『アンブローズ蒐集家』は、フレドリック・ブラウンの、エド&アム・ハンターシリーズの4作目にあたる。
実はこのシリーズを読むのは、本作が初めてなのだ。
私は普段から推理小説をあまり読まない。本作を手に取ったのは、ただただタイトルに惹かれたためだった。
アンブローズという名の人間を蒐集するコレクターが暗躍するサイコ小説と思ってページを繰り出したのだが、実際にはそんな事はまったく起こらず。
なんせ作中で失踪するのは、アム伯父さんことアンブローズ・ハンターただ一人。事件に関係して殺害される人物もただ一人。それも、わりと現実的な殺害方法で、派手なトリックは一切仕込まれていない。
若い主人公が伯父の救出のために頑張りながら、苦い喪失も味わう成長物語的なテイストで、私が想像したような猟奇性は皆無の堅実な推理小説なのだった。
〈スターロック探偵社〉に勤める新米探偵のエド・ハンターと、ベテラン探偵のアム伯父さんことアンブローズ・ハンターは、シカゴのとあるアパートで同居している。
ある日、依頼人との面談のために〈グレシャム・ホテル〉に出向いたアム伯父さんが、そのまま失踪してしまった。
アム伯父さんを電話で呼び出した依頼人は、「アンブローズ・コレクター」と名乗っていた。〈スターロック探偵社〉の社長ベン・スターロックは、社に所属する探偵全員を使ってアム伯父さんの捜索にあたる。しかし、手がかりが掴めない。
そんな中で、エドは移動カーニバル時代からの友人で、同じアパートの住人でもあるエステルから、「もしかしたら、アンブローズ・コレクターにコレクションされちゃったかも」という不可解な言葉を聞かされる。言葉の意味と誰に聞かされたかを問うても、エステルには答えられない。誰かとの雑談中に出てきた他愛の無い話らしい。
エドは「アンブローズ・コレクター」がアム伯父さん失踪のキーワードと考え、エステルにいつ・誰からそれを聞かされたのかを思い出すよう頼む。
エド達の捜査で、「アンブローズ・コレクター」を名乗る男が面会場所として告げた〈グレシャム・ホテル〉の418号室には、リチャード・バーグマンという人物が宿泊中であることが分かる。
この人物が「アンブローズ・コレクター」なのだろうか?
その後、エステルは、同じアパートの住人カール・デルと映画を観に行った時に、映画の感想の延長で、「アンブローズ・コレクター」の話をしたことを思い出した。
カール・デルは保険会社勤めで、占星術マニアだ。
エドは、カールから、「アンブローズ・コレクター」とは、チャールズ・フォートの著作に出てくる言葉であることを教えられる。
『悪魔の辞典』の著者アンブローズ・ビアスは、その生涯を失踪という形で終えた。
しかし、実はビアス失踪の6年後にも、アンブローズ・スモールなる人物が、百万ドルを超える資産を残して失踪したらしいのだ。
チャールズ・フォートは著作の中で、これらの失踪事件を「アンブローズ・コレクター」の仕業ではないかと述べている。
チャールズ・フォートは、実在のジャーナリストだ。
フォートの経歴については、作中でカール・デルの口から説明されているが、訳者あとがきでも、更に詳しく捕捉されている。
チャールズ・フォートは、アメリカの超常現象研究家の草分け的存在らしい。
日本では、フォートの著作は何度か翻訳刊行が計画されながら、未だ実現を見ていない。
が、アメリカ本国では、いまなおその道の古典として読み継がれており、ラヴクラフトやE・F・ラッセルなど、フォートの影響を受けた書き手は少なくないという。
いかにも、占星術マニアのカール・デルが好みそうな人物だ。
このチャールズ・フォートをはじめ、『アンブローズ蒐集家』には、オカルトやスピリチュアル的な要素がいくつも散りばめられている。それらが、アム伯父さん失踪の謎へと繋がって行くのか行かないのか――。
たとえば、カール・デルの占いによって導きだされた「420」という数字。
アム伯父さん失踪事件の裏には、数当て賭博の関係者がちらついているが、「420」はそちらに結びつくのか。
この他にも、本書では数字遊び・言葉遊びの描写が目につく。
エドは捜査の過程で、ナイトクラブ〈ブルー・クロコダイル〉の経営者にして、数当て賭博の元締めオーギー・グレーンという人物に行き着く。
そのオーギーの片腕が、トビー・デイゴンというのだが、このデイゴンという姓は、ダゴンとも読める。
ダゴンは旧約聖書にペリシテ人の神として現れる。
だが、ミルトンの『失楽園』には、かつてサタンの率いる「悪魔の軍勢」の一員であった者が、後に異教の神となったと記されている。
この「悪魔の軍勢」は、原文ではArmy of Fiends、そして、本書の原題はCompliments of a Fiendだ。ダゴンとは悪魔をあらわす言葉でもあったのだ。
