歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

家族の肖像

2015-06-27 23:58:01 | 日記
上毛新聞の特集企画「家族の肖像」に、
いつもお世話になっている整体師の飯塚涼太さんご家族が掲載されました。
(2015年6月21日)
なので、ちょっと遅れましたがご紹介を!



上毛新聞 2015年6月21日

ちなみに、飯塚さんのお兄さんの飯塚淳司さんは、
2007年、2008年と早稲田大学で箱根駅伝8区を走った方なので、
覚えている人も多いかも。
飯塚涼太さんも駅伝選手で、前橋育英高校(最近は夏の甲子園優勝が有名ですが)を、
17年ぶりに都大路(全国高校駅伝)に導いた立役者です。
中之条・・・駅伝強いなぁ、あと卓球もw
なお、京都では3区を走ったとのことです。
あ、すぐ近くに住んでいた。
(写真右下が都大路の風となる飯塚選手)


兄弟でどちらも全国大会に出たランナーというのは素晴らしい。
家族兄弟が文系理系バラバラの我が家ではまずないですw




智本光隆

前橋から花燃ゆ⑧短編小説『至誠の糸』第2回

2015-06-15 00:00:01 | 日記
『至誠の糸』第2回


何時の間にか日は落ちていた。
強い風が吹き、板戸が軋んだ音を立てる。
下村は平然と茶を喫している。
素彦は内心の動揺を悟られないように茶碗を手にしたが、
その手が小刻みに震えるのを自分で感じた。
額にはじわりと、汗が滲んだ。


(どうして、この男がそれを知っている?)
この日は8月20日―――熊谷県を廃して群馬県を立県し、その県令を楫取素彦に命じる。
県庁は高崎に置くものとする―――その決定が明治政府より下されていた。
公示は翌21日を予定していた。
無論、県令に任じられた素彦はそれを知っており、政庁整備のために熊谷から高崎に移っていた。
だが、熊谷町民の反発が予想されたため、表向きはあくまで群馬視察の体を装っていた。


「下村、貴様は・・・」
「大したことではございません」
下村は茶碗を置いた。
「左様ですなぁ、横浜あたりでは噂になっておりましょう。あの街の者達は早耳の者が多いゆえ。
この下村、若い頃に身代を傾けた後は八王子に出て働き、横浜の商人には知己が多くおります。
少しばかり小耳に挟みましてな」
確かに東京に近く、貿易港たる横浜なら政府筋の決定が事前に漏れ、流れる可能性はあった。
だが、それを100キロ以上も離れた前橋の地で、下村が知ることなど不可能なはずだ。


「お茶うけに如何ですかな」
下村がまた口を開いた。
「味噌饅頭と申します。最近は商売にミソがつくとかで、焼きまんじゅうと言うことが多い。
焼いた味噌の風味が香ばしく私も好物ですが、他所の方には今一つ人気がない」
「それで、そなたはその県庁について私に何を言いたいのだ?」
素彦は、その焼きまんじゅうには手をつけず、下村の顔を睨んだ。
長州征伐や戊辰の戦を戦い抜いた素彦が睨めば、大抵の町人などは恐怖に畏れ慄きひれ伏す。
だが、この初老の生糸商人は、好々爺然として穏やかな笑みを顔に湛えたままだ。


「なに、県令様にお願いがございます」
「願いだと?」
「はい。群馬県が成ったのは我らにも良いこと。ですが、県庁は高崎に置かれるそうですな」
「・・・それで?」
「確か・・・高崎のお城は陸軍が使っておりましょう。
あの街には他に政庁を置くとなると、安国寺くらいかと。ですが一寺では役に立ちますまい。
役所が街中に散らばっては、何かと不便でございますなぁ」
「何が言いたい、下村。早く申せ」
「やれやれ、長州の方は噂に違わず気短なこと」
下村は小さく溜息を吐いた。
「その県庁、この前橋にお遷し下され。そのために、今日はお呼び致した」
「県庁をだと?」
「左様にございます。県令様のお力を持って政府に掛け合って頂きたい」
「ほう・・・たかが生糸商人風情が、政府の決定に異議を唱えると申すのか?」
「はい、存分に唱えさせて頂きましょうか」
素彦にも、政府の名にもまったく臆さず、下村は平然と言い放った。
「この上州の都は・・・いえ、群馬県の県都はこの前橋でなければなりません」
そう言った下村に、素彦は豪胆さを感じたものの、同時に浅はかだとも思った。
(所詮は商人か。己の利しか考えておらん。国家百年の大計を知らぬ者だ)
それは、素彦が最も忌み嫌う種別の人間であり、行為でもある。
素彦は冷ややかな目を下村へと向けた。


