歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

闇夜の花

2011-10-31 00:53:38 | 日記
入稿して週末・・・
何時ものことなんですが、身体が疲弊しているのに頭の中が火照ったままで。
どうにも、落ち着きの悪い感じです。
今のうちに休んでおかないと、校正に耐えられないのですが。
まあ、ぼちぼちと資料整理でもしながら、スロースタートで。


さて、今週末は車検でしてスバルのショップへ。
で、セールスさんが「桶、いりませんか?」というので持ってきたものが・・・



桶・・・?


・・・とりあえず、近所から貰ったサツマイモでもいれておくか。



そして、闇に咲く花



フィギュアスケートはグランプリシリーズが開幕(もう2戦目か?)
そして、プロ野球はプレーオフ真っ最中で。
ベイにはまったく無縁だけどさ。
日ハム敗退で斎藤投手は出番なしか・・・ちょっと残念。
しかし、今年久々2ケタ勝った西武の西口。今日もいいピッチング。
日本シリーズ第6戦、駒田の満塁からのタイムリーで西口を下し、
そして掴んだ日本一
あれ、何時のことだったかねぇ。。。



智本光隆

豊臣蒼天録紀行3―方広寺梵鐘 世紀の難癖―

2011-10-23 21:30:27 | 豊臣蒼天録
本日、大河ドラマは「方広寺鐘名事件」でしたが・・・
こちらの紀行でも、それ行って見よう!!


前回訪問した豊国廟の阿弥陀峰の真下が、豊国神社です。
元々は方広寺が文禄4年(1595)、豊臣秀吉によって建立されてました。
その鎮守社として建立され、後陽成天皇より神号を賜ったのが豊国大明神です。
江戸時代には荒れ果て、明治になって再建されたのは前回、書いた通りですが・・・





豊国神社鳥居、及び正面参道。


阿弥陀峰を下りてここに着いた時、天気がなんか激変!!
あんま、写真の映りが良くないのはご容赦下さい。
地震や度重なる火災で、豊臣時代のものはほとんど残ってはおりません。
社殿の完成は明治13年(1880)、当時は別格官弊社に列せられています。
これについては当初、大阪に建立が予定されていたものの、京都市民の熱望で再建されたとのこと。


さて、そんな訳で豊臣時代のものはない中で、
これが残っているのは、歴史の必然なのか?





方広寺梵鐘。そして「例の文字」


今日まで「世紀のイチャモン」と語り継がれる、「国家安泰 君臣豊楽」の八字。
諱を避けなかった豊臣側の隙を突いたも言われていますが、大坂の陣開戦につながる事件となりました。
なお、大河ドラマでは何故か作品によって、発案者が違っていたりします。
今回は本多正純。。。
金地院崇伝が出ることは稀かな?まあ、自分も出したことはないですが(w


大坂の陣の勝敗は今更ですが、、、
さて、この一件は徳川幕府にひとつ、大きな「敗北」を残しました。
後世の多くの人々はこの鐘名事件を徳川の難癖と見て、そう語り継がれております。
で、数年に一度は大河ドラマでもそのように。
歴群でもそんな感じに(w
もっとも家康にとって、そこまでして潰さなければならない、それが豊臣家であった。
そして、豊臣秀頼であった・・・と。
そういうことなんだとは思います。
それこそ、己一代が泥の塗れても・・・



耳塚。


朝鮮出兵で削ぎ取った鼻、耳を葬った「耳塚」(鼻塚とも言います)は、
実は豊国神社正面です。なので、こちらへも。
(実はこれもかなり大きい・・・)

甲冑でみる武将(おこと)たちの関ヶ原

2011-10-22 22:36:28 | 日記
入稿作業、本日ただいまからラストスパート!!
問題はこのスパートを1週間近くも、強いられるという点。。。


さて、ご紹介企画第2弾、


                      

                   彦根城天秤櫓特別展「甲冑でみる武将たちの関ヶ原」


武将と書いて、「おとこ」と読むさー!!「姫たちの戦国」対抗企画かは知る術もなし。
東西両軍武将の甲冑が展示されております。
レプリカとはいえ、かなり圧巻です。
期間は平成23年9月10日(土)~11月6日(日)まで。