エドは5年前、印刷工だった頃のミスを思い出すのだ。
教会報の広告で、「友人より感謝をこめて」という活字を組んだとき、うっかりFriendからrの文字を抜かしてしまったのだ。
そのために、Friend(友人)がFiend(悪魔)になってしまった。「友人より感謝をこめて」が、「悪魔より感謝をこめて」になってしまった……。
フレドリック・ブラウンが本作のタイトルに、一般的な「Devil」や「Demon」ではなく、「Fiend」を使ったのは、この言葉遊びがしたかったからだろう。
因みにエドとアム伯父さんは、シリーズ第一作目から本書に至るまで、以下の変遷を辿っている。
先に述べたように、私はこのシリーズを本作しか読んでいないのだが、推理小説として読む分には、特に差し障りはなかった。
『シカゴ・ブルース』The Fabulous Clipjoint
エドは、18歳の見習い印刷工。
アム伯父さんは、移動カーニバルに所属している。アム伯父さんは、カーニバルに関係する前は、私立探偵をしていた。
二人は力を合わせて事件の謎を追う。
『三人のこびと』The Dead Ringer
エドは、アム伯父さんが働いている移動カーニバルに残る。
アム伯父さんと寝起きを共にして、カーニバルで起こる連続殺人事件の捜査をする。
事件を解決した後、二人はシカゴに戻る。
『月夜の狼』The Bloody moonlight
シカゴに戻ったアム伯父さんは、旧知のベン・スターロックが経営する〈スターロック探偵社〉に雇われ、探偵業に復帰する。
21歳になったエドも〈スターロック探偵社〉の探偵見習いとして働き始める。
4作目にあたるのが本書だ。このシリーズには、あと3作続きがある。
エド&アム・ハンターシリーズは、エドとアムの甥伯父コンビが二人三脚で事件を追うスタイルを取っているようだが、本書は初っ端からアム伯父さんが失踪していて、終盤まで出て来ない。
言葉遊び・数遊びの要素が強く、思わせ振りな描写が多い割には、事件の謎解きはあっさり目なので、推理小説としてよりも青春小説として読んだ方がいいかもしれない。
その意味では、一作目から読んだ方が登場人物への理解が深まり、シリーズへの愛着が増すだろう。
エドは、大家のブレイディ夫人から、エステルが彼にぞっこんだと断言されるまで、その可能性について考えたことはなかった。
エステルは移動カーニバル時代の同僚で、その頃から肉体関係にあった。でも、当時のエドが愛していたのはリタだったし、ああいうことは彼には意味の無いことだった。そして、エステルにとってもそれほどは意味の無いことだと思っていた。
けれども、今は。
エステルがカーニバルを辞めたのは、別にエドが辞めたからではない。エステルがエドの住むシカゴに移ってきたのだって――そう思ってきたけど、ブレイディ夫人の発言がどこも間違っていないことも分かってしまったのだ。
エドは自分の人生を変えてしまうような大き過ぎるものが怖い。
そして、今はアム伯父さんのことで頭が一杯だ。今に限らず、これまで一度だって、エステルを他の誰かより優先したことなんて無かったけど。
だから、アム伯父さんの捜索に協力してくれたエステルが、その過程でオーギー・グレーンと親密になったのを知ってもそれほど深刻には受け止めなかったし、オーギーからプロポーズを受けたと聞かされた時も冗談だと思っていた。
オーギーは魅力的な男だけど、生業を考えると気の良いだけの男ではないだろう。そう思っていた。
だけど、事件が解決して、エドにエステルのことを考える余裕が出来た時、エドはエステルとオーギーとのことが冗談ではなかったことを知った。二人は本当に結婚するのだ。
エステルが引っ越すことを伝え聞いたエドは、彼女と電話で話す。
この時、エドは自分がエステルを愛していることを自覚したけど、同時に愛の量が充分では無いことも思い知らされた。
エドはエステルの気持ちに気づいた上で、それを無視できるほど不誠実ではなかったし、彼女について真剣に考えた結果、愛しいとも大切とも思った。だけど、彼女の気持ちと釣り合うほどの熱意は終ぞ持ち得なかった。
受話器を置く音と共に二人の関係は終わった。
エステルはどうしようもなく正しかった。そして、オーギーはいい男だ。そう思っても、気が晴れる訳ではなかった。どうしようもなく辛い。
でも、エドには夢が残っている。
アム伯父さんと二人で探偵社を立ち上げるのだ。占星術はエドに何も教えてくれなかったけど、夜空の星に〈ハンター&ハンター探偵社〉の文字を重ね合わせると、エドの心からは悲しみが忽ち消え失せていくのだった。
