SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

3人の博士

2024-01-07 07:45:00 | 日記

今日は「主の公現」
ベトレヘムに生まれた
幼子を東方の三博士が
礼拝にきたことを
記念する日です。


我が家も今日まで
クリスマスの飾りを
置いていました。
(片付けるのが
面倒ということも
ありますが… 💦)

  ✨✨✨✨✨

ピヨートル・イリイチ・
チャイコフスキ―
(1840-1893)

父はロシア人で
鉱山の首席査察官。
母はフランス系ロシア人で
本人はフランス人の
クォーターです。

父はフランス人女性を
家庭教師として招き
初歩教育を
受けさせました。
音楽好きな母の影響で
ピアノに親しんで
成長します。

10歳の時に
ペテルブルク
法律学校予科に
入学します。
19歳で法務省に入省
しますが
音楽を諦めきれずに
22歳で
ペテルブルク音楽院に
入学して
1期生になります。
チャイコフスキ―は
西欧風の教育法によって
ロシア国内で育てられた
最初の音楽家の
一人でした。

25歳で音楽院を卒業後
モスクワに新設された
音楽院の教師をしながら
本格的に作曲を始め
「ピアノ協奏曲1番」を
完成させます。

音楽院の院長
ニコライ・ルビンシュタインに捧げるはずでしたが
酷評され
屈辱的な思いを
味わいます。

その後
ドイツのピアニスト
ハンス・フォン・ビューロ―
に献呈され
アメリカ・ボストンで
行われた初演は
大成功をおさめ
チャイコフスキ―の
出世作になりました。


音楽院の院長
ルビンシュタインも
その後、謝罪して
このピアノ協奏曲を
感動的に
演奏するようになり
パリ万博博覧会では
1楽章が終わるなり
大きな拍手が
巻きおこったのです。

 
「ピアノ協奏曲第1番」
ピアノ
ワイセンベルグ
指揮
カラヤン
(3‘30‘‘)