さて、大谷の陣に行くには宇喜多陣地の後方から行けるのですが、、、
「今、道が通行止のようになっているので、止めたほうがいいですよ」
と、レンタサイクル店さんから情報が。
そのため、一度旧中山道側に出てから、回り込む感じになります。
不破の関(あとで取り上げるとして)を通過、
黒血川、線路を渡って山中へ。
そう、大谷の陣は山の中です。知らずに来たら、これはかなり意外。
西軍諸隊の中で、交通の便?は極端に悪いです。
山道を進み・・・
「大谷吉隆陣所古趾」
で、更に山道を進みます。
山中に突如、旗が出現したり(w
関ヶ原の街の中には東西両軍の旗が翻っていますが、
大谷の旗は「紺地に白三丸」が使用されています。
この山中だけ、「違い鷹の羽」が。
残念ながら、「対い蝶」はなかったな(w
豊家に殉じた勝色の旗は、今も関ヶ原に立つ。
大谷吉継墓所。
隣は家臣の湯浅隆貞(五助)の墓です。
五助は『関ヶ原群雄伝』には、息子の十郎ともども出ました。
墓は合戦後、交戦相手であった藤堂家の建てたもの。
西軍首脳の中、関ヶ原の戦場で戦死したのは大谷吉継が唯一。
一応、『関ヶ原群雄伝』の時はそれを踏まえて、あのラストとなりました。
主従ともに、関ヶ原に眠る。
ところで、吉継は関ヶ原の合戦に臨むに際して、
名乗りを「吉隆」に改めたとされ、古碑もそのようになっております。
謀反人と呼ばれる三好義継と音が通じ、それを避けたとのこと。
『関ヶ原群雄伝』の際は、実は「吉隆」でやっています。
実はあれ、ちゃんと理由があったんです。
全3巻の間、披露する機会がなかっただけで。
そういえば、これまでの3作全部出てますね、吉継(『豊臣蒼天録』は夢のシーンだけど)
さて、大谷家のみなさまには非常にお世話になっておりので、お参りを。
息子さん、『豊臣蒼天録』では家康に勝ちますよ・・・とか(w
アクセスよくない割に、そこそこ人とすれ違いました。
正直、笹尾山(石田)の次に人がいた(w
やはり、石田と大谷は西軍の両翼か。