実はこのシリーズを読むのは、本作が初めてなのだ。
私は普段から推理小説をあまり読まない。本作を手に取ったのは、ただただタイトルに惹かれたためだった。
アンブローズという名の人間を蒐集するコレクターが暗躍するサイコ小説と思ってページを繰り出したのだが、実際にはそんな事はまったく起こらず。
なんせ作中で失踪するのは、アム伯父さんことアンブローズ・ハンターただ一人。事件に関係して殺害される人物もただ一人。それも、わりと現実的な殺害方法で、派手なトリックは一切仕込まれていない。
若い主人公が伯父の救出のために頑張りながら、苦い喪失も味わう成長物語的なテイストで、私が想像したような猟奇性は皆無の堅実な推理小説なのだった。
〈スターロック探偵社〉に勤める新米探偵のエド・ハンターと、ベテラン探偵のアム伯父さんことアンブローズ・ハンターは、シカゴのとあるアパートで同居している。
ある日、依頼人との面談のために〈グレシャム・ホテル〉に出向いたアム伯父さんが、そのまま失踪してしまった。
アム伯父さんを電話で呼び出した依頼人は、「アンブローズ・コレクター」と名乗っていた。〈スターロック探偵社〉の社長ベン・スターロックは、社に所属する探偵全員を使ってアム伯父さんの捜索にあたる。しかし、手がかりが掴めない。
そんな中で、エドは移動カーニバル時代からの友人で、同じアパートの住人でもあるエステルから、「もしかしたら、アンブローズ・コレクターにコレクションされちゃったかも」という不可解な言葉を聞かされる。言葉の意味と誰に聞かされたかを問うても、エステルには答えられない。誰かとの雑談中に出てきた他愛の無い話らしい。
エドは「アンブローズ・コレクター」がアム伯父さん失踪のキーワードと考え、エステルにいつ・誰からそれを聞かされたのかを思い出すよう頼む。
エド達の捜査で、「アンブローズ・コレクター」を名乗る男が面会場所として告げた〈グレシャム・ホテル〉の418号室には、リチャード・バーグマンという人物が宿泊中であることが分かる。
この人物が「アンブローズ・コレクター」なのだろうか?
その後、エステルは、同じアパートの住人カール・デルと映画を観に行った時に、映画の感想の延長で、「アンブローズ・コレクター」の話をしたことを思い出した。
カール・デルは保険会社勤めで、占星術マニアだ。
エドは、カールから、「アンブローズ・コレクター」とは、チャールズ・フォートの著作に出てくる言葉であることを教えられる。
『悪魔の辞典』の著者アンブローズ・ビアスは、その生涯を失踪という形で終えた。
しかし、実はビアス失踪の6年後にも、アンブローズ・スモールなる人物が、百万ドルを超える資産を残して失踪したらしいのだ。
チャールズ・フォートは著作の中で、これらの失踪事件を「アンブローズ・コレクター」の仕業ではないかと述べている。
チャールズ・フォートは、実在のジャーナリストだ。
フォートの経歴については、作中でカール・デルの口から説明されているが、訳者あとがきでも、更に詳しく捕捉されている。
チャールズ・フォートは、アメリカの超常現象研究家の草分け的存在らしい。
日本では、フォートの著作は何度か翻訳刊行が計画されながら、未だ実現を見ていない。
が、アメリカ本国では、いまなおその道の古典として読み継がれており、ラヴクラフトやE・F・ラッセルなど、フォートの影響を受けた書き手は少なくないという。
いかにも、占星術マニアのカール・デルが好みそうな人物だ。
このチャールズ・フォートをはじめ、『アンブローズ蒐集家』には、オカルトやスピリチュアル的な要素がいくつも散りばめられている。それらが、アム伯父さん失踪の謎へと繋がって行くのか行かないのか――。
たとえば、カール・デルの占いによって導きだされた「420」という数字。
アム伯父さん失踪事件の裏には、数当て賭博の関係者がちらついているが、「420」はそちらに結びつくのか。
この他にも、本書では数字遊び・言葉遊びの描写が目につく。
エドは捜査の過程で、ナイトクラブ〈ブルー・クロコダイル〉の経営者にして、数当て賭博の元締めオーギー・グレーンという人物に行き着く。
そのオーギーの片腕が、トビー・デイゴンというのだが、このデイゴンという姓は、ダゴンとも読める。
ダゴンは旧約聖書にペリシテ人の神として現れる。
だが、ミルトンの『失楽園』には、かつてサタンの率いる「悪魔の軍勢」の一員であった者が、後に異教の神となったと記されている。
この「悪魔の軍勢」は、原文ではArmy of Fiends、そして、本書の原題はCompliments of a Fiendだ。ダゴンとは悪魔をあらわす言葉でもあったのだ。
