歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

3巻進行とあのユニフォーム

2012-01-30 23:39:49 | 日記
3巻の下書き仕上げに入る(ややこしいw)
体力的にはここが、割と山だったりする。まだ、文章が荒いのでかな~り直すとこもあるし。
ここから、1週間が長くて短くて長い(w


それはそうと「平清盛」は面白いです。
兵庫の知事は、なにをぶつぶつ言っているのか分からないが(w
年齢的に「ん?」って点はないではないが、
それをまったく感じさせない演技だと思います。
源氏がかわらず没落状態ですが、義朝はこの後で東国下るのかな?
(基本、楽しむために本のは読まずに見てます。仮に買ってあってもw)


久々にベイについてぼやく。
あのユニフォームは明らかに1998年モデル
同じユニで最下位にもなっているが・・・
でも、「強かった時のユニフォーム」と言うことになると、
前は昭和35年の三原マジックモデルになってしまう(汗
いつぞや、大洋ホエールズ復刻ユニで試合してたけどさ
・・・・・・・・お願い、止めてって感じの試合だったような。
ユニフォームだけの責任では、無論ないが。



智本光隆

豊臣蒼天録紀行8―佐和山城2 武士の夢の跡―

2012-01-26 02:55:15 | 豊臣蒼天録
さて、そんな訳でいざ、入山!!





『関ヶ原群雄伝』でも『豊臣蒼天録』でも主要な舞台となってます。
佐和山城は鎌倉時代、近江源氏の佐々木氏の築城と伝わります。
信長の時代には丹羽長秀、秀吉以後は堀秀政、堀尾吉晴が城主となり・・・
石田三成が入城したのは天正18年(1590年)です。
関ヶ原の合戦の、ちょうど10年前ですね。





煙硝櫓跡などを過ぎ・・・




さて、いよいよ山頂!!石田みつにゃんには逢えるのか





山頂の様子。


みつにゃんは、みつにゃんはいずこに
仕方ない、あとで彦根の街を探そう(w


そんな(どんなだ?)佐和山城は石田三成が「佐和山総構え」と称される、大城郭へと変貌させました。
「三成に過ぎたるものが二つあり。島の左近と佐和山の城」は有名です。
本人はあまり、この城にいなかったんじゃないかとも言われていますが(w
まあ、奉行は多忙だろうしねぇ・・・


関ヶ原の合戦前、大谷吉継に決起を打ち明けたのはこの佐和山城。
「関ヶ原物」では三成の決意~垂井から戻ってくる吉継は・・・は中盤のクライマックスで(w
そして、安国寺恵瓊も交えた謀議へと発展します。
(なお、近年の研究ではそれよりも、宇喜多秀家の行動が先んじていたとの説あり)
このあたり、『関ヶ原群雄伝』では結構、そのまま書いていたりします。
是非、ご一読を!!


三成はこの城に、幼君秀頼を迎えるつもりだったとも言われていますが、
関ヶ原の敗戦後、小早川秀秋らに攻められて落城、三成の父、兄、妻らは自害します。
この際、炎上したとの通説がありますが、発掘調査等ではその痕跡はないようです。


戦後、新たに入国した井伊氏によって佐和山城は廃城となりました。
三成と共に生きた城は、その死と共に歴史的役割を終えたと言えます。


なお、ここまでやはり30分(写真とりつつ)
暑さに頂上でしばしぐったりしてから、さて回りの景色見るかと立ちあがり、、、


・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・あれ?


次回へ続け(w

第3巻執筆中!!

2012-01-22 01:32:20 | 豊臣蒼天録
第2巻の発売から、1月ほど経過しましたが、、、
現在、『豊臣蒼天録』第3巻の執筆途中でございます。
筆が進むと肩痛いねぇ・・・進まなくても痛いけどさ。
来月頭くらいまでには、草稿は仕上げたいのだが、
はてさて、どうなるものやらね(w


そういえば、『豊臣蒼天録』の第1巻が電子書籍化されているようで。
そちらで読んで頂けた方、ありがとうございます!!
もちろん、作者なので電子書籍に関する契約は結んでおりますが、
「あれ、出たのか?」という体たらくです。


そんな訳で、作者がその電子の世界を見てない(w
そろそろ、タブレット購入を進めるべきか?
ソニーあたりのを検討中なのですが、どうだろう?
やはり、読者の目にどう映っているのか、そこは作者としては気になるところ。
電子書籍の絶対数も、至って気になってはいますが(w


さて、もうちょっと原稿進めようかねぇ・・・
では、また!!



