アントニオ・ヴィヴァルディ
(1678―1741)
1703年
ヴェネツィアの
孤児達が暮らす
慈善院「ピエタ」で
少女オ―ケストラを
育て上げながら
500曲もの協奏曲を
作曲しました。
ヴィヴァルディの名声が
高まったのは
協奏曲曲集
≪調和の霊感≫が
出版されたことに
よります。
人気作曲家となって
ヨ―ロッパ各都市を
巡りました。
≪調和の霊感≫の
献呈を受けたのは
フィレンツェを
長年支配してきた
メディチ家の御曹司
フェルディナンド・デ・
メディチです。
音楽に情熱を捧げ
著名な音楽家達を
庇護しました。
≪調和の霊感≫の表紙には
「トスカ―ナ公フェルディナンド3世殿下に捧げる」
と書かれています。
↓
その後、
ヴィヴァルディの名は
ほとんど知られることなく
埋もれていましたが
日の目を見るように
なったのは
1960年に
なってからでした。
第2次大戦後
疲弊した世界経済。
大編成のオ―ケストラが
世界各地をツアーが
できなかった時代に
小編成の合奏団の
イ・ムジチが
演奏する
≪四季≫のレコードが
驚異的なベストセラ―を
記録しました。
世界中で大ヒットを
飛ばしたことで
バロック音楽ブ―ムが
巻き起こったのです。
今日は、ランチイベント。
フレンチ、めいっぱい、食べてきました。
なんと、ストピ デビュー!
レストランの入ったビルの1階に
ヤマハのグランドがあって、自由にお弾きくださいと。
リクエスト?にお応えして、
イジーウイナーなど。しっかり、とちりました。
寒いはずが、帰り道の電車は、
いつも汗。発熱タイツの効果かも。
ヤツの夕飯をデパ地下で買い、
かかりつけ医で薬を処方してもらい、
セブンイレブンで支払いをして、
やるべきことは完了です。
ヴィヴァルディ、バイオリンの教則本(鈴木慎一)には、
複数載っていたので、名前だけは知ってましたが、
そんな浮き沈みがあったとは。
今日はフレンチ?
優雅ね。
私は天麩羅でした。
(*^^*)
ストピデビュー?
遅すぎるくらいかも。
反応はいかがでしたか?
ピアノは弾きやすかった?
ヴィヴァルディは
ヴァイオリンで
弾かれたのですね。
彼はヴァイオリンの
名手でしたものね。
ヨ―ロッパで有名に
なったあと
晩年はスキャンダルで
非難を浴びて
お気の毒。
四季の売れ行きに
吃驚しているでしょうね。