歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

神剣の守護者

2013-10-17 08:00:00 | 神剣の守護者
では、このブログでの第一報を!!


『神剣の守護者』(学研パブリッシング)   
                                   11月19日(火)発売!!


主人公は軍神・楠木正成から10代目の楠木家当主・楠木正具(まさとも)
南北朝の大乱から230年、いまだに旧南朝系の北畠氏が国主として君臨する伊勢。
その隣国にあらわれたのは、第六天魔王を名乗る織田信長。
伊勢を守るため、そして楠木家の秘めたる「使命」を果たすために。
火蓋を切る楠木 VS 織田。 その戦いに運命を委ねる北畠の姫・雪姫。
そしてもうひとり、中村藤吉郎という猿面の小男がいた――




今かけるのはこのくらいか?
ちなみに、このブログでずっと「新作」といっていたのは、
この『神剣の守護者』のことです。


イラストは今市子先生です。
初稿が終わりましたら、徹底的に詳しく書きたいと思います。
さて、、、その初校だ(w


※11月19日に配本が開始されますので、全国の書店に出回るのには1~2日かかる場合があります。



智本光隆

146分の先

2013-10-16 22:39:27 | 日記
台風の被害が甚大です。みなさま、ご無事でしょうか?


微妙に間が空きまして(w
先週の担当氏との打ち合わせ、実に2時間26分!!
なんかもう、行った方がいいんじゃねぇというレベルで。


そんなこんなを乗り越えて今週、ようやく初稿が開始しております。
それに一部の加筆、地図、参考文献・・・
そしていつものことですが、時間に余裕はない。
クロネコヤマトのカウンターの方には、しっかり顔を覚えられたようで。


さて、、、
肝心の学研のHPではまだですが、
各所にはすでに情報が出始めました。
なので近日中に、このブログでも「新作」の告知をしたいと思います。
ちなみに、シュミレーション戦記ではありません(前に書いたっけ?)


問題はその原稿、今はまだここにあるということ。
さて、ファミレス行こう(w



智本光隆

桃山乱戦奇譚 天下人の血―そのあとがき②―

2013-10-12 06:14:21 | 桃山乱戦奇譚
さて、それであとがきの続き(前回いつだった?って話なんですがw)


兄である関白秀勝よりも「動かしやすいか?」的に選んだ秀勝ですが、
実は「秀勝」を名乗った「秀吉の子」は3人いたと言われています。
つまり、


1、石松丸(豊臣秀吉長男)
2、於次秀勝(織田信長四男、秀吉養子)
3、小吉秀勝


この3人。
本作の主人公は3代目の小吉秀勝。秀吉の姉。ともの次男で秀吉からすれば甥になります。
なのですが、この「秀勝」なる者達・・・はっきりいえば「よく分からない」


まず、初代の石松丸は長浜城主時代の秀吉の実子と言われています。
もっとも元服前に死んでいるのは、仮に石松丸を秀勝だとすると、
それは将来「名乗らせるつもり」だったことになりますか。


そして2代目・・・於次秀勝は織田信長の四男で秀吉の養子に。
山崎の合戦では総大将となり(『本能寺将星録』のときは出しませんでしたがw)、
戦後は明智光秀の居城である丹波亀山城主になります。
実子のない秀吉の後継者だったわけです。
その二代目秀勝は秀吉の関白宣下と同じ年に、18歳に若さで病没します。


翌年、その名前と居城の亀山城、そして少将の官職までそっくり引き継いだのが、
本作の主人公である3代目・小吉秀勝。
この謂わば「秀勝名跡継承」があまりに自然に過ぎたため後世の一時期、
於次秀勝と小吉秀勝は同一人物という見解さえありました。
つまり、、、織田信長の四男はその後も生き続け、文禄の役の最中まで生存したと。


当初、この「秀勝すり替え」を物語の軸にする案もあったりしました。
メインキャストに蒲生氏郷、細川忠興の信長系大名がいるのは、実はその名残。
最終的には秀勝―関白秀次―太閤秀吉の3者を軸に物語は進みましたが、
で、この小吉秀勝という男、、、


