2005年シーズン終了後、斎藤隆はベイスターズを退団し、
メジャーリーグ挑戦を表明します。
この年、勝ち星こそ3勝ですが終盤の斎藤の調子は悪くなかったです。
しかし、どしゃぶりの2軍戦で登板させ(これは引退を促したとも)
シーズン終了後に自由契約を希望する斎藤に、
球団の返事は「いいよ」のひとこと。
斎藤隆は横浜を去りました。
その後、、、ロサンゼルスドジャースとマイナー契約し、
開幕直後にメジャーに昇格、
72試合 6勝 2敗 24Sの成績あげます。
翌年は、
63試合 2勝 1敗 39S
ドジャースのクローザーに定着します。
斎藤がアメリカで成功した理由はいろいろあげられています。
技術的には日本ではボールゾーンに曲がり、
見せ球にしか使えなかったスライダーが、
アメリカではウイニングショットとして、驚異的な威力を発揮した・・・と。
(斎藤自身も渡米後はスライダーが決め球と発言しています)
個人的には斎藤自身の性格と、下半身の強靭さが成功の要因だと思っています。
日本とアメリカのマウンドの違いを口にする投手が多い中、
斎藤だけが
「同じです。力いっぱいマウンドを踏んで、ミット目がけてなげるだけ」
と発言しています。
「斎藤隆のもっている素質はプロ野球界随一。
それが花開いた時、再び栄冠が訪れる」
とは、ベイスターズファンが信じていたことで、それが実現しました。
着ているユニフォームがちょっと違いましたが、そんなのは些細なことw
アメリカでは5球団を渡り歩きました。
おそらく下位チームのクローザーとなり、セーブを稼ぐ選択肢もあったはずですが、
ワールドシリーズを制覇の目標があったのでしょう。
それはあと一歩で叶いませんでしたが、
アメリカで7年
338試合 21勝 15敗 84S
当時、もう日本に戻らない趣旨の発言もありました。
2013年に楽天に入団したのは、東日本大震災・・・
彼の故郷である仙台が被災したことでしょう。
この年、楽天は日本一に輝きます。
それから2年・・・
その斎藤隆がマウンドを去ります。
引退会見を聞く限り、すぐに楽天や他球団のコーチなどに就任する気はなさそうです。
でも、必ず野球界に戻ってくると約束もしてくれました。
それが故郷仙台なのか、それとも他球団なのか・・・
ですが、私は願っています。
退団の過程は決してスムーズではなかった。当時のフロントに非礼もあった。
それでもファンはいつも、そしていつまでも信じています。
斎藤隆投手、長い間お疲れ様でした。
いつかまた横浜で
智本光隆