「下村。城さえ築き松平公前橋帰城を実現させた時は、さぞかし愉快であったであろう。
だが、すでに今は徳川の世ではない。城造りと一緒に考えぬが身のためだ」
「ほう、何か違いがありますかな?」
驚いたような顔をする下村に、素彦は口端を緩めて言った。
「これから、わしの言うものをそなたが用意出来れば話も聞いてやろう。そう、まず・・・」
「お役人の宿館、師範学校、それに医学校」
下村がそう言った時、素彦の顔色が変わった。
「すでにこの本町や立川町を中心に藪を切り開き、お役人様方のために新しい家を建てさせております」
下村は素彦に構わず、淡々とした言葉を紡ぐ。
「また、旧城の一部を取り壊し、師範学校、医学校を造るよう計らいました。
ここに来る途中、西洋建築の工事をご覧になったのではありませんか?
横浜から欧羅巴(ヨーロッパ)の建築士を呼び寄せ、遅くとも来年には完成させます」
役人宿舎、師範学校、医学校―――それは政府から素彦に対して、
県都に新築、開校を命じられたものだった。
だが、長い戊辰の戦役で誰もが疲弊しており、熊谷でも土地の富裕者に打診したものの難色を示された。
そこで、ひとまず素彦の胸の内に収めて、妻の寿子にも語ってはいないことだった。
それを、前橋ではすでに着工しているばかりか、下村は来年には完成させると言った。


「誰から聞いた?これも横浜あたりの噂だと言うつもりか?」
「他に何か御入り用なものは?」
下村はそれには応えなかった。居住まいを正すと、素彦の返事は待たずに続けた。
「もちろん、県庁舎も洋風に新築致しましょう。
そうそう、楫取様の御内儀は熱心な一向門徒でいらっしゃるとか。
では、すぐに京都へ人をやり、西本願寺の支寺をこの前橋に建てさせましょう」
「お前・・・」
そればかりか、寿子の信じる宗派まで下村は口にした。
ようやく、素彦が下村に感じた感情は「恐れ」であった。
だが、腰を下ろしたこの客間から、簡単に辞することが出来なかった。
それは、これからこの群馬を統治することになる、素彦の県令としての意地であった。


その胸中を完全に見透かしたように、下村の言葉が続く。
「利根川縁に見晴らしの良いところがありましてなぁ、
そこに県令様のお邸をお建てしましょう。別邸はどこがよろしい?磯部温泉などは如何かの?」
「安く見られたものだな」
素彦は下村の顔を睨むと、仕込み杖を引き寄せた。
「この私がそんな賄賂まがいのことで、動くとでも思っておるのか?
この私は儒学者の家を継ぎ、至誠に生きると誓った身・・・」
「では、これをご覧なされ」
下村が二度、手を大きく打ち鳴らした。
この店の番頭と思しき男が、大きな風呂敷包を抱えて部屋に入って来ると、
それを素彦と下村の間の畳の上に置いた。
「・・・これは何だ?」
「3年前になりますか、政府が発行した紙幣。これは良いものでございますな。
運ぶのに適しておれば、商いも随分楽になりました」
そう言って下村は風呂敷を広げた。


そこには、明治政府が設立した国立銀行発行の10円紙幣の束が山と積まれていた。
それは政府の要職にある素彦でも、一度として見た事のないほどの大金だった。
額に滲んだ汗が、珠となって顔を伝った。
下村がまた口を開いた。
「3万円ございます。これを楫取様に差し上げましょう。ご自由にされよ」
下村は口元にまた笑みを浮かべると、素彦を試すような口調でそう言った。


続く

桐生は日本の・・・②

2015-06-14 10:05:36 | 日記
「桐生は日本の機どころ」


・・・とは「上毛かるた」に詠まれておりますが、
この日の目的は。。。






桐生織物記念館の・・・




1Fの直売店です。
ちょっと桐生織を贈呈する相手がおりまして。
この日、1回ですっぱり決まって良かったです。


なお、こちらは織物組合の直営なので、
デパート等の価格よりずっと安いです。
おススメでございます!




定番の中山&井森、そして、
桐生市観光大使に就任した篠原涼子さんポスターが早くも!!
と、思ったら、町中このポスターだらけだったww




智本光隆