智本光隆

豊臣蒼天録紀行7―佐和山城 三成に過ぎたるもの―

2012-01-20 10:59:55 | 豊臣蒼天録
豊臣蒼天録紀行でございます。
さて、第7回は石田治部少輔三成の居城。
「三成に過ぎたるものが二つあり。島の左近と・・・」




「佐和山城」でございます。


と、いいましても佐和山城は関ヶ原の合戦後に落城、再建されなかったので現存しておりません。
この前日、泊まったホテルにて地元の人から登山に関する調査を実施!!
非常に親切なホテルの方いわく「私の足(50歳くらい?)で30~35分くらい」とのことです。
ですが、この日は9月中旬にして35~36度の異常な残暑!!
まあ、前日もそうだったので午前8時に山の下に到着。
いざ、三成の城へ行かん!!!


と思ったら、麓にパトカーが・・・
さすがにカメラ回す度胸なかったので写真はないですが、若干の張り詰めた空気ありました。
見てたら大学生くらいの男女2人が、山のほうから警官2名に付き添われて下りて来た・・・
山頂でなにが謀反か左近はなにを致しておったのか


・・・とか、ボケられる空気じゃない感じ(w
登っていいものやら迷っていたら、サイレンの音に自転車に乗った近所のおばちゃんが登場!!


「どないしたん?なんかあったん」
「いや、よく分かんないですけど・・・なんか山から下ろされたっぽいんですよね」
「お兄ちゃんはどないしたん?」
「僕は取材で来ました。登りたいんですけどねぇ。どうしましょう?」
「ああ、それならおばちゃん聞いてきたげるわ!!」


そして、まったく空気を意にかえすことなく、パトカーを直撃するご近所の女性!!
漢・・・もとい、女だ!!さすが、三成公の統べる民!!!
どこにもいるといえば、それまでだけど(w


で、2、3分後にお戻りになり・・・
「大丈夫らしいで。なんや、上で熱中症にかかって携帯で助け呼んだらしいて」
「あー・・・」


で、警官さんもこっち来ました。
「どこ行くんですか。山入られます?」
「はい。まずいでしょうか?」
僕の格好をじーと見る警官。
(一応登山ぽい格好。頭に帽子)
「水分持ってますか?」
「ペットボトル5本くらい・・・」
「では、山頂雨で滑りやすいので、お気をつけて」


パトカーに帰って行きました。
・・・お仕事お疲れさまです!!!
ちなみに、その2人の格好は普通というか・・・女子のほうはパンプス?帽子なし。
どうも、水分もなし(山中に水道とか湧水はありません)
なにやら、こってりとしぼられてましたが・・・


「よかったやない。せっかく来て、登れなかったらかなわんしなー」
「・・・はい、ありがとうございます」


さて、そんな親切?なご近所のおば・・・もとい三成公お膝元の女人見送られ、いざ佐和山城へ行かん!!



麓に龍澤寺。井伊家の菩提寺です。




その菩提寺に三成像。
「関ヶ原群雄伝から、全作品にご登場いただきありがとうございます。今回はもう死後ですが」
と、挨拶をし、、、



閑静な境内を抜け・・・



野猿が出るらしいです。
野猿・・・神波さんとか元気かな(w


無駄に前振り長いですが、いざ佐和山城へ。
山頂に何が待つ!!果たして、みつにゃんには逢えるのか

大河ドラマ「平清盛」

2012-01-17 00:55:35 | 日記
NHKの大河ドラマ「平清盛」が始まりました。
なにやら、色々と場外乱闘?もあるようですが、、、
自分は今のところ、面白く見てます!!


南北朝も好きですが、あの時代も好きです。
平清盛御落胤説はよく採られ設定とは思いますが、
「そう使うのか!?」と思った次第。
1年間、注目したいと思います。


なにげーに、没落時代の源氏が悲哀をさそっています。
白河院崩御の頃ってことは、源義親事件のあたりですかね・・・
基本、源氏にしても描かれるのは頼朝、義経の関係ですし、
むかし「炎立つ」で源頼義、義家が描かれたことはありましたけど、
「殺される場面」以外の、義朝が出て来るのもめずらしい!?




ラストの紀行で紹介されては石清水八幡宮。
清和源氏の氏神として有名ですが、平清盛も舞を奉じています。



智本光隆