24日の17時40分に長崎の義母が急逝しました。
死因は急性循環不全、91歳でした。

ちょうどその頃、我が家ではクリスマスパーティーの準備でオーブンがフル稼働でした。
急遽お料理を完成させて、食べられる分だけ食べて、残りは冷蔵庫にしまい、慌てて旅支度を始めました。
夫は週明けから出張の予定だったので、連絡を取る相手が多くとても大変そうでしたね。長崎に滞在中も絶えず誰かと連絡を取っていました。
私もバイトの身とは言え、一年で一番の繁忙期に急に休むことになったので、かなり心苦しかったです。
それと、年末年始は、介護がてら久々に奈良の私の実家に帰る予定でした。が、こういうことで行けなくなったので、両親だけでなく、大阪に単身赴任している弟にもその旨を伝えました。
その時に弟に自分も参列していいのか、遠慮するなら香典はどこに送ればいいのかなど聞かれたのですが、この辺がややこしいことになっていまして。
夫の実家は先祖代々カトリックなのですが、義母が亡くなったのがイブで、これまた教会が一年で一番忙しい時期で。
そのうえ、前の教区の籍を抜いてから今の教区に転籍を済ませていなかったそうで、どちらの教会にも断られて大変でした。
最終的には今住んでいる教区の教会で受け入れてもらえたのですが、引っ越ししてから一年以上も不義理をしていたので、揉めても仕方ないだろうとコッソリ思いました。むしろ良く受け入れてくれたと、教会に感謝です。
そんなわけで、藤沢を出る時点ではまだ、義母の遺体は葬儀社で一時預かりの形になっていて、私達はいつまで長崎に滞在することになるのか分からず。そんな状態で犬猫を預けるわけにもいかないので、娘コメガネに留守番してもらうことにしました。

お通夜は26日に行われました。







夜の教会はクリスマスの電飾が綺麗でした。
















亡くなった日の夜は葬儀社の安置室で一人寂しく過ごさせてしまった義母も、教会でちゃんとお通夜できて安心したと思います。
義母の実子である義兄・義姉・夫で寝ずの番。私も参加させてもらいました。

日中の教会はこんな感じです。








告別式とミサは礼拝堂で行われました。


始まる前の誰も来ていない時間にササっと見学させてもらいました。
ミサ本番では電飾や蠟燭に灯がともされて荘厳な雰囲気でした。
私が見学している時も、世話人の方があかりをつけますかと聞いてくれたのですが、さすがに申し訳ないので遠慮しました。







告別式の後、火葬場に行って食事会をしました。
夜は義兄の家に泊めてもらい、その時に今後の話などをまとめ、一応葬儀関連の流れは終わったのだと思います。
初七日までは残れないので、あとは義兄夫妻にお任せして、私たち夫婦や義姉一家は長崎を後にしました。
今回は連絡を貰った時点では、いつどこで葬儀を行うのかも分かっていなかったので、その点のストレスが大きかったです。
自分の時には娘に負担をかけないように出来るだけ話を詰めておきたいと思いました。
エンディングノートでしたっけ、12年ほど前に私の先輩が亡くなった時には、前もって彼女の弟妹に書き残していたので感心したことを思い出しました。
ちなみに以下が今年のクリスマスのお料理でした。


毎年、クリスマスケーキは苺サンタにしていたのですが、今回はそんな時間が無かったので、苺の並べ方も生クリームの絞りも全体的に雑です。
しょんぼりしながらモソモソ食べていたら、夫と娘から「ちゃんとできてる」「美味しいよ」と慰められました。