・秀吉の養子になったのは兄の秀次よりも先(当時、兄秀次はまだ三好姓)
・妻は織田信長の姪・お江の方。
・九州征伐で武勲を立てるが、知行に不満を言って所領没収→以後、一時消息不明。
・小田原攻めの頃に帰参して戦後、甲斐国主に。国内では積極的に治世にあたる。
・わずか8ヶ月で岐阜に国替え。
・文禄の役では第九軍総大将(この地位は事実上の総大将)
・巨済島で陣没。

・・・これが大まかな略歴。これで浮かび上がる人物上は聡明な人物?それとも暗愚な男。
実はこの他にも、、、


・豊臣秀勝の家臣だったという、名のある者が見当たらない。
亀山城主就任時も放棄時も、家臣の引き継ぎがない。
死後、岐阜城主となった織田秀信は新規に家臣団を編成している。

・小田原攻め直前に蜂谷頼の旧領・敦賀を得たともいうが、
蜂谷の家臣団はそっくり大谷吉継が引き継いでいる。本当に敦賀城主にはなったのか?


もちろん、豊臣家が現在、存続していないということ。
兄の秀次が後に切腹させられていることなどもありますが、どうも秀吉存命時の豊臣政権が、

「豊臣秀勝という男の存在を、この世から消そうとした」ような印象を受けました。

二代目秀勝もまるで、存在を消されたように三代目に代わりました。
病死かそれとも・・・はよく言われるところですが。
そして、その三代目も文禄の役の最中に急死。
後の秀次事件の顛末を見れば、これはただの陣没かそれとも、、、


このあたり「天下人」豊臣秀吉のダークサイドのような気がします。
穿ちすぎといえば、それまでか・・・・?

打ち合わせ 25分前!!

2013-10-11 15:35:00 | 日記



庭にアケビがなっているな・・・
で、それが口を開きましたが、
アケビって紫色になるんじゃなかったっけ?
調べてみたところ、「白アケビ」という種類なのか?
ええ、とても甘くて美味しかったです!


で、、、今しがた、打ち合わせ前の下読みがようやく完了。
徹夜の通し読みでギリギリだ・・・
それで、どうなるかなんだけど。さて、、、
30分でもいいから寝たい。ブログ更新していて、何なのですが(w



智本光隆

順位表が一番下でなくなるという事

2013-10-08 21:51:00 | 日記
今日、ひとつの夢が実現しました
10月8日、横浜ベイスターズ38年ぶり悲願の・・・
このネタは前にやったとして(w


そんなベイですが本日で今シーズンが終了。
なんとか、かんとかで5年連続の最下位から脱しました。
それで、最終成績は、、、


65勝79敗1分け  5位


となった。
シーズン80敗もギリギリ回避したのか。
まあ、3球団に勝ち越したのは、収穫でしょう。
あの球団にいくらなんでも負けすぎだけど。
ええ、あの球団にね。


さてと、、、中畑監督は大半の予想通り、辞任するわけでもなく。
良いと思いますよ。ここ数年、総理大臣の次に任期の短いのはベイの監督だったので。
・・・というか、3年やった監督誰かいた?
権藤さんですら3年。あとは近藤監督と・・・大矢体制2期目は途中解任だし。
・・・この2人だけか(汗


もっとも、コーチ陣は随分変更されるようです。
投手コーチはまあ仕方ないにしても、なんで打つ方は好調なのに、
打撃コーチをみんな交代って?
特に2軍の高木コーチは、、、まあ、年も年だとは思うけど。


いずれにせよ、引退される方々は今日がラストゲーム。
まだ、先がどうなるかは不明ですが。
ラミレス、森本、小池もか、、、
小池は優勝した年の入団。今日は惜別の一発!!
「うちの外野は層が厚いから、英才教育でしっかり育ててほしいね」
とか思ったのを昨日のように感じるなぁ。
おつかれさまでした。
しかし・・・どうして、細山田は1軍に上げてやらない?



智本光隆