男前田のブログです!

旅の日記や日々の出来事

仁淀ブルー にこ淵

2016年07月31日 | 観光

高知県に住んでいながら仁淀ブルーで最近注目を集めている「にこぶち」に行ったことがなかったので、娘夫婦が孫を連れて帰ってきた機会に訪れてみました。

高知市の隣のいの町の仁淀川に沿って北上すると40分ほどでたどり着きます。Googleのナビで「にこぶち」で出てきます。この表示が見えたら近くに路上駐車して坂を降ります。駐車場はありません。

しかし、かなり急な坂が二ヶ所あり鎖をつたって降りなければなりませんので、必ず動きやすい靴で行ってください。厚底の靴を履いた女性は帰りは裸足で靴を持って上がっていました。

二つ目が急で滑りやすいので、要注意。老人や小さな子どもには厳しいかもしれません。途中には軍手を誰もが使えるように置いてくださっていましたが、使わせて頂き、助かりました。地元の方の心遣いに感謝して、看板にあるようなマナーを守りましょう。

5分ほどで到着すると、本当に絶景です。

青が濃くなるのは8月中旬からだそうですが、充分楽しめました。再生する機器によって微妙に青さが違うかもしれません。

その後、少し下ったところで川遊びをしました。孫は大喜びでした。

帰る頃の下流の仁淀川です。日曜日なので多くの人が川遊びを楽しんでいました。

ゆったり広大な魅力ある仁淀川です。

 

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ライオン宰相 濱口雄幸

2016年07月17日 | 観光

我が町、田野町には戦前の第27代総理大臣、ライオン宰相と呼ばれた濱口雄幸の旧邸があります。地元を紹介しようと思い久しぶりに行ってきました。入場無料です。

 

旧邸と言っても和室が4室程度の質素な建物です。

雄幸(おさぢ)は高知市五台山で林業をしていた水口家の三男坊として生まれました。雄幸という名は珍しいですが、父親が出生届けを出しに行く途中で酒を飲み泥酔し、「幸雄」と書くところを間違えて逆に「雄幸」と書いたという、いかにも土佐らしい説と、男の子が続いたので3人目は女の子がほしいというので「お幸」と言う名を用意していたが生まれてきたのは男の子だったので「おさぢ」にしたという説があります。
1889年に田野町の濱口家の養子となりました。濱口家は坂本龍馬や中岡慎太郎と同じ土佐の郷士であり、武士としては土佐藩では下級武士の家系です。
そして旧制高知中学、第三高等中学校、東京帝国大学とすすみました。

東京帝大の時の雄幸です。

帝大を出た後、大蔵省に入り、次官などを務めた後、衆議院議員となりました。

1929年に田中義一内閣が満州事変で倒れた後、内閣総理大臣となりますが、軍部が暴走するこの時代に緊縮政策を推進し、軍部や野党の反対を押し切ってロンドン軍縮条約の調印にこぎ着けます。英米との対決は日本の国力では不可能と理解していた雄幸は国民負担の軽減のために軍拡から軍縮へと信念を持って舵取りを進めました。

しかしこれは、この時代では勇気のいることであり、軍部や右翼から狙われることになり、東京駅で3mの至近距離からピストルで撃たれました。


駅長室に運び込まれた雄幸は「男子の本懐です」「予算閣議も片付いた後だからいい」と語ったそうです。
なんとか一命をとりとめましたが、症状は厳しい中、野党の鳩山一郎は「代理は認めない。首相が答弁せよ」とせまりました。下の碑は病床で詠んだもので、

「なすことの いまだ終わらず 春を待つ」とあります。 

雄幸は医師や家族の反対を押し切って、銃弾が体内に入ったまま、衆議院本会議に出席しました。しかし、無理がたたり、病状が悪化し、4ヶ月後に息を引き取りました。その後、雄幸の盟友であった井上準之助も拳銃で暗殺され、日本は戦争への道を突き進んでいきます。
ライオンの様に軍部や右翼勢力に立ち向かっていった勇気ある庶民の味方の政治家である濱口雄幸は土佐の誇りです。

旧邸に入ったところにおもしろいものがありました。

一袋150円で売ってます。

「政治家必携 これおおいに引用し 平常心を保ち 清廉潔白。質実剛健の精神を養うべし!」

とあります。どこかの元知事をはじめ多くの政治家にこれを煎じて飲ませたいです。

田野町のふれあいセンターにも雄幸の銅像があります。

立派な銅像ですが、ひとつ気にくわないのは左上の書です。ライオン宰相と呼ばれた縁でしょうが、髪型だけがライオンの小泉元総理が書いたものです。

ブッシュのイラク戦争にいち早く賛成し、間違いだった事が明らかになっても反省の色もないし、規制緩和政策で非正規雇用を増やし、若者を苦しめている小泉首相と濱口雄幸とは、まったくめざしていたものが違います。

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讃岐富士 飯野山

2016年07月01日 | 観光

瀬戸大橋を渡って四国に来た人は必ず目にする山が讃岐富士と呼ばれる飯野山です。

富士山と名が付けば血が騒ぐ私です。ちなみに富士山は5年前に登りました。

見た感じでは山頂へ登れるのかと思いますがちゃんと登山道がついていて、子どもでも安心して登れるんです。始めて登ってみました。

標高は422mですから東京タワーとスカイツリーの間の高さです。山としては低いのですが、富士山なみに独立峰できれいな形をしています。富士山のように噴火して出来た山ではなくて地下に侵入してきたマグマが地下で固まり隆起した後、まわりの土が削られた後に残ったのが飯野山などだそうです。

登山家の岩崎元郎が2007年に中高年が登りやすい事を加味した新日本百名山の一つで、新百名山になってから登る人が増えたそうです。新百名山の中では一番低いかと思いましたが、飯野山より低い山が二つありました。岩崎元郎は中高年になんて優しいんでしょう。

いくつかの登山口がありますが、飯野町登山口から登りました。山に近づくと道が狭くなります。ナビに頼っているとめちゃくちゃ狭い道に誘導されました。地図をしっかり確認することが必要です。

車は登山口から少し入った「飯野町野外活動センター」の近くに駐車しました。40台駐車できるとありました。

登山口です。

登山口から見た風景です。これから上がっていきます。ここで標高約90mです。

道はこんな広さが続きますが滑りやすい所もありますので登山用の靴が望ましいです。低いといっても嘗めたらいけません。

三合目です。

四合目です。見晴らしの良いところにこのような案内板がありました。風景を楽しむ事ができます。

 

丸亀城です。

八合目です。

九合目です。瀬戸大橋が見えます。右手前は角山です。これも富士山のようです。

頂上です。新日本百名山の記念碑がありました。中央は昭和天皇の歌碑。

 

山頂の薬師堂です。

登山口から2.2kmでしたが写真を撮ったりしながら登ったので1時間かかりました。下山も45分かかりました。途中には案内表示が多くて初めての者にも安心して登ることができます。

頂上から30m降りたところに展望台があります。

その横に巨石群がありました。

巨石群にまつわる「おじょも伝説」があります。

おじょもの足跡です。

こんな案内がありました。写真を撮ってみたいですね。

 

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