去年までは私の自己満足で鶏の丸焼きにしていたのですが、家族から食べ難いという意見を貰ったので、今年はモモの照り焼きにしました。

前夜からタレに漬け込み、ローズマリーを乗せて焼きました。

コメガネからリクエストされたミートパイ。

焼きあがったら分かりにくくなりましたが、縁の生地は三つ編みにしています。

リースサラダ。

クラムチャウダー。
死因は急性循環不全、91歳でした。

ちょうどその頃、我が家ではクリスマスパーティーの準備でオーブンがフル稼働でした。
急遽お料理を完成させて、食べられる分だけ食べて、残りは冷蔵庫にしまい、慌てて旅支度を始めました。
夫は週明けから出張の予定だったので、連絡を取る相手が多くとても大変そうでしたね。長崎に滞在中も絶えず誰かと連絡を取っていました。
私もバイトの身とは言え、一年で一番の繁忙期に急に休むことになったので、かなり心苦しかったです。
それと、年末年始は、介護がてら久々に奈良の私の実家に帰る予定でした。が、こういうことで行けなくなったので、両親だけでなく、大阪に単身赴任している弟にもその旨を伝えました。
その時に弟に自分も参列していいのか、遠慮するなら香典はどこに送ればいいのかなど聞かれたのですが、この辺がややこしいことになっていまして。
夫の実家は先祖代々カトリックなのですが、義母が亡くなったのがイブで、これまた教会が一年で一番忙しい時期で。
そのうえ、前の教区の籍を抜いてから今の教区に転籍を済ませていなかったそうで、どちらの教会にも断られて大変でした。
最終的には今住んでいる教区の教会で受け入れてもらえたのですが、引っ越ししてから一年以上も不義理をしていたので、揉めても仕方ないだろうとコッソリ思いました。むしろ良く受け入れてくれたと、教会に感謝です。
そんなわけで、藤沢を出る時点ではまだ、義母の遺体は葬儀社で一時預かりの形になっていて、私達はいつまで長崎に滞在することになるのか分からず。そんな状態で犬猫を預けるわけにもいかないので、娘コメガネに留守番してもらうことにしました。

お通夜は26日に行われました。







夜の教会はクリスマスの電飾が綺麗でした。
















亡くなった日の夜は葬儀社の安置室で一人寂しく過ごさせてしまった義母も、教会でちゃんとお通夜できて安心したと思います。
義母の実子である義兄・義姉・夫で寝ずの番。私も参加させてもらいました。

日中の教会はこんな感じです。








告別式とミサは礼拝堂で行われました。


始まる前の誰も来ていない時間にササっと見学させてもらいました。
ミサ本番では電飾や蠟燭に灯がともされて荘厳な雰囲気でした。
私が見学している時も、世話人の方があかりをつけますかと聞いてくれたのですが、さすがに申し訳ないので遠慮しました。







告別式の後、火葬場に行って食事会をしました。
夜は義兄の家に泊めてもらい、その時に今後の話などをまとめ、一応葬儀関連の流れは終わったのだと思います。
初七日までは残れないので、あとは義兄夫妻にお任せして、私たち夫婦や義姉一家は長崎を後にしました。
今回は連絡を貰った時点では、いつどこで葬儀を行うのかも分かっていなかったので、その点のストレスが大きかったです。
自分の時には娘に負担をかけないように出来るだけ話を詰めておきたいと思いました。
エンディングノートでしたっけ、12年ほど前に私の先輩が亡くなった時には、前もって彼女の弟妹に書き残していたので感心したことを思い出しました。
ちなみに以下が今年のクリスマスのお料理でした。


毎年、クリスマスケーキは苺サンタにしていたのですが、今回はそんな時間が無かったので、苺の並べ方も生クリームの絞りも全体的に雑です。
しょんぼりしながらモソモソ食べていたら、夫と娘から「ちゃんとできてる」「美味しいよ」と慰められました。

去年までは私の自己満足で鶏の丸焼きにしていたのですが、家族から食べ難いという意見を貰ったので、今年はモモの照り焼きにしました。

前夜からタレに漬け込み、ローズマリーを乗せて焼きました。

コメガネからリクエストされたミートパイ。

焼きあがったら分かりにくくなりましたが、縁の生地は三つ編みにしています。

リースサラダ。

クラムチャウダー。