2006年10月2日(月)
どうも昔からsnob という言葉の概念が、イマイチわからないのですが「snob だと思われたくない。」という邪念がじゃまをすることがあります。
昨日は「晩年の住まいと暮らし方研究会」10月例会。
ロの字型に机を並べて、話し合いをしていました。お互いの顔がよく見えるような机の配置です。私の左隣の女性の様子が、どうもおかしいと感じたものの、あからさまに顔を覗き込むことができません。右手に司会者がいたので、右隣の人の顔は自然に眺められるのに。何か発言してくれれば、そちらを向けるのに。
どうも気になるので、snob だと思われようとかまわないと居直って、まじまじとお顔を見ると、眠っているのでもなく、目をつぶっているのでもなく、意識を失っていたのです。 「救急車 」と大騒ぎになったのは言うまでもありません。意識がもどったときは、みんな胸をなでおろしました。
一人暮らし高齢者が多く参加していましたので、「やっぱり一人暮らしは恐い。」と痛感したのです。共生の住まいを模索する話し合いの最中でした。個人的には、高齢者の不安を理解していなかったと反省しました。
どうも昔からsnob という言葉の概念が、イマイチわからないのですが「snob だと思われたくない。」という邪念がじゃまをすることがあります。
昨日は「晩年の住まいと暮らし方研究会」10月例会。
ロの字型に机を並べて、話し合いをしていました。お互いの顔がよく見えるような机の配置です。私の左隣の女性の様子が、どうもおかしいと感じたものの、あからさまに顔を覗き込むことができません。右手に司会者がいたので、右隣の人の顔は自然に眺められるのに。何か発言してくれれば、そちらを向けるのに。
どうも気になるので、snob だと思われようとかまわないと居直って、まじまじとお顔を見ると、眠っているのでもなく、目をつぶっているのでもなく、意識を失っていたのです。 「救急車 」と大騒ぎになったのは言うまでもありません。意識がもどったときは、みんな胸をなでおろしました。
一人暮らし高齢者が多く参加していましたので、「やっぱり一人暮らしは恐い。」と痛感したのです。共生の住まいを模索する話し合いの最中でした。個人的には、高齢者の不安を理解していなかったと反省しました。