歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

初代ぐんまちゃん3

2011-09-27 20:36:36 | 日記
初代ぐんまちゃんを探し続ける本ブログ。
というか、見つからないんですよね・・・
ですが、昔のアルバムから発見ひとまず、それをご紹介します。




撮影日は前後に貼ってあった写真から、昭和58年9月10日か?
この日、あかぎ国体開会式のリハーサルがありました。
ちなみに、智本光隆は出場してます。
本庄(だったと思う)まで飛ばされた、伝説のアドバルーン(多分・・・)
今、一体いずこに?
どっかにしまってあるなら、県民の日にでも上げて下さい。
お願いします。県の偉い人



智本光隆

ザ・今夜はヒストリー ―鎌倉幕府滅亡―

2011-09-26 01:21:07 | 日記
前にも一度、紹介したかもですがTBSの「世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー」、
中々、秀逸な歴史バラエティーです。
先週、ついに南北朝時代(厳密には鎌倉時代末ですが)が放送。
「1333年、鎌倉幕府滅亡」がテーマ。そして、主人公は新田義貞。


なお、ご存じない方もいるかもですが、智本光隆の歴史群像大賞優秀賞受賞作「風花」は、
義貞の嫡男・新田義顕が主人公でした。鎌倉攻めは最大最後のクライマックスです。


義貞の決起~鎌倉街道の合戦はバッサリカットされてますが、
鎌倉攻防の再現はなかなかよかったです。
正直脇谷義助、大館宗氏なんて新田一門、まさか民放のゴールデンで名前を聞くとは!


それと、義貞と新田氏の説明も。
特に驚いたのは「新田貞義誤記文書」を取り上げているということ。
確か「長楽寺文書」だと思いますが、「新田小太郎義貞」を「新田孫太郎貞義」としていたかな?
鎌倉時代の新田氏衰退の象徴として、よく引用されてます。
それと、新田政義の無断出家事件など、NHKでもやらないような話にも触れており、
新田義重以来、新田、足利の対立関係も細かく説明されてましたね。


まあ、あえてツッコミどころあるとすると、、、
・義貞の黄金の太刀、後醍醐天皇下賜とは聞いたことないような・・・
・稲村ヶ崎渡渉、夜じゃあ・・・


くらい・・・ということで(w
稲村ヶ崎はもっともポピュラーな干潮説を素直に採ってましたね。
他に霊山(稲村ヶ崎の岩山)登山説、パリア海退説なんかあります。
時期柄、言いづらいですが地震退潮説なんてものありまして・・・


いずれにしても、面白いのでおススメですよ!
正直、最近の某国営放送のよりもというか(w
前にこのブログでも紹介した「名将の采配」の湊川の合戦は、
「戦前の教科書の焼き直しか!」って怒りさえ込み上げて来ましたしね。。。
放送日が水曜日に変更になるようですが、今後も期待しています。



大リーグのブルワーズが地区優勝。
斎藤隆投手が、5度目のPO進出を決めました。
おめでとう!!今年は色々、大変だったと思いますが・・・
40過ぎても現役、しかも活躍しているのが素晴らしいですね。
今年こそ、念願のワールドシリーズ登板、そして制覇を!!!


・・・ところで隆さま、今でも横浜の某チームを覚えておられますでしょうか?
正直、古巣はあなたの穴がいまだに埋まっておりませんのですが・・・



智本光隆


榛東ぶどう―圭月園―

2011-09-21 10:20:06 | 日記
毎年、担当さんや各所にも差し上げている、榛東村のぶどうをご紹介。



圭月園(けいげつえん)様。


ピオーネ、ジャスミン、種なし巨峰がおススメです!
個人的にはピオーネが好きかな?




次はもう、来年になるかな・・・


毎年8月末~10月上旬くらいですね。
残念ながら今年は、少し期間が短いとのこと。
それでも、今月中はなんとかいけるかな?
と・・・思ってたら、台風来た!
そんなわけで、速攻でご紹介を!



智本光隆

湖東燃ゆ

2011-09-19 16:00:05 | 日記
ミニ取材から無事、帰って参りました。
・・・なんだよ、あの暑さは(w
関ヶ原の本戦が秋だったのは、単に猛暑にやりたくなかったからじゃないのか?
そう思える美濃、近江の残暑!!
いや、残暑なんてレベルじゃなかった。。。


その様子は後々、「豊臣蒼天録紀行」でお知らせするとして、




近江の地で遭遇。因縁の両者。





いざ、佐和山(彦根)を奪還するべし!!
行け、みつにゃん!!!
(注:本作の時点で石田三成は故人です)


・・・さて、お仕事しますかね。



智本光隆

豊臣蒼天録紀行1―大谷家終焉の地―

2011-09-17 19:00:01 | 豊臣蒼天録
さて、そんな訳で新企画始めます!!
「豊臣蒼天録紀行」その第1回。
前々作『関ヶ原群雄伝』と、今作『豊臣蒼天録』をつなぐ意味でも、
第1回は「大谷一族の墓所」です。
「ミニ取材どうした!」って突っ込み入りそうだけど・・・


さて、智本光隆作品に、非常によく登場する大谷吉継とその一族。
吉継本人の墓が、関ヶ原にあることはよく知られていますが、
子孫の墓所は、群馬県伊勢崎市にございます。



赤城山龍昌寺(伊勢崎市堺伊与久)


御存知、大谷吉継は関ヶ原の合戦で戦死します。
さて、吉継には2人の男子がおりました。
嫡男は『関ヶ原群雄伝』の主役、『豊臣蒼天録』にも出演中の大谷吉治(吉勝)です。
吉治は関ヶ原の戦場から、弟の木下頼継と共に脱出します(頼継は後に病死)
吉治はその15年後、大坂夏の陣で戦死しますが、その子である大谷隆昌がこの地に蟄居したと伝わっています。
つまり、吉継の孫ですね。


後に厩橋(前橋)の酒井氏に奉仕した隆昌は、大坂夏の陣に徳川方として出陣、
つまり父の吉治、伯父(姉・安岐の夫)とは敵同士になった訳です。
これ大谷家存続のために知恵、そう解釈出来ますが・・・


前述の通り、父の吉治は夏の陣で戦死しますが、
徳川方の隆昌は戦功を認められ、この伊与久の地に50石を得ました。
後年、出家して同地に隆昌(龍昌)院を建立したと伝わっています。
現在でも寺には、大谷家の墓所が残されています。





大谷家墓所入口。そして隆昌の墓。



酒井氏は寛延2年(1749)に姫路に転封しますが、これに同行したかは?
なお、『関ヶ原群雄伝』で大谷吉継の正室は酒井重忠の娘としてありましたが、
それはここから考えた設定です。
ちなみに、石田三成の三女・辰姫が津軽信政に嫁ぎ、晩年を過ごした大館(太田市尾島)は、
この伊与久から、直線距離で6キロほどです。
吉勝と辰子の関係もこのあたりから着眼(w


この大谷家のその後、どうやらあまり知られてはいない様子。
この話も龍昌院さんから直接お聞きしたことを、中心に書いてます。
ですが、地域的にはこのような話、色々とあるはず。
なので今、探しているのは大谷吉治(吉勝)の墓です。
一度、参りたい!そして、デビューさせてくれてありがとうと伝えたい!!
「ここにある!」と御存知の方は、是非とも本ブログまで!!