                      
                                 裏面。


実は中は撮影OKだったので、写真も撮ったのですが、
2次利用は不可とのことで。ちょっと残念・・・
ただ、各甲冑の説明文は「学研パブリッシング歴史群像編集部」です。
・・・いや、知らなかった(w


ちなみに、大谷吉勝や豊臣秀頼はありませんが、
細川忠興と大谷吉継の甲冑ならありました。
忠興のは有名な山鳥の尾のですが・・・


客1(女性) 「なにこれ、すっごい頭!!」
客2(女性) 「あ、でも細川だって。これってあれだよ、ガラシャのダンナのだよ」


・・・・・・・
・・・・・・・
忠興、がんばれ。


そういえば、前に東京で開催してた「細川家の至宝展」ですが、
現在、京都の京都国立博物館で開催中です。
ブログ見たら今月、『イゴッソウ戦記 猛き蝙蝠の逆襲』(長宗我部ものです)を発売の、
深水聡之先生も行かれたようで。
発売したら読ませて頂きます!!


あの展覧会は東京で見ましたが、おススメです。
ちなみに、ショップでは細川家関連書籍も取り扱ってました。
『細川忠興戦記 本能寺将星録』も置いて
・・・無理っすかな。


本日の横浜ベイ。
もはや、語ることなどねえ。。。



智本光隆

関ヶ原東西武将隊

2011-10-20 00:26:52 | 日記
今月末が入稿~
現在、それに向けて進行中!!


で、その合間に紹介したいのは・・・


                     


関ヶ原にてフルパフォーマンスを行っている、その名も「関ヶ原東西武将隊」の面々。
東西両軍から選抜されたのは石田三成、大谷吉継、島左近、徳川家康、本多忠勝、井伊直政の6名!!


宇喜多秀家  「どうして、この6人なんだ!?納得いかん。仮にも俺は西軍の副将だぞ!!」
大谷吉勝   「八郎殿。人気と知名度って知っているか?なあ、辰之助」
小早川秀秋  「俺に振るな、俺に!一番の知名度不足はお前だろうが」
大谷吉勝   「ちなみに、観光客の大半は三成殿の笹尾山に集中しているから」
宇喜多秀家  「面白くないな。こうなったら、笹尾山攻めるか!」
大谷吉勝   「いや、そんなことしたら松尾山なみに人寄りつかなくなる。なあ、辰之助」
小早川秀秋  「だから、どうしてそこで俺に振る!!」


そんな訳で、『関ヶ原群雄伝』の面々に突っ込んで頂きました。
分からないという方は、好評発売中の同書を是非!!全3巻にて好評発売中。


本当は「豊臣蒼天録紀行」で紹介しようと思ったのですが、
開催期間が2011年8月14日~12月28日なので、先に紹介します。
毎週日曜日午後2時から、笹尾山の特設ステージにてパフォーマンスです。




女子大生?にチャリで声をかけるのは島左近清興。
ちなみにこの日は9月14日。杭瀬川の合戦に関する取材があったそうな。
「儂のツイッターで・・・」とか聞こえた気がしたが、気のせいにしとこう・・・
ちなみに家康は最近、スマートフォンに乗り換えたそうな。
そのツイッターに書いてあった。



大リーグは斎藤隆投手のブリュワーズが遂に敗退。
斎藤投手、被災地の期待を背負っての今シーズン、お疲れ様でした。
来季も御活躍、期待です
さて、古巣のほうは目の前で胴上げされるこの始末。
で、どこが買うんだかね。。。



智本光隆

彦根ちゃんぽん―ちゃんぽん亭総本家―

2011-10-15 15:27:28 | 日記
先日のベイスターズに関するブログについて、
「大丈夫?最近ブログが病んでない!?」
と案じるうちの妹。
ほっといてくれ。。。


それとは関係なく、取材中に出会ったラーメン第2弾。
彦根駅前の「ちゃんぽん亭総本家 彦根駅前本店」





「滋賀県B級グルメ代表」と謳っております。
さて、そんな訳で入店!



近江ちゃんぽん 730円


見た目はあっさり系、野菜タンメンぽいのを予想するかもですが、意外?と味付け濃いです。
少々、油強いのは特徴ですね。
彦根へお出かけの際は、是非ともどうぞです。



智本光隆