歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

再起動!!

2013-02-27 01:08:25 | 日記
シュミ戦新作、入稿日が決まる!!
・・・まあ、別に23日からの間、寝ていたわけでもなく、
新作のほうに手を入れてましたが(w


当初の予定よりは、やや緩いか・・・まあ、楽にはほど遠いとして。
そして、気がついたら2月が終わる。。。
8日あたりから記憶ないな。聖ウァレンティーヌスの日とか、斉藤隆の誕生日とか、
佐々木様デーとか何時終わったんだろう!?
雪が何時降り、何時止んだやらで


さて、ばっさりと頭を切り替えて、入稿に取りかかろう。
そうしないと、脳内でキャラが混同して、絶賛混乱するのでねぇ。



智本光隆

復活「片原饅頭」

2013-02-20 23:24:28 | 日記
さて、少し昔話をしましょうか(w
私の母の実家は割に来客の多い家で・・・祖母に多いというべきだったのか、
そんな人たち、よく手土産に持ってきてくれたものに、、、


「片原饅頭」


がありました。
地元の土産物としては王道も王道。
確か、家のどこかにカラ箱ひとつ残してあったはず・・・
天保3年(1832)創業の「志満屋本店」
前三デパート(現前橋テルサ)の南の通りに店舗がありました。
こちらの店、当時としてはおそらく稀有でしょうが、
障がい者を雇用し、製造に従事させたことでも有名。
キリスト教的な精神から・・・と聞いたことがあります。
製糸業の盛んな前橋は欧米人が多く、今でも教会は多いです。


この片原饅頭様、老舗だけにいろいろ伝説もある(w
ある時期、喧嘩なのかなんなのか、親族が近所に別の饅頭屋出したこともあったとか、
場所は前三のあたりと聞いてますから、50メートルくらいしか離れていない。
味は似ていたそうですよ。ところが、、、、
新店のほうは翌日には、すっかり固くなって食べられず、数年で閉店したとか、
「店内の秘伝の井戸水に秘密がある!」
とか囁かれたそうです。
真相は不明。。。


させ、そんな片原饅頭、、、
うちの母が「奥さん、いい子持ちだねぇ」と褒められたこともある店ですが(w
後継者の息子さんは大学に進学、研究者になってしまい・・・
後継者不在ということで1996年、惜しまれつつ閉店となってしまいました。


惜しまれつつ・・・というか、最後のほうは殺気立っていて、
当時、高校生で「最後に買えないもんかな?」と前を通りかかったら、すさまじい人人人・・・
当時の県知事、市長が惜しむコメントを出したと記憶してます。
そして最後の店主の方が「商売人としてお役にたてず、相すみません」と涙ながらのコメントもあったような。
そうして、永遠に市民の記憶の奥底に眠るはずだったわけですが、、、





復活。


こちらの片原饅頭を再現させたのは、福島正幸氏。
ウィキにも項目のある、有名な競輪選手だった人です。引退後、餃子店を経営してそちらでも成功を収めています。
その福島氏が数年前から「私の使命・宿命」として片原饅頭の再現にチャレンジし、
最初は「ふくまんじゅう」として販売しておりましたが、
昨年9月、ついに「片原饅頭」の名で販売を開始しました。


新聞記事などによると、最後の職人頭のところに通い詰め、
味を再現した後は、名称について交渉したそうです。
その問題がクリアできたらしく、ついに復活!!


して、その味はどこまで再現できたかというと・・・
ご本人が新聞等で語られるところ「9割」とのこと。
実はこれ、辛口なことにうちの家族、親戚の意見とも一致しています。
それでも、日々「本物」を目指して現在も研鑽中とのことです。
いずれ、あのテルサ横の店舗が再び開くのか!?
もしくは、けやきウォークあたりに出店か?


・・・で、どうして今、この話題を取り上げているのかというと。。。
現在、シュミ戦ラスト30枚の攻防中。
のどを通るものは、この片原饅頭のみ・・・
お願い、もう少しうちの近所で売って下さい。
そのあたり、志満屋さんの「救世」の精神を引き継いで。
まくれるか否かの、勝負の瀬戸際でもあるし(w



智本光隆

ぐんまはやっぱり面白い!『群馬県謎解き散歩』

2013-02-18 12:54:35 | 日記
さて、ひとつご紹介したい。。。


                     

                『群馬県謎解き散歩』  熊倉浩靖編集  (新人物文庫)


熊倉先生をはじめとしまして、9名の方が著者に名を連ねられておられ、、、
その中のひとりの、巻島隆さんからいただきました。先輩、ありがとうございます。


「これって、そう言えば何で?」
という疑問が解き明かされます。


なぜ、新田義貞はわずか15日で鎌倉を落とせたのか?
なぜ、殿様は猫の絵を描いた?
なぜ、日本で最初の富岡製糸?
どうして、群馬の運動会は「赤城」「榛名」「妙義」の上毛三山?
などなど。。。


群馬といえば前橋VS高崎の対決が有名ですが。
これは必ずしも、県庁争奪だけがルーツではない!?
そういえば、智本作品における徳川家中って、
平岩、酒井、松平(結城)が扱い良くって・・・
井伊が散々・・・あれ、同じ酒井でも酒井家次は、高崎藩主時代あったかな(w
多分、これは偶然に違いない。そう、偶然に!!


それはさておいて、非常に楽しく読めますのでおススメです。
みなさま、是非に!!



智本光隆

大人になるって・・・確定申告の資料そろえないとな

2013-02-16 23:25:33 | 日記

冬の赤城山。


あ~空はこんなに青いのに~
スイミンスイミンスイミンスイミン、睡眠不足~


・・・この歌が流れていたのは、中学生くらいだったような。
大人になった今、なんかこの歌詞の持つ真の深みが分かったような・・・
確かに身体が火照って来るんだよな。
低体温症であるにも関わらず!!


現在、シュミ戦新作を手直し中。
合間の時間に、新作の1章をいじり回す。
さらに・・・担当氏から渡された本を読む。
まあ・・・文章法うんぬんの本?


で・・・その本を病院で読んでいたら、後ろから看護師さん。
まあ、なんの本かと一応、説明したんですよね。そしたら、、、


「それってつまりあれだよね!私が結婚して3年子供が出来ないとき、
義理のお母さんから渡された、そういう本と同じだよね~」



・・・そういうことなのかしら?
そしてこれ、ネタにしてよかったのか!?



智本光隆