エドは5年前、印刷工だった頃のミスを思い出すのだ。
教会報の広告で、「友人より感謝をこめて」という活字を組んだとき、うっかりFriendからrの文字を抜かしてしまったのだ。
そのために、Friend(友人)がFiend(悪魔)になってしまった。「友人より感謝をこめて」が、「悪魔より感謝をこめて」になってしまった……。
フレドリック・ブラウンが本作のタイトルに、一般的な「Devil」や「Demon」ではなく、「Fiend」を使ったのは、この言葉遊びがしたかったからだろう。
因みにエドとアム伯父さんは、シリーズ第一作目から本書に至るまで、以下の変遷を辿っている。
先に述べたように、私はこのシリーズを本作しか読んでいないのだが、推理小説として読む分には、特に差し障りはなかった。
『シカゴ・ブルース』The Fabulous Clipjoint
エドは、18歳の見習い印刷工。
アム伯父さんは、移動カーニバルに所属している。アム伯父さんは、カーニバルに関係する前は、私立探偵をしていた。
二人は力を合わせて事件の謎を追う。
『三人のこびと』The Dead Ringer
エドは、アム伯父さんが働いている移動カーニバルに残る。
アム伯父さんと寝起きを共にして、カーニバルで起こる連続殺人事件の捜査をする。
事件を解決した後、二人はシカゴに戻る。
『月夜の狼』The Bloody moonlight
シカゴに戻ったアム伯父さんは、旧知のベン・スターロックが経営する〈スターロック探偵社〉に雇われ、探偵業に復帰する。
21歳になったエドも〈スターロック探偵社〉の探偵見習いとして働き始める。
4作目にあたるのが本書だ。このシリーズには、あと3作続きがある。
エド&アム・ハンターシリーズは、エドとアムの甥伯父コンビが二人三脚で事件を追うスタイルを取っているようだが、本書は初っ端からアム伯父さんが失踪していて、終盤まで出て来ない。
言葉遊び・数遊びの要素が強く、思わせ振りな描写が多い割には、事件の謎解きはあっさり目なので、推理小説としてよりも青春小説として読んだ方がいいかもしれない。
その意味では、一作目から読んだ方が登場人物への理解が深まり、シリーズへの愛着が増すだろう。
エドは、大家のブレイディ夫人から、エステルが彼にぞっこんだと断言されるまで、その可能性について考えたことはなかった。
エステルは移動カーニバル時代の同僚で、その頃から肉体関係にあった。でも、当時のエドが愛していたのはリタだったし、ああいうことは彼には意味の無いことだった。そして、エステルにとってもそれほどは意味の無いことだと思っていた。
けれども、今は。
エステルがカーニバルを辞めたのは、別にエドが辞めたからではない。エステルがエドの住むシカゴに移ってきたのだって――そう思ってきたけど、ブレイディ夫人の発言がどこも間違っていないことも分かってしまったのだ。
エドは自分の人生を変えてしまうような大き過ぎるものが怖い。
そして、今はアム伯父さんのことで頭が一杯だ。今に限らず、これまで一度だって、エステルを他の誰かより優先したことなんて無かったけど。
だから、アム伯父さんの捜索に協力してくれたエステルが、その過程でオーギー・グレーンと親密になったのを知ってもそれほど深刻には受け止めなかったし、オーギーからプロポーズを受けたと聞かされた時も冗談だと思っていた。
オーギーは魅力的な男だけど、生業を考えると気の良いだけの男ではないだろう。そう思っていた。
だけど、事件が解決して、エドにエステルのことを考える余裕が出来た時、エドはエステルとオーギーとのことが冗談ではなかったことを知った。二人は本当に結婚するのだ。
エステルが引っ越すことを伝え聞いたエドは、彼女と電話で話す。
この時、エドは自分がエステルを愛していることを自覚したけど、同時に愛の量が充分では無いことも思い知らされた。
エドはエステルの気持ちに気づいた上で、それを無視できるほど不誠実ではなかったし、彼女について真剣に考えた結果、愛しいとも大切とも思った。だけど、彼女の気持ちと釣り合うほどの熱意は終ぞ持ち得なかった。
受話器を置く音と共に二人の関係は終わった。
エステルはどうしようもなく正しかった。そして、オーギーはいい男だ。そう思っても、気が晴れる訳ではなかった。どうしようもなく辛い。
でも、エドには夢が残っている。
アム伯父さんと二人で探偵社を立ち上げるのだ。占星術はエドに何も教えてくれなかったけど、夜空の星に〈ハンター&ハンター探偵社〉の文字を重ね合わせると、エドの心からは悲しみが忽ち消え失せていくのだった。
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