものに、滅多に乗らない自動車王国に幸あれ!!


さて、本日の夕食にこんなものが。



勝つぞ!義貞弁当(酉利平)


「群馬の物語弁当コンテスト」最優秀賞作品の商品化。
他には新島襄とかがあるそうな。

鎌倉を攻める新田義貞の勇姿。
「勝利の味をお楽しみ下さい」とのこと。
・・・なお、人物説明文は鎌倉幕府滅亡で終わっている(笑)



さっそく、頂く。


なかなか美味。ただ、量は少し多めか。

なお、卵そぼろは新田軍、鶏そぼろが北条軍を現すとのこと。
少数の新田が大軍を凌駕する様を表現している。

他には「勝つ」で鶏カツ。
三角コンニャクは榛名湖に映る榛名富士を描いたらしい。
義貞で何で榛名?と思うが、新田義貞は里見出生説があり(智本光隆も使っています)

器は中央で区切って家紋の「大中黒」を表現している(ただ、新田の紋はもっと中央が広い)

美味しいのだが3日前に注文しなければならないのが難点か。


そんな感じでニュース見ると、カーリングの全日本選手権が。
本橋麻里選手のロコ・ソラーレが3位。チーム結成半年程度?これは好成績でしょう。

ちなみに、古巣のチーム青森は連覇が途絶えて準優勝に。
群雄割拠するのは良いことなのでしょうが・・・・
そう、目の前に飾ってあるチーム青森のサイン色紙を眺める。
バンクーバーは遠くなりにけり。


智本光隆