え~前回、ただの「けいおん!!」紀行になってしまったことは置いといて。
「本能寺将星録紀行」第7回は岩清水(男山)八幡宮です。
石清水八幡宮は平安時代の貞観元年(859)の創建、南都大安寺の僧・行教は九州の宇佐八幡宮において、
「我、都近き男山の峰に移座して国家を鎮護せん」との神託を得ました。
以来、比叡山延暦寺に対して都の南西を守護する皇城鎮護の守護神とされております。
さて、京阪電車の八幡市駅から男山ケーブルカーへ。
そう言えば、ケーブルカー乗るの相当ひさしぶり。
前回は比叡山、7年くらい前?
このケーブルカーは大正15年の創業。戦時中の供出で廃止されたのは愛宕山と同じ。
こちらは昭和30年に再建されております。(距離は短くなったようですか)
いざ行かん、山頂へ。
裏参道に通じています。その鳥居。ちなみに禁煙。うちの父親ならここから引き返すに違いない。
実は1月28日発売の下巻では、忠興が男山へ登っております。
ですが、取材の時点ではこの八幡様、登場するかどうか未定。
同じルートで上れば良かったかなと、執筆時点で深く後悔したもの。
このケーブルカーだと裏参道の方へと回ってしまいますしね。
上院を半分回り込むような形で三ノ鳥居、そして参道正面へ。
この一直線の参道、そして朱塗りの本殿は作中にそのまま登場しています。
月の光の中、参道を進む細川忠興(今は昼だけど)
朱塗りの本殿の前で忠興を待つ男とは?続きは下巻で!!(しかし、改修工事中なのが少し残念)
社殿は何度も炎上しており、現在の社殿は徳川三代将軍・徳川家光によって寛永11年(1634)に造営されたもの。
作中の時点とは違うのですが。
まあ、そこは雰囲気を優先!!(いいのか?歴史作家として)
源義家はこの岩清水八幡宮で元服、八幡太郎と称されました。
智本光隆が歴史群像大賞に応募した『風花』の主人・新田義顕(新田義貞の嫡男)は清和源氏嫡流筋、
そして『本能寺将星録』の細川忠興も足利一門です。一度は参拝したと思っていました。
まずは両手合わせましょう。そしてもろもろを・・・
赤の鉄橋は御幸橋。
再び、ケーブルの方へと戻る。
山頂から望む。淀川、木津川、桂川が合流する。対岸北には忠興の居城・勝龍寺城、そして・・・
次回に、続け!!
購入した白羽の矢。軍記物などでは白羽の矢は神の意思を示す。
忠興に示された神意とは?