「ピ―タ―と狼」や
「3つのオレンジの恋」
など多数の作品を書いた
セルゲイ・プロコフィエフ
(1891−1953)
著名なピアニスト、
作曲家として
活躍しました。
1917年
ロシア革命の嵐の中
シベリア横断鉄道に乗り
ウラジオストックに到着。
汽船に乗り換え
5月31日に敦賀港に上陸し
6月1日には東京に着いて
南米行きの船を探しますが
すでに出港したあとなので
8月まで日本に滞在する
ことにしました。
その間に東京、京都、奈良
軽井沢、箱根などを
訪れます。
音楽評論社の
大田黒元雄氏らが
彼を訪ねて
急遽、帝劇で
リサイタル開催と
なりましたが
大正7年の日本では
プロコフィエフの名前を
知る人はなく
客席に人はまばらだった
ようです。
8月2日
横浜港から
アメリカに向けて
出発しました。
ニューヨーク、シカゴ、
ロンドン、パリと
18年にわたる
亡命生活で
世界を駆け巡りました。
1935年、44歳で
ロシアに戻り
バレエ
「ロミオとジュリエット」
を発表して
大成功を収めます。
1953年3月5日に
この世を去りましたが
スターリンと同じ日。
天才作曲家の訃報は
紙面の片隅に
追いやられました。
コンクール本選は、いかがでしたか?
まさか、断崖くんがでていたわけでは
ないですよね。
杉並区?に大田黒公園というのがあって、
太田黒氏の住居が残っていて、
時々、ピアノコンサートも
行われるようです。
行ったことはありませんけど。
私の頭の中の映像は、
プロコフィエフって、禿頭で
丸い(鼻)メガネの怖いおっさん
なのです。いったい、誰と混乱しているのでしょう?
今日は、1ヶ月ぶりの仕事で、
9000歩超歩きました。
その分、食べているので、もとのもくあみ。
良く歩かれたのですね。
寒くなかったですか?
私は風邪をひいてしまい
ダウンです。
評論家の大田黒元雄氏
色々なご著書が
おありでしたね。
お名前は
良く覚えています。
コンク―ル、
断崖君ではありません。
中1のお嬢さんです。
全国大会に出演しましたが
中1・中2のレベルの高い事。
難曲揃いで吃驚しました。
本人はスタインウェイの
フルコンサ―トを
とても気持ち良く弾き
コンク―ルを楽しんだ
ようですよ。
おやすみなさい。