歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

『お前はまだグンマを知らない』のご紹介!!

2014-05-30 18:59:50 | 日記
ブログでパロディ?企画をやっているのに、
よく考えれば、ご紹介がまだでした。
今、注目NO1マンガと言えば・・・



『お前はまだグンマを知らない』(井田ヒロト 新潮社)



はい!群馬県民、智本光隆読みます!!

・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・うん、だいたい合ってるな。


強いて言えば、籠原の先はドアが自動で開かず、
横のプッシュボタンを押すとありますが、、、

「いや、そんな新型車両ほとんど導入されてないから。
大半は「ふんっ!」と腰を入れて、自動ドアを手動であけるから」


という点くらいですかね。
・・・フォローにもなんにもないw
私が子供のころは、自動で開いていたのになぁ電車のドア・・・
・・・・退化を続けているのか、この県は?


そのほか、運動会の熱き戦いは前にネタにしましたが、
真冬で自転車で進退極まる!そう、まさにその通り!!
はっきり言って、押して歩いたほうがずっと速いですが、


智本光隆は「意地」だけでよたよた運転しながら、
家まで帰りましたね、高校生の頃です。
R17を南から北へ!


作者は井田ヒロト先生です。
新田氏里見系の大井田氏の末裔の方だそうです。
大井田経隆は越後新田一族の統領格で、
智本光隆の歴史群像大賞受賞作『風花』にも登場しています。
新田一族の重鎮です。その末裔の方・・・


そんなこんなで(どんなこんなだ?)
今、群馬の各地で「パネルの横で写メ撮影禁止します!」
との看板が出ている『お前はまだグンマを知らない』ですが、
内容に関しましては、群馬県民として保証でします・・・いいのか悪いのかw
そんな訳で、お勧めです!


ただ、ひとつ引っ掛かるのは、
「グンマのライバルはトチギ」
・・・果たしてそうか?
もちろん、「新田 vs 足利」という黄金カードが過去にありましたが、
さて、現在の県民の意識は如何に?


・・・ところで、
ホントに群馬以外の県の号令は「起立・注目・礼」じゃないの・・・?



智本光隆

霊山の新緑!!

2014-05-28 21:08:00 | 日記
福島からは帰ったいます。
・・・若干、疲労でヘバッてますw
いや、色々見た、聞いた・・・
九州からきたボランティアの人とも、話をしました。


書きたいことはあるのですが、
すみません、まずは福島霊山の美しい新緑をご覧ください。












同じ緑でも、京都の庭園の「計算されつくされた」とは、
また、違った美しさがあります。
なお、ここは全国的に有名な紅葉の名所だったそうなのですが、
観光客の戻りは「まだまだ」「さっぱり」「ぜんぜん」だそうです。


「秋の紅葉の時に来て下さいよ」
「いや~今来ちゃったんですけど」
「じゃあ、もう一度是非。ご家族、友人、知人の方々にも是非とも、是非とも!!」



伊達市の丸和保原タクシー様、
ひとまず、ブログに書きましたw
・・・しかし、休日ダイヤには振り回された・・・




智本光隆

福島へ

2014-05-22 22:25:05 | 日記
5月22日といえば鎌倉陥落。
そして・・・


ちょっと所用にて、福島まで行ってきます。
東北にいくのは久しぶりですが、前は宮城か。
では、、、



母の日は終わったがカーネーション。



智本光隆

お前はまだ群馬を・・・その陸「赤城団事件顛末記 下」

2014-05-21 20:49:24 | 日記
「今年度、〇〇小大運動会優勝は・・・・赤城団です!!」


次に起きたこと、

し~ん・・・・

で、

「えええええええぇぇぇぇ!!!!!!」

ガヤガヤガヤガヤ  ドヨドヨドヨドヨ



多分、赤城団の歓喜の声もあったんじゃないかと思うのですが、
そんなものをかき消す榛名、妙義、浅間三団の騒ぐ声。
一言でいうならば、


「そんな馬鹿な!!」


と、
・・・いやほら、高学年にもなると、
「最後のリレーで優勝したくらいで30点差がひっくり返る訳がない!!」
ということが分かって。


5、6年生なんかあっちこっちで得点計算してました。
あの、一糸乱れぬ入場行進を行う群馬の小学生が、
受け入れることが出来ない、
「赤城団4連覇」という現実。


不思議なことに、こんな時に一喝する教務主任、体育専科教師も、
苦虫をかみつぶ~したような顔をして、何も言わず、、、


そんな中で、朝礼台の上に上がったのは校長先生(この年から新任)が、


「いい運動会でした。最後まであきらめない赤城団のみんなのがんばりが、大逆転を生みましたね」

「だ・か・ら!!リレーくらいじゃ逆転できないって!!!」


この校長スピーチが更に火をつけ、
大混乱の中で運動会は終わりを告げました・・・が。


いや、ここから先がまだ長い。翌日から、、、
「絶対におかしいって。赤城が優勝するわけがないって」
「あれだあれ、詐欺だ八百長だ(って言葉、その頃にあったかな?)」
「先生が絶対に赤城団を贔屓してるって!」
「俺みたぞ。来賓のPTA会長とかが、赤城団の応援席にだけ声かけてった」



・・・ところどころに、子供の浅知恵が混じっていますがw
とにかく、「赤城団が許せない!」状態が続きました。
赤城団所属の方も自分自身でおかしいと思っているのか、
なんか決まりが悪そうで、運動会前の様子は消え失せ・・・


男子はともかくですね、女子なんて例年は、運動会が終われば、
運動会そのものの話をしていることはあっても、
「順位」の話なんてしていないものが、
「あれ絶対おかしいって」
と数ヶ月、男女ともにおさまり着かない!そんな状態が続き、
続き・・・・続き・・・・
翌年になりました(待


はい、事の真相はというと?
実は赤城団は最下位からのスタートだったものの、
午前中最後の棒引き、学年別リレーで1位を取り、
午前終了時点で上位三団との点差はほぼなくなっていました。
ところが、集計係がこの点数をバッサリ集計からおっことし・・・


それに、各団がそれぞれ1位を狙い中、
赤城団は2位を堅実にキープして、
最終種目で2位の浅間団を僅か2点差で大逆転し、
奇跡の4連覇を遂げました・・・とさ。
翌年、5年生になって集計テント入りして、
はじめてこの事実を知りました。。。


そして翌年、、、そう、まるで10.19翌年の近鉄のように!!
各団が前年に勝る気迫で運動会へと挑み、
正直、、、赤城団はこの年は腰が引けていた(w


優勝したのは妙義団でした。
妙義はこれが開学以来、初優勝だったそうです。
・・・まだ15年くらいの新しい学校とはいえ、
それまで赤城と浅間しか優勝したことないんかい!この学校は(w
ちなみに、私は翌年は榛名団に所属して応援団長やりましたけど、
約20点差の2位。
で、、、優勝はまた赤城団・・・


かくして「赤城団を倒す」ための戦いは、ついに果たせぬまま終わりを告げました。
翌年の運動会は友達と見に行きましたが、
浅間が優勝してました。榛名団がいつ初の栄冠に輝いたのか・・・


なお、この「赤城団が強すぎる」という傾向ですが、
群馬県全県に渡る傾向のようです。

先生方も「児童に細心の注意を払い、分配しているのに・・・?」
と本気で首を捻っているそうでうすが、
今日でもあまり解消されてはいないらしいです。
何故か・・・?



四旗の誓い!


「浅間山」が入手出来なかったので、
浅間高原ビールで!(軽井沢の字の方が目立っているけど・・・)



智本光隆