さて、それでは実際の忠興と珠子の夫婦仲はどうだったのかという点。
作中の時期は円満だった・・・そう考えられるのですが、ここで本能寺の変が起きます。
良く知られている通り、史実では細川家は明智方への加担を完全拒否、宮津から動いていません。
忠興が天王山に出陣、羽柴方として山崎の合戦に加わっている可能性は前に書いた通りです。
そして珠子さんは光秀の娘であるとして丹後味土野に幽閉されます。
味土野は宮津から直線距離で約15キロ、丹後半島の真中あたり。
実はここでの暮らしぶりは珠子の残した和歌以外、確かなものは伝わっていません。
この間に忠興、藤孝の方は家名を守るために奔走し、細川家は豊臣政権で存続を見ました。
本能寺の変から2年後、忠興は珠子を宮津へと呼び戻します。
この間、正室の座は空けたままでした。
さて、この期間の描写。
多くの創作では失意に打ちひしがれた珠子がキリスト教に傾斜して、
忠興嫉妬に狂う・・・てのが多いですね。
しかし、この描写は果たしてどうなのか?
本能寺の変に際しての細川家の措置、これ以上はどうにもしようがなかったというべき。
離縁しない、明智に送り返さない、そして殺さない・・・
本能寺の変後の情勢下で、かなり危ない橋を渡ったと思います、忠興も藤孝も。
これで珠子が世を儚むような人間ならば、それは戦国武将の妻としては失格なのではないか?
本作のキャラ創りはそんな思いもあってああなってます。
「右府様に謀反した方々が、お揃いで」というセリフを光秀に対して、珠子の口から言わせて見ました。
忠興との夫婦仲、晩年は冷えていたというのが通説です。
しかし、それならば果たして関ヶ原の合戦で死ななければならない意味は何処になったのか?
東軍有利の流れを作る、忠興に愛想をつかしていた・・・など解釈はありますが、
あれは「忠興と細川家の負担に、これ以上なりたくなかった」という見方が一番近いような気がします。
正しいと言い切れるものではないにしろ。
「鬼蛇夫婦」のエピソードからはこの2人、何処かで通じあっていたんだと思います。
そして、珠子の辞世である「散りぬべき時知りてこそ世の中も 花も花なれ人も人なれ」
これは死を前にすべてを達観した境地を感じます。
正直、信仰にみに傾斜した人間ではないな、と。
でも、忠興は珠子に生き残って欲しかった・・・それは間違いなことなんんだろうとも思います。
珠子は実はもう少し考えたエピソードありました。
特に高山右近はもうちょい絡ませたかったかな?
そして、ラストの案は当初は色々ありました。
両者の感情すれ違うとか、光秀の死に発狂する(おい、待て)とか。
『本能寺将星録』ではあの細川ガラシャに最後、
キリスト教と一定の訣別をさせるというある意味、とんでもないことをやってしまいました(w
実際に決定されたあのラスト、庭師のエピソードをやろうと言う流れでまず考え、
あとは筆のままに書いています(諸般の事情で、制作期間2日です)
その中で珠子が自然に口にした言葉でした。私にはキリスト教は必要ない・・・と。
忠興は信長の復仇を遂げ、天下を差配するために多くのものを失い、そして捨てました。
珠子もひとつ、心の拠り所を捨てたのだと思います。
従う、寄り添うというよりも、向かい合って立つのが本作における忠興と珠子の作者のイメージです。
彼女はこの後も忠興のすべてに向かい合い、笑って受け入れると思います。
忠興が天下布武を成し遂げるその日まで。
そして、それからも。
やっぱり、ただのバカップルか(w
「細川家の至宝」展マスコットの黒猫。作中の珠子の猫のモデル。