歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

気がつけば文月

2013-06-30 06:00:00 | 日記


写真は数年前の母の日に買ったフェアリーアイ。
・・・その時はピンクだったものが、地面に植えたら青く!!
我が家の土の関係らしい。。。




昨日、県立図書館前で七夕飾りを見て愕然と。
ああ、、、明日から7月だったのねと(w
さて、今宵に向けてラストスパートを



智本光隆

桃山乱戦奇譚紀行番外―新田義貞 小田原に眠る―

2013-06-26 21:52:52 | 桃山乱戦奇譚
さて、次なる目的地に行く前に、
実は小田原周辺に行ったら、前から行って見たかった場所が一ヶ所。





新田義貞が戦死したのは延元3年(1338)閏7月2日。
越前燈明寺畷において、足利軍との戦いの中でその生涯を閉じました。
さて、、、その墓所でありますが、


・福井県坂井市丸岡町称念寺
・京都市右京区滝口寺
・群馬県桐生市新里町善昌寺


などにあります。
群馬県内は他にもあったはず。なお、市町村合併後の地名にはあまり自信はありません(w


福井は戦死地、京都は首実検の後に葬られ、
群馬は郎党が首を持ち帰り、それを弔ったと伝えられています。
その中で義貞と関係ない場所が、小田原・・・
大学のころから気になってまして、、、





小田原市東町


ありました!
酒匂川を越えてすぐのあたりで、割と簡単に見つかりました。
義貞の戦死後、家臣の宇都宮泰藤が首を奪い返し、
上野新田へと運ぼうとして途上、この地で病に倒れ、、、
止む無くこの場所へと葬った・・・とのことです。


一時期、荒廃したとのことですが、
現在でも、地元の人には大切にされている様子が窺えました。
群馬の人間として、義貞を研究した者として、
そして、応募作に新田を選んだ者として(w
地元の方々にお礼申し上げる次第です!!





酒匂川の上を飛んで行く。
・・・オスプレイ?




智本光隆

清山へ、ふたたび

2013-06-22 12:39:06 | 日記
新刊が出るたびにお邪魔している、赤城山の清山へとまたお伺いしました。
・・・と言っても、先週の話なんですが。このところ、ブログ更新する暇が(w





今頃は、窯入れのころかな・・・
ちなみに、清山の清水先生は(あ、今回写真がないな)
うちの両親の仲人ですが、御年90歳
何時までもご壮健にて、創作活動をお続けになって下さい。




さて、今回はこちらをいただく。名前はなんとしようか(w



赤城高原の陶芸教室「清山」   http://www014.upp.so-net.ne.jp/seizan/



智本光隆

掌中の珠

2013-06-19 21:03:21 | 日記
いつも行っている歯医者さんの先生ご夫婦に、長女さんがお生まれになったそうで。
おめでとうございます
すこやかなるご成長を、お祈り申し上げます。



内祝。


・・・を貰う。
うん、こちらは安産お守りと、新作にも登場?の鈴しかあげてないのだか。
今年生まれということは・・・干支が一緒だ!
何回、まわっているのかは・・・考えずにおこう(w


さて、、、微妙に更新が久々ですが、
理由・・・新作の第1章がいろいろと難儀で。
だいたい、何時も1章は手を入れなおし率が半端ないけど、
今回は・・・もう、数えてすらいない。10回は超えたような。
産みの苦しみ。生まれればかわいいでしょうが、この上もなく(w
すこやかに。こちらもそうありたい。


・・・スタバでも行くか。



智本光隆

桃山乱戦奇譚紀行第8回―太閤秀吉の石風呂―

2013-06-14 23:47:05 | 桃山乱戦奇譚
さてと、空腹も癒されたところで。。。



「太閤石風呂通り」


太閤の石風呂へ向かう。
事前に調べてありましたが、今は直近までは行けず、蛇骨川の反対から見るとのことです。



「太閤の滝」


途中にある「太閤の滝」
落差は約10メートルだそうですが。
しかし・・・小田原もそうですがこのあたりの自治体、全力で「秀吉の方」を推している(w






そして、到着。
秀吉が将兵を労うために作らせたと、今に伝わる石風呂。
秀吉本人が入ったかは不明。
もちろん、美女を集めたのかも(w
・・・何故か、各メディアは当然のようにそう描いていること多し。
それは『天下人の血』も含めて!!


それと、真横に倒れている白いもの。
「何だろう?」と思ったのですが、
「太閤の石風呂」の案内板らしいです。帰ってからネットで見ました。
直して下さい、箱根町様(w



「万年橋」


これは国道138号が渡る「八千代橋」と、太閤の石風呂の間。
明治時代に架橋されたという、「万年橋」の残骸です。
形式は吊り橋のよう・・・
明治20年に上流に橋(現八千代橋の前身の橋)がかけられ、役割を終えたとのこと。
対岸がすごく気になる(w




あとは、有名は富士屋ホテル。明治11年創業。




道には「黄金の瓢箪」が!!


強風の中、この日はこれにて小田原へと戻ると。。。




3体のドラちゃんがお出迎え!!
「ドラえもん100年展」が開催期間中でした。
右から秘剣電光丸、とりよせバッグ。
一番左は・・・光りゴケ?