さて、『豊臣蒼天録』第2巻も無事、発売となったようで。
この蒼天録紀行も2巻に沿って進行!!
まず、最初の舞台は・・・
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南大門を左右から。
洛南に鎮座する救王護国寺こと、東寺でございます。
嵯峨天皇が弘法大師空海に下賜、日本初の密教寺院となりました。
以来、王城鎮護の役割を担い、今日に至っています(同時期建立の西寺は室町期に衰退とされます)
金堂は創建年次不明。ですが、現在のものは慶長年間に再建されました。
実は大檀那は豊臣秀頼。
続いて食堂へ。
作中、秀頼が本陣を置いています。3巻にも登場予定。
さて、そして次は東大門へ。
2巻第1章に登場するのですが、この東大門は南北朝時代的にも有名で。
延元元年(1336)の京都合戦において、坂本からこの門に押し寄せた新田義貞の軍勢に対し、
足利尊氏は門を閉じ、辛くも難を逃れたと伝わります。
『太平記』ではその際、義貞は尊氏の本陣である食堂に矢を射掛け、
一騎討ちを望んだとあります。
(尊氏は家臣に留められてこれを受けず。でも、大河ドラマでは一騎討ちやってました)
以来、不開門と呼ばれています。
(普通、「あかずのもん」ですが、東寺の場合は「あけずのもん」と読む)
で・・・いよいよ、その東大門へ。
正真正銘、不開門に!!
修復作業中でしたねー(昔一度、見たことはあるのですが)
なお、東寺の伽藍の大半は室町時代の文明の土一揆で焼失してますが、
東大門はそれを免れた、貴重な存在です。
(前述のことから、足利将軍家が「記念碑」的存在としたよう)
なお、慶長10年(1605)に、この門を大々的に改修したのは豊臣秀頼。
なにか、縁を感じる。
シート被って見えないが(w
あとは、境内の様子でも。。。
なんでか、自販機がキリンコンプリート!!